民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「日日是好日」 武田のおばさん 森下 典子 

2016年05月13日 00時38分15秒 | 雑学知識
 「日日是好日」 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ 森下 典子 新潮文庫 2008年(平成20年)

 序章 <茶人という生きもの> 「武田のおばさん」 P-18

 前略

 武田さんは母の友達となり、私は「武田のおばさん」と呼ぶようになった。
「武田のおばさん」は、生まれも育ちも横浜の下町という、はえぬきのハマっ子である。昭和7年生まれ。この世代の女性としては珍しいキャリアウーマンで、30過ぎまでお勤めをしていたけれど、結婚、出産を機に家庭に入り、専業主婦になっていた。「武田のおばさん」は何となく、身ぎれいな雰囲気を持っていた。すごい美人というわけでもないし、アクセサリー一つ付けたところを見たこともないが、何となくきれいだった。
「武田のおばさん」は、中年女性が集団になった時に発するキンキンした甲高い声で話すことがなかったし、おばさん特有の何かを押し隠したような曖昧な微笑をうかべることもなかった。ふんわりとした優しそうな雰囲気に不似合いなパキパキしたハマっ子言葉を話す。
 まわりとのお付き合いはちゃんとするけれど、ベタベタ連なって行動するのは嫌いらしく、用事がすむと、「それでは、お先に失礼します」と、一人でさっさと群れから離れる人だった。男でも女でも、権力や力を前にすると態度や声色が変わる大人はいっぱいいるが、「武田のおばさん」は誰の前でも変わらなかった。

 私が第一志望の大学を落ちて「浪人しようか」と迷っている時、親やまわりの大人が、
「女なんだから、なにも浪人までしなくたっていいじゃないか。いずれ結婚するんだし」と、判で押したように同じことを言う中で、たった一人「武田のおばさん」だけは、
「典子ちゃん、一番入りたいところへ入りなさい。私は、女だって仕事を持って、思い切り生きるべきだと思うわ」
 と異なる意見を持っていた。「私は○○だと思うわ」と、自分の考えをはっきりしゃべる中年のおばさんは、初めてだった。そして、私が「浪人しない」と決めると、「そう。あなたが自分で決心したなら、それでいいのよ。自分の出した結論に従って、それでよかったと思えるように生きていきなさいね」
 と言った。
「武田のおばさん」には、いつも、ゆとりとか豊かさが感じられた。だけど、それはいわゆる「お金持ちの奥さん」とは、ちょっとちがう雰囲気だった。まだ主婦の大半が、夫の出世と子供の受験だけを見つめて生きていたあの時代に、もっと広いおとなの世界を知っているような感じがした。

「あの人『茶人』だからね」
 あるとき母が言った。
「『茶人』って、なに? 」
「茶道をやってる人のことよ。武田さん、若いときから、ずっとお茶習っていたんだって。先生の看板を持ってるらしいよ。やっぱり、どこかちがうもの。私は一目見て、この人はタダモノじゃないとピンと来た」
「ふぅーん・・・」
 茶道なんて、よその世界のことだった。「シャカシャカ」と泡を立て、なぜかお茶碗を回してから飲むらしい。
「武田のおばさん」の何とも言えない身ぎれいさや、ものに動じない人柄が、「茶道」とどう関係あるのかはわからなかった。でもその時、初めて耳にした「茶人」という言葉の凛とした響きが耳の底に残った。

 後略

 森下 典子 1956年(昭和31年)、神奈川県横浜市生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業。大学時代から「週間朝日」連載の人気コラム「デキゴトロジー」の取材記者として活躍。その体験をまとめた「典奴どすえ」を1987年に出版後、ルポライター、エッセイストとして活躍を続ける。(中略)20歳の時から茶道を習い始め、現在も続けている。