型ものと言われる七五三、成人などの写真で笑わせるのは今では当然のことであるのだが、
約25年前には、「とりあえず写しておく」程度であったし、写すほうも同じだった。
写しても結局は一度くらいしか見ないでしまってしまうのが当然であったし、大方の人は出来上がった写真に不満を感じて
いたのではないか?私が考えるには、一点を注視することは日常生活では殆んどないので、証明写真なども同じく
変な顔に写ったと思うのではないかと、つまり非日常的な表情を見ているのだから、それでは写す方も面白くないと
言う結論に至り、自社スタジオでの撮影では、なんとか緊張をとった自然な顔や笑顔の瞬間を選んで撮影した。
さらに、コマーシャル撮影と同じように多カット撮影もおこなうようにしたし、下手くそなのっぺりライティングもしなかった。
信じられないかもしれないが、その当時は「歯を見せてはいけないとか3人で写すと真ん中の人が早死にする」なんていう
慣行が歴然としてあったのだ。
最初の頃は、風当たりが相当強くて難儀したものだ。でも2年ぐらいでがらりと変わり始めてきた。
写真館などにいくと、2枚くらい写されて勝手にプリントを渡されるのが当たり前だったが、私は写したカットを全て
お客さんに見せて、自分達で気に入ったものをプリントするシステムを考案した。
自分で選べることがまず評判になり、明るい表情や特にお父さんの照れ笑いの何ともいえぬ表情などを写してくれる
ことが評判になり、ライティングや背景も変えて写したことで、モデル感覚で写してもらえるのも評判になった。
これに目をつけてきたのが富士フィルムプロ部であった。
業界で言うところのプルーフシステムというのを、作り出した(パクラレた?)のである。
20代の若造の私であったが、お客さんを喜ばせる為には何をどうすれば良いか?と言う答えが富士の介在で全国に
普及し始めたのである。 つづく