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「日日是好日」 「形」と「心」 森下 典子 

2016年05月17日 00時22分32秒 | 雑学知識
 「日日是好日」 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ 森下 典子 新潮文庫 2008年(平成20年)

 第一章 <「自分は何も知らない」ということを知る> 「形」と「心」 P-43

 お茶には、うるさい作法があると噂には聞いてはいた。しかし、その細かさは想像を絶していた。
 たとえば、釜から柄杓で湯を一杓くみ上げて、茶碗に注ぐという、たったそれだけのことにも、たくさんの注意があった。
「あっ、あなた、今、お湯の表面をすくったでしょ。お湯は、お釜の下の方からくみなさい。お茶ではね、『中水、底湯』と言って、水は真ん中、お湯は底の方からくむのよ」
(同じ釜からくむんだから、上だって、底だった、同じお湯じゃないの)
 と思いながらも、言われた通り、柄杓をドブンと釜の底深く沈めた。すると、
「ドブンと、音をさせないように」
「はい」
 くみ上げた湯を、茶碗に注ごうとすると、
「あー、お茶碗の『横』からじゃなく『前』から注ぎなさい」 
 言われるままに、茶碗の「前」からお湯を注ぐ。空になった柄杓から雫がポタッ、ポタッと落ちる。その雫を早く切ろうと、柄杓をちょんちょんと振った。
「あっ、それをしちゃだめ。雫が落ちるのをじっと待つの」
 やることなすこと、いちいち細かく注意され、イライラしてくる。どこもかしこも、がんじがらめ。自由に振る舞える場面など一つもない。
(「武田のおばさん」て、意地悪! )
 私は、四方八方から剣が刺さってくる小さな箱の中で、小さく縮こまっている手品師の助手になったような心境だった。
「おちゃはね、まず『形』なのよ。先に『形』を作っておいて、その入れ物に、後から『心』が入るものなの」
(でも、『心』の入ってないカラッポの『形』を作るなんて、ただの形式主義だわ。それって、人間を鋳型にはめることでしょ? それに、意味もわからないことを、一から十までなぞるだけなんて、創造性のカケラもないじゃないの)
 私は日本の「悪しき伝統」の鋳型にはめられる気がして、反発で爆発しそうだった。

 森下 典子 1956年(昭和31年)、神奈川県横浜市生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業。大学時代から「週間朝日」連載の人気コラム「デキゴトロジー」の取材記者として活躍。その体験をまとめた「典奴どすえ」を1987年に出版後、ルポライター、エッセイストとして活躍を続ける。(中略)20歳の時から茶道を習い始め、現在も続けている。