「日日是好日」 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ 森下 典子 新潮文庫 2008年(平成20年)
第二章 <頭で考えようとしないこと> 「習うより、慣れろ」 P-52
ひたすらお点前を繰り返す稽古が始まった。
「一礼しますよ。・・・一呼吸して。まず、『こぼし』を膝のあたりまで進めなさい」
「『こぼし』・・・? 」
思わず視線が泳ぐ。道具と名前がなかなか一致しないのだ。
「あなたの左にあるでしょ」
「こぼし」とは、すすぎ水を捨てるボウルである。
「お茶碗を自分の前に置いて。・・・棗(なつめ)を、お膝とお茶碗の間に置きますよ」
私は棗をスッと、真横からつかんだ。
「あ、そうじゃないの。棗は、こうやって持つの」
先生は、棗の肩にななめ上からふわりと柔らかく手をかけ、
「これを『半月をかける』といいますよ」
と、言った。
「・・・はい、そしたら袱紗(ふくさ)さばきね」
言われるまま、袱紗をさばいて「パン! 」と「ちり打ち」し、小さくたたむ。
「それで棗の上を『こ』の字に拭きますよ」
私はただただ先生の指図に従って、道具を右から左へ動かしたり、拭いたり、蓋を開けたり閉めたりした。言われたとおり動いているだけで、自分が何をやっているのか全くわからなかった。
三回やっても、五回やっても、十回やっても、同じだった。
毎回、同じセリフを聞きながら、道具を右から左へ動かしたり、拭いたり、蓋を開けたり閉めたりした。
「あ、棗の持ち方がちがう。半月かけて」
「そこは右手で持って、左手に持ち替えるんでしょ」
毎回、何十ヵ所も注意された。
「何やってうのか、全然わからないよ! 」
「私も、ずっと一回目と同じみたいな気がする。手順が覚えられないの」
「そうなの。何回やっても、最初と同じ状態」
稽古が終わると、帰り道、ミチコ(一緒に習いはじめたいとこ)と喫茶店でぼやきあった。武田先生は、
「稽古は、回数なのよ。一回でも多く数を重ねることよ。『習うより、慣れろ』ってよく言うでしょ」
と、毎週、同じ言葉を繰り返した。
「はい、そこで一礼。一呼吸して。そしたら、『こぼし』を進めますよ。それからお茶碗ね。次は、棗・・・。はい。そしたら袱紗さばきね」
十五回繰り返し、二十回繰り返した。「こぼし」「茶筅(ちゃせん)」「茶杓(ちゃしゃく)」という名前に視線がウロウロすることはなくなったが、やっぱり何をやっているのかわからなかった。
袱紗をさばいて、固まる。
(・・・? )
「棗を拭くのよ」
「柄杓を持って、また固まる。
「あら、その柄杓を持ってどうするつもり? 」
「お茶の蓋をあけなきゃ、お湯はくめないんじゃない? 」
いちいち先生が指図してくれなければ、動けない。
このままではいつまでたっても最初と同じままだ。なんとか点前を覚えようと、「えー、こぼし→茶碗→棗、それから、えーと、袱紗・・・」
「あっ、ダメ、覚えちゃ! 」
先生に、ぴしゃりと止められた。
「そうやって、頭で覚えちゃダメなの。稽古は、一回でも多くすることなの。そのうち、手が勝手に動くようになるから」
先生はいったい何を言っているのだろう。こんなにいっぱい注意をしておいて、「覚えるな」なんて、理不尽だ。これほどまで複雑で細かな動きの手順を、覚えようともしないで覚えられるわけなどないではないか。
森下 典子 1956年(昭和31年)、神奈川県横浜市生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業。大学時代から「週間朝日」連載の人気コラム「デキゴトロジー」の取材記者として活躍。その体験をまとめた「典奴どすえ」を1987年に出版後、ルポライター、エッセイストとして活躍を続ける。(中略)20歳の時から茶道を習い始め、現在も続けている。
