今日は生活習慣病クリニックの6週間ぶりの定期検診。
これは多分私にとってとても大事な検診だとは思う・・・生活改善で改良できる部分と、元々体質的に難点があってそこを薬などで補わなくてはいけない部分と両方あると思う。
私の場合、肝臓の他にいろいろな臓器に難点があるらしいので、生活習慣の改善だけでは追いつかない部分が・・・。
マア、そういう事で医学の進歩に頼って「生かされている」わけです。
尤もその割には、やりたい事をやっています。
検診が早く終わったので、クリニックの隣のビルの本屋に立ち寄りました。
19日ですからNHK囲碁講座の翌月号が発売されている筈。
真っ先に見るのは、例によって「桂馬の両アタリ」・・・何と言ってもこれが一番好き。
囲碁について将棋の先生がエッセイを書くのも面白いです。
これが本職の囲碁棋士の方が別の面白みがあるとは思うのですが、逆に本職の先生だと何か不味い事もありそうな気もするので、マア仕方が無いかな。
こういう文章は別の世界の方とか、新聞の観戦記者などの方が無難でしょう。
プロの碁打ちが書く場合は、観戦記者の立場を借りて、ペンネームで原稿を書くのならアリかもしれませんネ。
さて2月号のエッセイは「手つき」について。
何事につけ「技量」に]応じて手つき・身のこなしはそれなりに覗い知れる所はある。
従ってこれが囲碁の場合「奇麗」=「洗練されている」と言う事は、ある意味で相手にはプレッシャーになるかもしれない。
(これはリアルの問題で、ネットではこれは分かりません)
(ネットの場合は手つきという目に見えるものでは無くて、「タイムラグ」と言うか着手のタイミング=リズムかもしれません;考えなくても良いようなところで時間を使う、とか、本来考える場所でノータイムとか、、、。マア対戦相手とリズムがちがうから対戦が面白いのかもしれませんが)
私の場合、軽かったけれど脳梗塞を経験していて、以来細かな仕事でも左手の参加が増えております。
囲碁の場合も石を置くのは左手の方が右手よりスムースなので、その時から打つのは左、整地・ダメ詰めは右手になっている。
これは自分でも思うのですが、あまり「洗練」されている手つきとは思えない。
従って相手が私の手つきで「これは!」と思う事は考えられない。
あるとすれば侮られる事かも。
マアそうなれば、『相手を油断させて・・・」という効果はあるのかもしれませんが、カッコ良くないので自分では自分の手つきにクサリ気味です。
手つきでは私には思い出がある。
昔碁会所で良く打ったY田さん、、、この方は概ね向こう2子ある言いは3子。
Y田さんは、石を取り上げる時の手つきが何処となく芝居が勝っていて気になる。
盤上から獲った石を取り除き、碁笥に移す瞬間に手首が返って「カシャ!」と良い音を立てる。
私としては「捨て石」として獲らせた筈が、相手のこういう所を見てしまうと『見たくない物を見、聞きたく無い音を聞いた』気分で、瞬間「もしかして獲られた?」感じになるのでした。
こういう心の動きは勝負には良くない影響があるようです・・・
やはりこれも手つきの効用なのかも。
これは多分私にとってとても大事な検診だとは思う・・・生活改善で改良できる部分と、元々体質的に難点があってそこを薬などで補わなくてはいけない部分と両方あると思う。
私の場合、肝臓の他にいろいろな臓器に難点があるらしいので、生活習慣の改善だけでは追いつかない部分が・・・。
マア、そういう事で医学の進歩に頼って「生かされている」わけです。
尤もその割には、やりたい事をやっています。
検診が早く終わったので、クリニックの隣のビルの本屋に立ち寄りました。
19日ですからNHK囲碁講座の翌月号が発売されている筈。
真っ先に見るのは、例によって「桂馬の両アタリ」・・・何と言ってもこれが一番好き。
囲碁について将棋の先生がエッセイを書くのも面白いです。
これが本職の囲碁棋士の方が別の面白みがあるとは思うのですが、逆に本職の先生だと何か不味い事もありそうな気もするので、マア仕方が無いかな。
こういう文章は別の世界の方とか、新聞の観戦記者などの方が無難でしょう。
プロの碁打ちが書く場合は、観戦記者の立場を借りて、ペンネームで原稿を書くのならアリかもしれませんネ。
さて2月号のエッセイは「手つき」について。
何事につけ「技量」に]応じて手つき・身のこなしはそれなりに覗い知れる所はある。
従ってこれが囲碁の場合「奇麗」=「洗練されている」と言う事は、ある意味で相手にはプレッシャーになるかもしれない。
(これはリアルの問題で、ネットではこれは分かりません)
(ネットの場合は手つきという目に見えるものでは無くて、「タイムラグ」と言うか着手のタイミング=リズムかもしれません;考えなくても良いようなところで時間を使う、とか、本来考える場所でノータイムとか、、、。マア対戦相手とリズムがちがうから対戦が面白いのかもしれませんが)
私の場合、軽かったけれど脳梗塞を経験していて、以来細かな仕事でも左手の参加が増えております。
囲碁の場合も石を置くのは左手の方が右手よりスムースなので、その時から打つのは左、整地・ダメ詰めは右手になっている。
これは自分でも思うのですが、あまり「洗練」されている手つきとは思えない。
従って相手が私の手つきで「これは!」と思う事は考えられない。
あるとすれば侮られる事かも。
マアそうなれば、『相手を油断させて・・・」という効果はあるのかもしれませんが、カッコ良くないので自分では自分の手つきにクサリ気味です。
手つきでは私には思い出がある。
昔碁会所で良く打ったY田さん、、、この方は概ね向こう2子ある言いは3子。
Y田さんは、石を取り上げる時の手つきが何処となく芝居が勝っていて気になる。
盤上から獲った石を取り除き、碁笥に移す瞬間に手首が返って「カシャ!」と良い音を立てる。
私としては「捨て石」として獲らせた筈が、相手のこういう所を見てしまうと『見たくない物を見、聞きたく無い音を聞いた』気分で、瞬間「もしかして獲られた?」感じになるのでした。
こういう心の動きは勝負には良くない影響があるようです・・・
やはりこれも手つきの効用なのかも。