同業者から 作品展とか出版に使うためのモノクロ写真のプリントを頼まれることが
結構あった。フィルムも印画紙も 現像 停止 定着 水洗という手順をふむのだが、
現像は釣りタンクという36枚撮りがそのまま吊るして現像できるタンクがあった。
在るとき バライタ紙でプリントされた写真をみる機械があり、それは大御所とあるプロラボの
プリントの名手とがタッグを組んだもので、「忘れていた何かを」考えるきっかけになった。
なので、自分も撮影とプリントをしてみた。なるほど、昔のモノクロ写真が綺麗にみえた理由が
わかった。なので、ポートレートの写真をモノクロで伸ばしておんぼろスタジオに飾っておいた
そうしたところ、その当時でもモノクロを自家処理しているところは少なかったので、
古寺巡礼みたいな本のプリントを頼まれたりしたのだった。
あまり名前は有名じゃないけれど・・・・写真を仕事にしている人などから、例えば
300枚のプリントを頼まれたりした。シチュエーションが異なる300カットを処理するのは
正直たいへんだった。なぜかといえば、部分的に焼きこみをしたり、しないところがあるので
私は手で形を作って覆い焼きや焼きこみをしていたからだ。
ややこしいので省くが 露光タイマーと足踏み式の露光で 一枚ずつプリントしていく作業
キャビネというサイズのものと手札というサイズの指定があり、すべて基本条件を試し焼きして
その露光時間を長くするようにして、焼きこみ等を行うのである。
半月ぐらい待ってもらい出来上がり次第 渡していたが、気にいいってもらえて、巻末に
謝辞 として名前を載せたいといわれたのがうれしかった思い出である。
結構 バライタのプリントは増えてきて 例えば(書家当然モノクロ)の撮影とプリントなどで
墨のはねぐあいなどや濃淡が重要だそうで、こんな時にも活躍した。海外では有名な書家らしいが
なんて書いてあるのかさっぱり読めなかったが、黒の仲の階調があるわけなのである。
モノクロにしても良い写真は ちゃんとみることができるといわれていた時代である。
まだ白黒の証明写真がありの時代だったので おんぼろスタジオでも毎日プロにーで撮影したものを
注文枚数をプリントしていた。人数も増えてしかも同時に注文を受ける枚数も20枚とか、びっくりする枚数だったりした。
そっちは於いておいて 同業者(笑の人からもプリントの依頼を受けたりもすることも結構あって
作品展用のものとか、雑誌や本に使うためのものなどがあり、なぜこのような依頼が来るのかといえば、
その当時でも もともと使われていたバライタ紙を使ってプリントする人がほとんどいなかったからだ。
都内の在るラボのプリントマンは、紀信などのプリントを手がけるひとで、プロの中のプロ同士のプリントをみる機会があり
あぁ、モノクロームもここまでできるんだということを再認識してから、 改めて復古感を強く感じたので、
改めて通常のプリントとは別の、というか「暗室だけとして使う部屋というかボロ屋」を借りてプリントはそっちですることにした
釣り現像は手作業で、36EXが10本下げられるタンクで現像 勿論ブロニーもそうなのだが、
新たに 自動でプリントの現像 停止 定着 水洗ができる機械を設置、全部で幅が1.5m長さが4mkらいあるもので
常に左右に揺れていt 現像以外は タイマーでざるのようなかごが持ち上がり次のタンクに入る仕組みのものだった。
かなり金銭的には大変な機械で、結局水洗でとまったままなので。それを今度はどでかい温度調整ができるドラムを
布が覆っていて、という機械で感想サせることとなる。
この機械は 圧着乾燥するため、プリントのつやをみれば その差は 歴然の優れもんだった。
なんだか長くなりそうなので つづく
酢酸の匂い・・・・を思い出したなぁ~ ともかくあれだけ離れることがなかった