明日5月1日は、北杜夫氏の誕生日なのだ。メーデーに生まれたことを、氏はその著作の中で確か
「5月1日という日は誰しもが忘れない日なのだ」という主旨のことを書いていたと思う。
しかし、もう氏はいないのが、残念である。
北杜夫氏との文通についてをこのブログでは、かなりとびとびになってしまったが、北杜夫氏の研究者になりたい
という手紙の返信が「微妙な感じだったので」しばらく考えあぐねていた。
しかし、思い切って「じゃぁ先生、先生の公認研究者の第2号ということでお願いします。いろいろな質問を
かきますので、気が向いたらお返事くださいませ」と書き記して手紙を送った。
このときは、自身でも長引くと分析していた鬱の頃だったので、さすがにお返事はしばらく来ないに違いないと
思っていたし、一行も原稿がかけないと仰っていた時期でもあった。
いつになくお返事がこないので、鬱病で大変なのに一読者として余計な負担をかけてしまったかもしれない
と思うことがあって、それ以上の手紙は我慢していた。
それと、私自身の身の回りで様々な事が起こり、半分忘れかけていた。
随分と間が開いたが、ようやく先生からのお手紙がきた。
その内容は、あまりにもプライベートすぎる事が沢山書かれていて、ちょぅとここでは披露できない。
時期とタイミングを考えて、原文をしかるべく方法で他に数多いる北杜夫ファンやご家族に公表しようと
今は考えている。
この後も手紙のやり取りは続いたが、結局私は「北杜夫氏の研究者」にはなっていないし、そういう意味では
北氏の好意を裏切ってしまったとも思う。