18日(月)~はじまる大学の授業では、ゴルフの歴史についても簡単に話しておこうと思っている。
…と言っても、世界史を勉強するほどに詳しく話すつもりはなく、
ゴルフの歴史を少し知っておくことによって、ゴルフが紳士淑女のスポーツと言われる所以、エチケットやマナーが重んじられる所以が分かるかな、と思うから、まぁ、その程度に、軽く…(笑)。
日本にゴルフが入っきたのは1901年で、イギリスの貿易商アーサー・ヘルケス・グルームが、六甲山頂に4ホールのプライベートコースを造ったのが最初。
その後、9ホールに増設され、日本最初のゴルフ倶楽部『神戸ゴルフ倶楽部』が1903年に結成された。
それから現在まで…。
バブル期には、ゴルフ場の会員権が投機の対象となり、ビックリするくらいの金額まで値上がりしたようなことも有ったが、今では、レジャーやスポーツの一貫として楽しむ人たちが多くなった。
特にジュニア(小学生~高校生)をはじめ、20~30歳代の若い世代の人たちにも、ゴルフをする人が増えた。
この現在の現象は…。
1975年生まれの、タイガー・ウッズ。
1985年生まれの、宮里藍。
1991年生まれの石川遼。
の、この3人の名前を挙げずには語れない…と思う。
ゴルフに注目が集まり、ゴルフのイメージが変わり始めたのは、この3人のプロの出現による影響が大きい。
バブルの崩壊がはじまる要因となったブラックマンデーの起きた日は、1987年10月19日(月)。
ゴルフ場から接待ゴルファーが姿を消しはじめ、それと共に、ゴルフ界全体が、このままではゴルファー人口は減少の一途をたどってしまうと、危機感を持ち始めた。
そこで、打開策として考えられたのが、ジュニアゴルファーの育成。
日本でも、アメリカのタイガー・ウッズのようなスーパースターが生まれたら、ゴルフに注目が集まるから、ゴルフ人気も回復するのではないか…と考えた上での案だった。
その頃から、プロゴルファーをはじめ、色んなゴルフ団体(ゴルフスクールを含む)が、こぞって、ジュニアゴルファーの育成に乗り出した。
この頃に、まさにジュニアだったのが、宮里藍プロであり、石川遼プロ。
この2人を筆頭とする、現在の若くて強いプロゴルファーのツアーへの台頭は、この頃のゴルフ界の“動き”と無縁ではないはず。
この頃のゴルフ界の“頑張り”が、功を奏したのだと思える。
タイガー・ウッズ選手のようなアスリート系プロゴルファー、若くて強くて、イメージ的にも爽やかなプロゴルファーの出現で、最近では、接待ゴルフから、スポーツとしてのゴルフ、余暇を楽しむためのゴルフへと、人々のゴルフに対するイメージも変化して来たように思う。
…と言うようなことを、ゴルフの現代史として話そうと思っている。
ゴルフの歴史では、遥か昔のスコットランドでのことではなく、こういう“最近”のことを話した方が、興味を持って聞いてくれるのではないか?…と思う。
…と言うことで、本日は、授業で話すことを考えながら、blogを書いてみました(笑)。
…と言っても、世界史を勉強するほどに詳しく話すつもりはなく、
ゴルフの歴史を少し知っておくことによって、ゴルフが紳士淑女のスポーツと言われる所以、エチケットやマナーが重んじられる所以が分かるかな、と思うから、まぁ、その程度に、軽く…(笑)。
日本にゴルフが入っきたのは1901年で、イギリスの貿易商アーサー・ヘルケス・グルームが、六甲山頂に4ホールのプライベートコースを造ったのが最初。
その後、9ホールに増設され、日本最初のゴルフ倶楽部『神戸ゴルフ倶楽部』が1903年に結成された。
それから現在まで…。
バブル期には、ゴルフ場の会員権が投機の対象となり、ビックリするくらいの金額まで値上がりしたようなことも有ったが、今では、レジャーやスポーツの一貫として楽しむ人たちが多くなった。
特にジュニア(小学生~高校生)をはじめ、20~30歳代の若い世代の人たちにも、ゴルフをする人が増えた。
この現在の現象は…。
1975年生まれの、タイガー・ウッズ。
1985年生まれの、宮里藍。
1991年生まれの石川遼。
の、この3人の名前を挙げずには語れない…と思う。
ゴルフに注目が集まり、ゴルフのイメージが変わり始めたのは、この3人のプロの出現による影響が大きい。
バブルの崩壊がはじまる要因となったブラックマンデーの起きた日は、1987年10月19日(月)。
ゴルフ場から接待ゴルファーが姿を消しはじめ、それと共に、ゴルフ界全体が、このままではゴルファー人口は減少の一途をたどってしまうと、危機感を持ち始めた。
そこで、打開策として考えられたのが、ジュニアゴルファーの育成。
日本でも、アメリカのタイガー・ウッズのようなスーパースターが生まれたら、ゴルフに注目が集まるから、ゴルフ人気も回復するのではないか…と考えた上での案だった。
その頃から、プロゴルファーをはじめ、色んなゴルフ団体(ゴルフスクールを含む)が、こぞって、ジュニアゴルファーの育成に乗り出した。
この頃に、まさにジュニアだったのが、宮里藍プロであり、石川遼プロ。
この2人を筆頭とする、現在の若くて強いプロゴルファーのツアーへの台頭は、この頃のゴルフ界の“動き”と無縁ではないはず。
この頃のゴルフ界の“頑張り”が、功を奏したのだと思える。
タイガー・ウッズ選手のようなアスリート系プロゴルファー、若くて強くて、イメージ的にも爽やかなプロゴルファーの出現で、最近では、接待ゴルフから、スポーツとしてのゴルフ、余暇を楽しむためのゴルフへと、人々のゴルフに対するイメージも変化して来たように思う。
…と言うようなことを、ゴルフの現代史として話そうと思っている。
ゴルフの歴史では、遥か昔のスコットランドでのことではなく、こういう“最近”のことを話した方が、興味を持って聞いてくれるのではないか?…と思う。
…と言うことで、本日は、授業で話すことを考えながら、blogを書いてみました(笑)。