第二章 <頭で考えようとしないこと> 「習うより、慣れろ」 P-52
ひたすらお点前を繰り返す稽古が始まった。
「一礼しますよ。・・・一呼吸して。まず、『こぼし』を膝のあたりまで進めなさい」
「『こぼし』・・・? 」
思わず視線が泳ぐ。道具と名前がなかなか一致しないのだ。
「あなたの左にあるでしょ」
「こぼし」とは、すすぎ水を捨てるボウルである。
「お茶碗を自分の前に置いて。・・・棗(なつめ)を、お膝とお茶碗の間に置きますよ」
私は棗をスッと、真横からつかんだ。
「あ、そうじゃないの。棗は、こうやって持つの」
先生は、棗の肩にななめ上からふわりと柔らかく手をかけ、
「これを『半月をかける』といいますよ」
と、言った。
「・・・はい、そしたら袱紗(ふくさ)さばきね」
言われるまま、袱紗をさばいて「パン! 」と「ちり打ち」し、小さくたたむ。
「それで棗の上を『こ』の字に拭きますよ」
私はただただ先生の指図に従って、道具を右から左へ動かしたり、拭いたり、蓋を開けたり閉めたりした。言われたとおり動いているだけで、自分が何をやっているのか全くわからなかった。
三回やっても、五回やっても、十回やっても、同じだった。
毎回、同じセリフを聞きながら、道具を右から左へ動かしたり、拭いたり、蓋を開けたり閉めたりした。
「あ、棗の持ち方がちがう。半月かけて」
「そこは右手で持って、左手に持ち替えるんでしょ」
毎回、何十ヵ所も注意された。
「何やってうのか、全然わからないよ! 」
「私も、ずっと一回目と同じみたいな気がする。手順が覚えられないの」
「そうなの。何回やっても、最初と同じ状態」
稽古が終わると、帰り道、ミチコ(一緒に習いはじめたいとこ)と喫茶店でぼやきあった。武田先生は、
「稽古は、回数なのよ。一回でも多く数を重ねることよ。『習うより、慣れろ』ってよく言うでしょ」
と、毎週、同じ言葉を繰り返した。
「はい、そこで一礼。一呼吸して。そしたら、『こぼし』を進めますよ。それからお茶碗ね。次は、棗・・・。はい。そしたら袱紗さばきね」
十五回繰り返し、二十回繰り返した。「こぼし」「茶筅(ちゃせん)」「茶杓(ちゃしゃく)」という名前に視線がウロウロすることはなくなったが、やっぱり何をやっているのかわからなかった。
袱紗をさばいて、固まる。
(・・・? )
「棗を拭くのよ」
「柄杓を持って、また固まる。
「あら、その柄杓を持ってどうするつもり? 」
「お茶の蓋をあけなきゃ、お湯はくめないんじゃない? 」
いちいち先生が指図してくれなければ、動けない。
このままではいつまでたっても最初と同じままだ。なんとか点前を覚えようと、「えー、こぼし→茶碗→棗、それから、えーと、袱紗・・・」
「あっ、ダメ、覚えちゃ! 」
先生に、ぴしゃりと止められた。
「そうやって、頭で覚えちゃダメなの。稽古は、一回でも多くすることなの。そのうち、手が勝手に動くようになるから」
先生はいったい何を言っているのだろう。こんなにいっぱい注意をしておいて、「覚えるな」なんて、理不尽だ。これほどまで複雑で細かな動きの手順を、覚えようともしないで覚えられるわけなどないではないか。
森下 典子 1956年(昭和31年)、神奈川県横浜市生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業。大学時代から「週間朝日」連載の人気コラム「デキゴトロジー」の取材記者として活躍。その体験をまとめた「典奴どすえ」を1987年に出版後、ルポライター、エッセイストとして活躍を続ける。(中略)20歳の時から茶道を習い始め、現在も続けている。