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「日日是好日」 まえがき その3 森下 典子 

2016年05月09日 00時02分13秒 | 雑学知識
 「日日是好日」 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ 森下 典子 新潮文庫 2008年(平成20年)

 まえがき その3

 毎年、4月の上旬にはちゃんと桜が満開になり、6月半ばごろから約束どおり雨が降り出す。そんな当たり前のことに、30歳近くなって気づき愕然とした。
 前は、季節には「暑い季節」と「寒い季節」の二種類しかなかった。それがどんどん細かくなっていった。春は、最初にぼけが咲き、梅、桃、それから桜が咲いた。葉桜になったころ、藤の房が香り、満開のつつじが終わると、空気がむっとし始め、梅雨のはしりの雨が降る。梅の実がふくらんで、水辺で菖蒲が咲き、紫陽花が咲いて、くりなしが甘く匂う。紫陽花が終わると、梅雨も上がって、「さくらんぼ」や「桃の実」が出回る。季節は折り重なるようにやってきて、空白というものがなかった。
「春夏秋冬」の四季は、古い暦では、24に分かれている。けれど、私にとってみれば実際は、お茶に通う毎週毎回がちがう季節だった。
 どしゃぶりの日だった。雨の音にひたすら聴き入っていると、突然、部屋が消えたような気がした。私はどしゃぶりの中にいた。雨を聴くうちに、やがて私が雨そのものになって、先生の家の庭木に降っていた。
(「生きてる」って、こういうことだったのか! )
 ザワザワと鳥肌が立った。

 お茶を続けているうち、そんな瞬間が、定期預金の満期のように時々やってきた。何か特別なことをしたわけではない。どこにでもある20代の人生を生き、平凡に30代を生き、40代を暮らしてきた。
 その間に、自分でも気づかないうにち、一滴一滴、コップに水がたまっていたのだ。コップがいっぱいになるまでは、なんの変化も起こらない。やがていっぱいになって、表面張力で盛り上がった水面に、ある日ある時、均衡をやぶる一滴が落ちる。そのとたん、一気に水がコップの縁を流れ落ちたのだ。

 森下 典子 1956年(昭和31年)、神奈川県横浜市生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業。大学時代から「週間朝日」連載の人気コラム「デキゴトロジー」の取材記者として活躍。その体験をまとめた「典奴どすえ」を1987年に出版後、ルポライター、エッセイストとして活躍を続ける。(中略)20歳の時から茶道を習い始め、現在も続けている。