民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「悟りの怪」(さとりの化け物) 野村 純一

2013年06月10日 00時15分11秒 | 民話(昔話)
 「悟りの怪」(さとりの化け物) 「会津百話」より 「昔話の旅 語りの旅」 野村 純一
 
 山の小屋に、じいさまがひとりでいやったど。

 そうしたら、へたな奴が寄って来て、マンダリマンダリしていると。
そうしたら、気味(きんび)が悪(わり)くなって、囲炉裏(ゆるり)さ燃していた。

 燃えほたを取って、叩(はた)くべぇとすると、
「にしゃ、その燃えほたでおれを叩(はた)くべぇと思う気持ちだなあ」
火箸を掴むと、
「にしゃ、その火箸でおれを叩(はた)くべぇと思う気持ちだなあ」
そう言(ゆ)ったけど、何を掴んでも、じっき悟られてしまうもんだから、
じいさまは仕方がねぇもんだから、黙って曲げ物を始めやったど。

 そうしたら、曲げ物が手がらターンとはずれて、ぶっ飛んで、
へたな奴の額(ひてい)にパチーンとぶっかったど。

 そうしたら、へたな奴は、たまげて逃げて行ってしまったど。

 それは悟りと言(ゆ)うものだったと。

「越後毒消し売りの女たち」 桑野 淳一

2013年06月08日 00時45分46秒 | 民話の背景(民俗)
 「越後毒消し売りの女たち」角海浜(かくみはま) 消えた美人村を追う旅   桑野 淳一 著

 坂口安吾の見た村

 「あの坂口安吾も角海浜にやって来たようですが?」
「いや、彼は角田浜に入ったんだ。少し村を回って記事を書いたんだ。」

 なるほどそうだろう。坂口安吾の文章は明るいタッチで書かれている。
その情景は、この目の前にある斉藤さんの写真の情景とは一致しない。
安吾は、「現代日本紀行文学全集 中部日本編」の中で、

 『煎じ詰めて言えば、富裕というものは全てを明るく照らす。
従って角田は北国には珍しく明るさを持つ集落となっている。
いかに、北国の雪とふぶきが強烈で暗鬱としたものであっても、
いかに冬の日本海が悲しみの色に塗り込められていようとも、瀟洒な邸宅はそのことを忘れさせて、
明るい南国のイメージへと見る者を導いてくれる。
しかし、当然のことであるが、最初はそのような邸宅があった訳ではない。
やはり砂丘は悲しい貧困の旋律を刻み、女達は毒消しの行商に出ねばならなかったのだった。
米を買うために。

 事の起こりは、この一行だった。
米が作れない貧しき農家が米を買うために、村の女は毒消しの行商に出たのだった。

 どうだろう、年齢は16、17から45、6までの妙齢の女をかき集めるだけ集めれば、
ざっと千人をこえるであろうか。
これだけの女が打ち揃って、小さな集落を出て日本全国に毒消しの行商に出たのだった。
当時、毒消し売りの歌がはやった。
流行歌である。
全国の各地で子供から大人までこの歌を唄って毒消しを迎えた。
迎えたというより、子供たちはこの歌を唄って女のうしろに続いた。
また大人は大人で、
「歌を唄ってくれたら、買うけど」
などとからかった。
女はお金のためにじっと我慢して、時に歌を唄い、毒消し売りに専念した。
彼女らの心には、
「故郷に帰れば土蔵に石の塀、立派な門構えの邸宅。
なんだお前らのあばら家は。
私はお金と友達だから我慢しているが、貧弱な家にしか住めない者が威張るんじゃないよ」
という思いが沸々と湧いていたことだったろう。

 ともあれ越後の西蒲原という地は小作争議発祥の地で日本一の貧農地帯であった。
その貧農地帯の中でもとりわけ交通の便の悪い村に堂々たる蔵が建ち並んでいるのである。
他の日本のどの裕福な農村も敵わないであろう邸宅の居並ぶ村なのだ。

