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年末年始の旅~その3 兵庫かいわい散策

2021年01月09日 06時16分00秒 | 日帰り旅行・散歩

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前回からの続き~

年末年始の休暇中、どうしても行きたい場所があって帰省した翌日の午前中、散策した。

久しぶりに神戸電鉄に乗って湊川駅で下車。

 湊川公園にて。

日曜朝に再放送されている1991年の大河ドラマ『太平記』を欠かさず視聴していて、
昨年末に湊川の戦いの下りを放送していたので、「そういえば」。

中高時代、この辺りは通学路の近くでこの銅像も見たこともあったし、
湊川神社も通り抜けしたことは何度かあった。(成人してからは地下の駐車場をちょいちょい利用していた)

だけど、歴史を感じながら歩いたことはなかったので、一度散策してみようということで。
年末、友人と会う約束も反故にして、わりと余裕もあったし。

改めて銅像をみて感心したのは昭和10年くらいの作で、製作にこぎつけた石碑の文言が愛国主義で熱かったこと。
そして、戦時中も供出されなかったこと。(まぁ、ものがものだけに当たり前か)

時代背景が如実ににじむ銅像ですごいなと思った。

さて、湊川公園から南にのびる新開地商店街。

平成に再開発されて新開地は明るい街になったけど、
私の中高時代は「間違っても足を踏み入れてはいけません」と言われた禁断区域。

だから、湊川商店街には本を買いにしばしば寄り道したけど、こっちには一度も来たことがなかった。

今はね、戦前のエンターテイメントの雰囲気を復活させるべく頑張っている。

 

喜楽館かぁ。一度、落語を聴きに行きたいな。
新開地を通り抜けて、更に南へ。
かつて、「兵庫の津」と呼ばれた区域にさしかかってきた。
 
 もう往年の面影はないけど江戸時代後期の商人・高田屋嘉兵衛ゆかりの地。
 
この辺りは平安時代末期と南北朝時代(鎌倉時代末期と室町時代の初期)と江戸時代の遺跡が入り乱れている。
 地図をみないと自分がどこにいるかすらわからなくなる~
 
そして、大輪田泊のあった場所でもあるわけで。 
 
 やっぱ、平清盛でしょ。
(そういえば、年末に購入した大河ドラマ『平清盛』のブルーレイ、保元の乱までしか観ていない~
 続きも観たいなぁ)
 
『ブラタモリ』の神戸編によればこの辺りは大輪田泊の地形的な痕跡が遺っているのだそうな。
運河沿いにぶらぶら歩いて、清盛塚と琵琶塚へ。
(住吉大社の一角にあるという感じ)
 
思えば、この付近は源平合戦で灰燼に帰し、南北朝の戦でまた灰燼に帰し、
さらに江戸時代から明治・大正・昭和の反映も太平洋戦争の空襲で丸焼けになった。
戦後は物資や人の賑わいが三宮に移ってしまって、再びの反映を取り戻すことができなかった。
という界隈。
 
兵庫大仏がある能福寺。 
(小学校で習って存在は知っていたけど、初めて見た)
脇が平清盛の墓所になっていた。 
 
さらに歩いて旧西国街道を交差。
左折してJRの高架を潜って、柳原のあたりへ。
 
 湊川の戦いから少し時代を遡って、隠岐の島を脱出した後醍醐天皇が立ち寄ったという福厳寺。
大河ドラマ『太平記』では、この地で鎌倉幕府が滅亡したというお手紙を読んで、狂喜乱舞していた。
(小さい頃、このお寺の玄関では楠木正成が後醍醐天皇を出迎える絵が飾ってあったけどなぁ)
実は何度かこの付近を訪れたことはあるんだけど、いずれも親が運転する車に乗ってきたので土地勘がまるでない。
自分の足で来たの初めて、もうかなりご無沙汰していたから、道に迷い、最初は福海寺へ行ってしまった。
こちらも門前に大きな絵と説明書きがあって「足利尊氏がここで救われて云々~」 あれ? 後醍醐天皇じゃなかったっけ?
よくよく読んだら、こちらは湊川の戦いのエピソードで。ほんにややこしい~
 
ちなみに、このあたりは母親が生まれ育った辺りだそうで、空襲で焼け出されるまで住んでいたそうな。
(といっても幼児期のことだったので、記憶がかなりあやふや)
 
そういう意味で、よく知らない界隈ではあるけど、なんか懐かしいようなところ。
新開地商店街まで戻って、昼食。
 
 最近はきつねうどんよりこぶうどんの方が好き。
 
平野界隈へも行きたかったんだけど、さすがに足が疲れてギブアップ。
うどんを食べた後は帰宅の途についた。
 
平野散策は今年の“いつか”のお楽しみ~
 

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