北氏と文通をしていたことは何度も書いた。
お返事は必ずいただける光栄にあずかり、また年賀状も氏の方から頂いてしまい恐縮してしまった位だ。
北氏の温厚な人柄、何百万という読者の中でとてもありがたく読者を大事にする氏の姿勢に心を打たれたものだ。何十回目だっただろうか手紙に「私は先生の研究者になりたい」と書いたことがある。
それに対して氏のお答えは「私の研究者は一人いますが」と前置きをして、承諾をした旨が書かれていた。 この頃は、もういるなら迷惑かな??と思った。
ただ「どうぞ頑張ってください」と結ばれていたのでちょっと判断ができなかった。ただ、これが氏のウィットだったことに気が付かなかった・・・。
研究をしている人が一人というのは、細君か娘さんだったようだ。
それが氏のユーモアだと気が付いたのは氏の訃報を聞いた後にやりとりしていた手紙類を読み返していた時だった。
嗚呼・・神様・・思わず呟いた。神様と呟くのは氏の口癖でもある。
結局もっとそのことにこだわれば北杜夫が認めてくれた研究者となっていたかもしれない。
膨大な往復書簡は北氏本人が原稿に書かなかったことが多くおそらくご家族もご存じなかっただろうし、本当は住所もわかっているので斉藤家宛に手紙で知らせるべきかもしれない。
ただ、私にとっては宝物なので、本筋をはずしていることはが心苦しい。
氏の厚情を考えれば、なおのことなのだ。
でもまだ踏ん切りが付かない。情けない限りである
お返事は必ずいただける光栄にあずかり、また年賀状も氏の方から頂いてしまい恐縮してしまった位だ。
北氏の温厚な人柄、何百万という読者の中でとてもありがたく読者を大事にする氏の姿勢に心を打たれたものだ。何十回目だっただろうか手紙に「私は先生の研究者になりたい」と書いたことがある。
それに対して氏のお答えは「私の研究者は一人いますが」と前置きをして、承諾をした旨が書かれていた。 この頃は、もういるなら迷惑かな??と思った。
ただ「どうぞ頑張ってください」と結ばれていたのでちょっと判断ができなかった。ただ、これが氏のウィットだったことに気が付かなかった・・・。
研究をしている人が一人というのは、細君か娘さんだったようだ。
それが氏のユーモアだと気が付いたのは氏の訃報を聞いた後にやりとりしていた手紙類を読み返していた時だった。
嗚呼・・神様・・思わず呟いた。神様と呟くのは氏の口癖でもある。
結局もっとそのことにこだわれば北杜夫が認めてくれた研究者となっていたかもしれない。
膨大な往復書簡は北氏本人が原稿に書かなかったことが多くおそらくご家族もご存じなかっただろうし、本当は住所もわかっているので斉藤家宛に手紙で知らせるべきかもしれない。
ただ、私にとっては宝物なので、本筋をはずしていることはが心苦しい。
氏の厚情を考えれば、なおのことなのだ。
でもまだ踏ん切りが付かない。情けない限りである