 富山の薬売りが田舎周りをしながら、「田舎の者は薬を飲まない」と言って敬遠して、
町場の人々を相手にしている。
これに対して、越後の毒消し売りは、富山のように薬だけを商うのではなく、日用品全般を扱って歩く。
化粧品の類から、鋏(はさみ)、ナイフ、ヘアピンは言うに及ばず、果ては反物、シャツなどを売り歩く。
まさに歩く百貨店であり、事実彼女らもそれを自認していた。
従って、商いの地は物の揃わない農村地帯となる。
たいていは町場に部屋を(あるいは家一軒まるごと)借りていて、そこに一団となって泊まり、
そこから農村部へ散開して入る。
富山の薬売りは商人宿に泊まるが、毒消しはそういう無駄はしない。

 毒消しは年配の女を親方として、その下に子供と呼ばれる売り子が属して一団を形成している。
このことが、つまり旅館に泊まらずに極力必要経費を抑えることができるのは、女のこまやかさであり、
蔵が建つ一番の要因であろう。
彼女らは男のように仕事しながら遊ばないのである。

 昔は一年のうち半年ほど行商に出ていたのであるが、近年は正月とお盆、
それに春秋の村祭りに帰るだけで一年のほとんどを旅空の下で過ごす。
常に一団を組んで合宿しているのだから個人行動はできず、従って身持ちも固い。
しかし年のうち十ヶ月も旅をしていれば中には男ができるケースがあっても不思議ではない。
たいていは既婚の女がそうなることが多いようであるが、
亭主はそれが解っても女の収入が多いのでじっと我慢するしかない。
家庭不和が生じる例はほとんどないのである。
その甲斐あって、村には蔵が建つのであるから。

 このことでも解るように男が遊興に散財して、女が我慢するのはどこにでも破産のパターンである。
これに反して、男がじっと我慢するパターンは蔵が建つ。

 女は金のために村を出て、金を稼いで村に戻って来る。
彼女らにとって本当の男は自分の村の男だけなのだ。
蔵を背後にした邸宅で悠々たる生活を送る無能ぶりこそお大尽の品格なのである。』

 と、安吾は毒消し最盛期の模様を書いている。

「長文暗記と言語回路」 渡辺 哲雄

2013年06月06日 00時58分34秒 | 日本語について
 「長文暗記と言語回路」 渡辺 哲雄のコラム (老いの風景の作者) 平成20年

 大人になってからは忙しさに紛れてすっかりなりを潜めていた私の長文暗記欲求でしたが、
郡上八幡が産業祭に招いたバナナの叩き売りを聞いて久しぶりに胸が躍りました。
だみ声で背が低く、ラクダの腹巻をした大阪の芸人は、バナナを山のように積み上げた長机の端を、
五十センチほどの柔らかな棒で叩いてリズムをとりながら、
「バナちゃん節」と称する長い歌を披露しました。

 台湾から海を越えてはるばるやって来たバナナの旅を面白おかしく紹介する歌でしたが、
私にとってその長さがたまらない魅力でした。

 やがて歌詞は「叩き売り」の内容に変わり、男はひと房のバナナの値段をどんどん下げて行きました。

「まず最初が八百円、えもさいさい七百円、お高い相場じゃないけれど、こちらがバナちゃん本家なら、
そういう高値を言うじゃない、そういう高値で売るじゃない」で始まる叩き売りの歌は、
「ならこいつがごんぱち(五十八)か、権八ゃ昔の色男、これに惚れたが小紫、ねえあなたあ権八っつぁん、生きてこの世で添えなけりゃ、死んであの世で添いましょと、めでためでたでさあ負けて、
ならこいつが五十と五お、ゴンゴン鳴るのは鎌倉の、鎌倉名物寺の鐘、その音数えりゃ五十三か、
五十三次ゃ東海道、一の難所が箱根山、越すに越されぬ大井川…ほら負けては四七かぁで、四百七十円。
どや?買わんか?世間で買うたら七百円、八百円する高級バナナがわずかの四百七十円…ん?
どや?カネないのんか?厳しい…厳し過ぎる…よし、待っとれ、こうなったらやけくそやで…まだ負けよ。四十七士の討ち入りは、時は元禄十五年、雪のチラチラ降る晩に…」

