うちは動物が大好きだ。犬、猫、オーム、イグアナ、亀、蛇、セキセイインコ、尾長鳥、啄木鳥(きつつき)金魚、鯉、
九官鳥、ざっと思いつくだけでこれぐらいを飼っていた。
オームはワシントン条約で制限される前に買っていた。今の貨幣価値からすると150万位したが、本当は
お金をだして命のやりとりをしているようで嫌だった。
全ての動物は、ちゃんとコミュニケーションがとれると言ったら信じてもらえるだろうか?
最近知人が「娘達が犬を欲しがっているのだが、どうしようか悩んでいる」といっていた。
犬は動物愛護センターが、引き取っているものだそうだ。
私にはペットロスの経験があり、もう犬は飼わないと思っていた時期があった。
そんな時に「その辛さはわかるのだが、そうして犬を飼わなくなる人が増えると殺処分になるなんの罪もない
犬達が増えて可愛そうだ、」と言われた事がある。
それはまさしく正論であるかもしれないが、容易に受け止める事ができない言葉であった。
結局は、私があまりにも落胆している様子を見続けてきた親が、保護センターから毎回貰い手のいなかった
成犬をもらって来た。
その時に私は親に対して猛烈に反発をした。なぜなら、その犬と過ごすであろう10年、15年の間には
人間が経たる場合もあるし、毎日の散歩、餌などの世話をしなければならないという当たり前のことができるか
自信がなかったからである。
さらに、前の犬と比べてはいけないとよく言うが、それも無理に決まっていると思ったからである。
それは、犬にとっても不幸なっことではないかと思った。
しかし、世の中には「飽きた」「流行の犬ではない」「散歩が面倒」等の理由で動物愛護センターに平気で命を
捨てていく輩も多いらしい。
犬だけではなくても、動物を飼うと言う事はその生涯を預かると言う事である。
それは命の尊厳を敬う事であるということを、家族で理解し共有することができないならば犬は飼うべきではないと
私は思うのだ。