『感動することをやめた人は、生きていないのと同じことである』
by:アインシュタイン
『感動すること』…これが、この年末年始から、来年に向けての、私のキーワードとなりそうである。
六本木ヒルズの展望台に、何度も行ってみたくなるのは、感動したいから…(^^)
あの展望台からの景色を観て、感涙の涙が溢れてきたことが有ったから…(*^^*)
「感動できることに気づけること」
「感動できそうなものに触れようとすること」
「感動できそうな所に行くこと」
また
「わずかなことにも、感動できる心を持ちたい」
と思う。
とにかく、「感動」したい。
何故か?
茂木健一郎さんが、「感動することは、(脳にとっての)最大のアンチエイジングだ」と書いておられたため…(笑)。
アンチエイジングは…これからの私の大変重要なポイントです…(^^ゞ
茂木さんは、「感動すること」に関して…、
『人間の脳には、今の自分を守ろう、古い自分を守ろうという免疫反応のようなものがあります。
今までの自分を慣性で続けて行くのが一番楽なことですが、それをやってしまっては、人間の脳のもっとも素晴らしい能力である可能無限を引き出すことができない。
可能無限を引き出す方法、自分の脳の働きを変える一番いい方法は「感動する」ということです。
感動することほど、人を変えることはありません。
逆にいうと感動は、人間を変えてしまう「劇薬」です。』
『感動できるという能力、つまり自分が楽器だとすると、その楽器をどれくらい大きく鳴らせるか。
そのことで、人間の器は決まるのです。
小さくしか鳴らせない人は、小さな人になってしまうのです。
大きく共鳴できる人は大きな人になれるのです。』
『感動する人としない人の違いは、それに気づくかどうかだけです。
感動することは、人生の方向性を決めたり、感動が自分というものを決定的に形づくる。』
『感動が自分の中にたくさんある人は、それだけポジティブなものが自分の中にたまっているし、これからも、さらにためていくことができる。
感動のネタが多いほど、豊かな人間になれるということです。』
…などなど、その“効果”を、色々と書いておられる。
また、ある本には…、
『感動による刺激は、体性感覚野に入り、ここから視床下部や前頭連合野へと伝えられる。
視床下部には自律神経系があって、体内の臓器のはたらき、瞳孔、汗腺などをコントロールしているばかりか、脳下垂体に命令し、副腎皮質ホルモンを放出することで、わたしたちをストレスから守っている。
そして前頭連合野や前頭葉では、性格、創造性、意識、野心などハイレベルな心を創り出している。
感動という快いシグナルが視床下部や前頭連合野を興奮させることで、健康な脳がさらに健康になる。』
と書いてあった。
茂木さんも、
『脳の中には100種類もの神経伝達物質があり、感動するということは、その化学物質がザワザワーッと脳の中の1000億の神経細胞の間を、走り回ってような状態です。』
と書いておられた。
難しい話は、ちょっと横に置いておくとしても…(^_^;)
とにかく、感動すると、脳の中が、ザワザワーッと動くらしいのだ。
そして、そのザワザワーッが、どうやら、脳のアンチエイジングや、活性化に繋がるらしいのだ。
…なので、できるだけ、感動に触れよう、感動しよう、感動したいとして、日々を過ごしてみたいな…と思う。
年末年始も…とにかく感動できることを、色々と見つけてみたい。
わずかなことにも、感動できる心でいたいな…と思います。
皆さまも、色んな感動を見つけて下さいね…(^_^)/~
by:アインシュタイン
『感動すること』…これが、この年末年始から、来年に向けての、私のキーワードとなりそうである。
六本木ヒルズの展望台に、何度も行ってみたくなるのは、感動したいから…(^^)
あの展望台からの景色を観て、感涙の涙が溢れてきたことが有ったから…(*^^*)
「感動できることに気づけること」
「感動できそうなものに触れようとすること」
「感動できそうな所に行くこと」
また
「わずかなことにも、感動できる心を持ちたい」
と思う。
とにかく、「感動」したい。
何故か?
