時にはすごく酷なものだと想ったことが何度かありました。
3Dのものを2Dの中で 如何に3Dを感じさせる事ができるかが 寫眞の極意だと
想っていました。たどり着いたのは、2Dの中に3D+αという結論。
上半身のポートレート撮影を仮定すると、鼻の頭から頬っぺたまでさらに耳、後頭部
までしっかりとした距離感があることがわかるものであり、なおかつ人間の目は
パンフォーカスなので 寫眞にしかできない表現 ボケ(ぼかし)やアオリを用いた
表現技法があります。さらには背景との距離感(空気感)を感じるものが、私が
ひとつの道程の中でたどり着いたものです。よく生きてひるみたいひな・・との
言葉を頂きました。確かに自画自賛すれば 2Dの中で寫眞として生きていたのです。
ただ、愛おしいものが天に召された時、寫眞はむごいものであると切に感じました
触っても温もりも微塵もないただの紙でした。当たり前なことなのに、こんなに
当たり前なことなのに愕然としました。一途に極みを目指してきた自分の心が、
折れました。そこに存するのに、感触がない・・・。こんな当たり前な事が悔しくて
悲しくてやりきれなかった。寫眞は眞を冩すと謂えないものだと。しかし、
20年経っても寫眞はそのまま残っているし、確かにその寫眞を写した時のことは
鮮明に覚えているので時空を超えるといふ意味での存在しかないのかもしれない