民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「日日是好日」 なぜでもいいから 森下 典子 

2016年05月15日 00時53分21秒 | 雑学知識
 「日日是好日」 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ 森下 典子 新潮文庫 2008年(平成20年)

 第一章 <「自分は何も知らない」ということを知る> 「なぜでもいいから」 P-38

 二回目のお稽古で初めて、例の「シャカシャカ」かきまわす泡立て器に触った。
「これは『茶筅(ちゃせん)』というのよ」
 細く分かれた竹の穂先が、内巻きにカールしている。
 おばさんは、お湯を少しだけ入れた茶碗の中で、茶筅で弧を描くと、手首をくるりと返して、茶碗のふちにコトリと置いたり、ゆっくりと茶筅をまわしながら、鼻先まで持ち上げたり、奇妙な動作を三度繰り返した。
「はい、やってごらんなさい」
 私たちも、茶筅で弧を描いて手首をくるりと返したり、茶筅を鼻先に持ち上げたりした。なんだか「お焼香」しているみたいな妙な気分だった。
「・・・これ、なんですか? 」
「ん? 穂先が折れてないか、確かめてるの」
「でも、なぜ手首をくるりとやるんですか? 」
「なぜでも、いいの。とにかくこうするの」
「・・・? 」
 おばさんは、白い麻布を持ってきた。
「これは『茶巾(ちゃきん)』よ。見てて」
 そう言うと、小さくたたんだ茶巾を、茶碗の縁にかけて指ではさみ、三度回しながら拭いた。一周全部拭き終えると、茶巾を茶碗の真ん中に置いてごちょごちょ動かした。
「最後に、お茶碗の底に、ひらがなの『ゆ』の字を書くのよ」
「なんで? 」
「なんででもいいの。いちいち『なぜ? 』って聞かれると、私も困るのよね。とにかく、意味なんかわからなくてもいいから、そうするの」
 妙な気がした。学校の先生たちは、
「今のは、いい質問だ。わからないことを鵜呑みにしてはいけない。わからなかったら、その都度、理解できるまで何度も聞きなさい」
 と、言ったものだった。だから私は、「なぜ? 」と疑問を持つのは、いいことなのだとずっと思っていた。
 ところが、なんだかここでは勝手がちがった。
「わけなんか、どうでもいいから、とにかくこうするの。あなたたちは反発を感じるかもしれないけど、お茶って、そういうものなの」
 あの「武田のおばさん」の口から、こんな言葉を聞くなんて、意外だった。
 けれども、そういう時、「武田のおばさん」は、なぜかとても懐かしいものでも眺めるようなまなざしをする。
「それがお茶なの。理由なんていいのよ、今は」

 森下 典子 1956年(昭和31年)、神奈川県横浜市生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業。大学時代から「週間朝日」連載の人気コラム「デキゴトロジー」の取材記者として活躍。その体験をまとめた「典奴どすえ」を1987年に出版後、ルポライター、エッセイストとして活躍を続ける。(中略)20歳の時から茶道を習い始め、現在も続けている。