茂木健一郎さんが、「感動することは、(脳にとっての)最大のアンチエイジングだ」と書いておられたため…(笑)。
アンチエイジングは…これからの私の大変重要なポイントです…(^^ゞ
茂木さんは、「感動すること」に関して…、
『人間の脳には、今の自分を守ろう、古い自分を守ろうという免疫反応のようなものがあります。
今までの自分を慣性で続けて行くのが一番楽なことですが、それをやってしまっては、人間の脳のもっとも素晴らしい能力である可能無限を引き出すことができない。
可能無限を引き出す方法、自分の脳の働きを変える一番いい方法は「感動する」ということです。
感動することほど、人を変えることはありません。
逆にいうと感動は、人間を変えてしまう「劇薬」です。』
『感動できるという能力、つまり自分が楽器だとすると、その楽器をどれくらい大きく鳴らせるか。
そのことで、人間の器は決まるのです。
小さくしか鳴らせない人は、小さな人になってしまうのです。
大きく共鳴できる人は大きな人になれるのです。』
『感動する人としない人の違いは、それに気づくかどうかだけです。
感動することは、人生の方向性を決めたり、感動が自分というものを決定的に形づくる。』
『感動が自分の中にたくさんある人は、それだけポジティブなものが自分の中にたまっているし、これからも、さらにためていくことができる。
感動のネタが多いほど、豊かな人間になれるということです。』
…などなど、その“効果”を、色々と書いておられる。
また、ある本には…、
『感動による刺激は、体性感覚野に入り、ここから視床下部や前頭連合野へと伝えられる。
視床下部には自律神経系があって、体内の臓器のはたらき、瞳孔、汗腺などをコントロールしているばかりか、脳下垂体に命令し、副腎皮質ホルモンを放出することで、わたしたちをストレスから守っている。
そして前頭連合野や前頭葉では、性格、創造性、意識、野心などハイレベルな心を創り出している。
感動という快いシグナルが視床下部や前頭連合野を興奮させることで、健康な脳がさらに健康になる。』
と書いてあった。
茂木さんも、
『脳の中には100種類もの神経伝達物質があり、感動するということは、その化学物質がザワザワーッと脳の中の1000億の神経細胞の間を、走り回ってような状態です。』
と書いておられた。
難しい話は、ちょっと横に置いておくとしても…(^_^;)
とにかく、感動すると、脳の中が、ザワザワーッと動くらしいのだ。
そして、そのザワザワーッが、どうやら、脳のアンチエイジングや、活性化に繋がるらしいのだ。
…なので、できるだけ、感動に触れよう、感動しよう、感動したいとして、日々を過ごしてみたいな…と思う。
年末年始も…とにかく感動できることを、色々と見つけてみたい。
わずかなことにも、感動できる心でいたいな…と思います。
皆さまも、色んな感動を見つけて下さいね…(^_^)/~
田舎の夏の夜、見上げた満天の星。
人影のない夕刻、打ち寄せる浜辺の波。
ようやく暑さが去った秋、吹く風に囁く竹林。
夏でもひやり、山奥の滝と苔むした岩。
私の場合、「心が洗われる」瞬間に辺りに他人はいない。自然の何気ない表情の中に、あまりにも素朴な自然の造形美を感じる。そんな中に、人間の入り込む隙間はない。その場面に自分自身も居てはいけないのではないか、そんな畏敬の気持ちまで湧き出る。
「心が洗われる」瞬間とは、人間の持つ八万四千煩悩がいかに小さく他愛もないものか、思い知らされる時であろう。我々の知恵や思考など、自然という大きな力の中では取るに足らないものだと感じる時なのだ。人間には思いも及ばないほど長い年月をかけて、脈々と営まれてきた自然の力の大きさを思い知らされる時に、私は心が洗われ澄み切ってくる。
もっと自然の雄大さを感じた時があり、「心が動かされた」。
初めての北米大陸、飛行機から見たロッキーの山々。
飛行機移動のアルプス、雲の上に突き出たマッターホーン。
真夏の乾燥したアリゾナ、見下ろしたグランドキャニオン。
これらの大自然は、心が洗われるというより、人間が圧倒される気分になる。人間の小ささを思い知らされる感覚は同じだが、そこには心が澄み切ってくるゆとりがない。周りに人間が介在するからだろうか。機中では必ず他人が居て、同じ風景を見ている。また、ロッキーやマッターホーンの山にしろ、グランドキャニオンにしろ、おそらく視界のどこかには人間が存在する。これらの大自然を目の前にした時、自然と自分が一対一で対峙していない事も、「心が洗われる」感覚から離れてしまう一因だろうか。
「心が洗われる」時には、自分自身の心と自然とが、必ず純粋なコミュニケーションをしている。自然が心の奥深くまで語りかけているはずだ。
その時、自分の心と対峙してる…とも言えるような…。
…ま、私は、その時に、愛する人が傍らにいてくれると、幸せがプラスされる…ようにも思います…(*^^*)
…このコメント、詩的ですね。
日記の中の一節のような…
jxさんもblogとか、なさっておられないのですか
失礼しました。
blogは、自分の心を『出力』してみる場ですよね
「無為無想」と「伊勢の小太郎」っていうブログです。
「伊勢の小太郎」の方は、震災以来更新できてません。
よかったら、遊びに来てください。
お花にお詳しく、小説のようなものもお書きになっているんですね
でも、プロフィールが男性であることしか分かりませんでした
実名とお顔を、是非…