火あぶりの刑という殺害方法が残任だというのは今回の事件で皆が感じたことだろう
ところで、日本でもこの方法で処刑され人達がいるというのはご存知だろうか?
それは秀吉が突然発したキリスト教禁止令から始まる。織田信長はルイス・フロイズフという宣教師を
受け入れ、キリスト教(耶蘇教)を認めていた。
然しながら秀吉が命令をだした為に宣教師は捉えられるなどといった混乱がおきた。
正当なキリスト教をどこまで理解していたのかは不明なれど、キリスト教刈りが厳しさを増す中で
自らの死を恐れずにキリスト教徒だと名乗りでた人達がいた。
結果として公開処刑(火炙りの刑)に処せられたのだ。これがいわゆる二十六聖人という人々である
キリスト教徒出ないとわかりにくいかもしれないが、「聖人」というのは真のキリスト者であることを
法王等と周囲の位の高いキリスト教社が認めてなれるものである。
だから「聖人」ふえつづけているのだが、いずれにしても日本人が遠い異文化を受け入れて
その信念は死をも、自らの命をも凌駕するものである。
火炙りということでふと日本で実際にあった事を思い出したので書いた