 といった調子で、故事や名所を織り込みながら、とうとう百円まで値段を下げたあげく、
「これ百円言うたなら、台湾銀行は総つぶれ、売った私の身の上は、家は断絶身は夜逃げ、
夜逃げする身は厭わねど、あとに残りしノミしらみ、明日から誰の血を吸うて生きるやら、それ思うたら、これ百円では売られんぞ」と意表を突くのです。

 そして、「こんな大きなバナナ、百円である訳がない。
しかしスーパーで買うたら四百円、五百円は確実にする品物ですが、四百円が要らない。
三百円が要らんで。二百五十円、二百円、どや、まずはこれ二百円でお買い求め頂きましょう」

 気持ちのほぐれた客たちと軽妙なやり取りをしながら男は積み上げたバナナを全て売り切りました。
何だかんだで一時間は優に越える叩き売りの一部始終を小型のテープレコーダーに録音して、
私は暇さえあれば暗誦に没頭しました。
目的があるわけではありません。
これだけ長いものになると余興で披露することもできません。
ただ長文を暗記することに不思議な喜びと達成感があるのです。

 なぜ山に登るのかという質問に対して、そこに山があるからと答えた登山家は有名ですが、
亭主の好きな赤烏帽子。人間の欲求は本来そういうものかもしれませんね。
町で、よくもまあとびっくりするくくらい大量の鉢植えを玄関先に積み上げた家を見ることがありますが、手頃な緑を見つけると鉢植えにしなくてはいられないのでしょう。
 
 私の場合は長文の暗記でした。

「江戸しりとり歌」

2013年06月04日 00時45分28秒 | 名文(規範)
 「江戸しりとり歌」  ネット(牡丹に唐獅子)より

 牡丹に唐獅子 竹に虎 虎をふんまえ 和藤内
内藤様は さがり藤 富士見西行 うしろ向き
むき身蛤 ばかはしら 柱は二階と 縁の下
下谷上野の 山かずら 桂文治は 噺家で
でんでん太鼓に 笙の笛 閻魔はお盆と お正月 
勝頼様は 武田菱 菱餅 三月 雛祭
祭 万燈 山車 屋台 鯛に鰹に 蛸 鮪
ロンドンは異国の 大港 登山駿河の お富士山

 三べんまわって 煙草にしょ 正直正太夫 伊勢のこと
琴に三味線 笛太鼓 太閤様は 関白じゃ
白蛇のでるのは 柳島 縞の財布に 五十両
五郎十郎 曽我兄弟 鏡台針箱 煙草盆
坊やはいいこだ ねんねしな 品川女郎衆は 十匁
十匁の鉄砲 二つ玉 玉屋は花火の 大元祖
宗匠のでるのは 芭蕉庵 あんかけ豆腐に 夜たかそば
相場のお金が どんちゃんちゃん ちゃんやおっかあ 四文おくれ

 お暮れが過ぎたら お正月 お正月の 宝船
宝船には 七福神 神功皇后 武内
内田は剣菱 七つ梅 梅松桜は 菅原で
わらでたばねた 投げ島田 島田金谷は 大井川
かわいけりゃこそ 神田から通う 通う深草 百夜の情
酒と肴は 六百出しゃ気まま ままよ三度笠 横ちょにかぶり
かぶりたてに振る 相模の女 女やもめに 花が咲く
咲いた桜に なぜ駒つなぐ つなぐかもじに 大象とめる

 幕末期の文久2年(1862年)頃から歌い始められたとされる、代表的なしりとり歌。
「ロンドン」という言葉が出てきますので、幕末よりも明治というイメージがしますけどね。
お手玉唄・子守唄としても歌われていました。
明治初期にかけて非常な人気を呼び、おもちゃ絵やすごろく等にも用いられたそうです。
最後はまた「牡丹」で終わるとも聞いたのですが、知ってる方がいたら教えてください~。

参考文献 柳原書店『日本わらべ歌全集7 東京のわらべうた』