民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「ん廻し」 落語

2013年11月19日 00時32分28秒 | 伝統文化
 「ん廻し」 落語

 長ゼリフで有名な落語と言えば「寿限無」ですが、
実は「ん廻し」っていう落語でも長ゼリフが出てきます。
お酒を飲みながら「ん」がつく言葉を一つ言うごとに 
田楽を一枚進呈するゲームをしている 落語なんですが、そこで出てくるセリフ。

「せんねん しんぜんえんの もんぜんの やくてん 
げんかんばん にんげん はんめん はんしん 
きんかんばん ぎんかんばん きんかんばん こんぽん まんきんたん 
ぎんかんばん こんげん はんごんたん 
ひょ~たん かんばん きゅ~てん」

 これでこの人は43本もらっていきます。

 漢字で書くと、

「先年 神泉苑の 門前の 薬店、
玄関番 人間 半面 半身、
金看板 銀看板、金看板 根本 万金丹、
銀看板 根元 反魂丹、
瓢箪 看板 灸点」

 さあ、みなさんも田楽を43本もらってみましょう!

「時そば」 斎藤 孝

2013年11月17日 00時47分59秒 | 伝統文化
 「時そば」 声に出して読みたい日本語 11 所載  斎藤 孝

 そばの代金を払うとき、途中で時間を聞いて、ごまかす奴がおりました。

「いくらだい?」
「十六文いただきます」
「小銭だぁ、間違えるといけねえな。勘定してやろう。手ぇ出してくんねえ」
「これへいただきます」
「そうかい、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、
今、何刻(なんどき)だい?」
「へえ、九刻(ここのつ)で」
「とお、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうし、じゅうご、じゅうろく」
勘定を払って、ぷいって行ってしまう。

 一文をごまかしたのを見て、次の日の夜、
真似をしたのが与太郎。
ところが違う時間に行ったので、かえって損をしてしまいます。

「おい、いくらだい?」
「へえ、ありがとうぞんじます。十六文いだたきます」
「小銭だぁ、間違えるといけねえな。勘定してやろう。手ぇ出してくんねえ」
「これへいただきます」
「そうかい、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、
今、何刻(なんどき)だい?」
「へえ、四刻(よっつ)で」
「いつつ、むっつ、ななつ、やっつ・・・・・」

「夜店風景」 立川 談志

2013年11月15日 22時57分13秒 | 伝統文化
 「夜店風景」 「書いた落語傑作選 1」 所載  立川 談志 著

 世の中には偽物売りはいくらもあるが、ここまでクダラナイと心地がいいもんで・・・・・。
サァ、皆サン、諸君、大衆、同胞(はらから)よ、皆集まってくれて「感謝、感謝、雨小便」
いや、冗談はサテおいて、今日は一つ、このセチ辛い世の中、
物質(もの)の値段は上昇(あ)がるが給料は上がらない、
上がらないから「もしも、給料が上がったら」と歌になる。
月給が上がることが現実でなく「夢」なのだ。

 で、諸君、この生活(くら)し難(にく)いこの現在で、いかにしたら、それが楽になるのか、
これが世の人々の希望であり、夢であろう。
その期待が見事に叶う解答が書かれているのが、この本だ。
この薄い本・・・・・本なんて厚けりゃいいてぇもんでない。
肝心な事が書いてないから、厚くなる。
つまり無駄ばかりだ。
物事の本質、真理なんざァ、そのものズバリ短くてすむ。
いや短いものなのである。

 なら、この薄い一冊の本に、どんな内容が詰まっているか、この興味深い内容の一端を紹介する。
五つの項目に分かれている。
まず、その一だ。
何と「一(ひ)と月、十円で食える方法(ほう)」という。
どうだ諸君、君たちは月に何円収入(はい)り、いくら支出(で)る。
何と一と月、十円で食えるのだ。
この答えがこの本の第一章に出ている。
次が凄い。
電気、ガス無くして明るくなる法。
三つ目は、釜無くして飯を炊く法。
四つ目が、酒無くして酔える法。
終わりは、泳ぎを知らずして水に溺れぬ法。
 毎年、夏になると水難の事故が多い。
これを覚えてそれらを無くすこと、また泳げない人は是非これを読んでもらいたい。

 さて、この通り、人生に有為なる事柄を書いた本、
本来、これが書店の棚に並べられると、まずは一円五十銭と値段がつくが、
これはその前の段階だから、本屋の利益が入っていない。
加えて、吾が輩の親切、世のため人のために「この本を読んでほしい」という、素直な気持ちである。
気持ちとしては無料(ただ)で進呈してもいいのだが、吾が輩にもやはり守るべき生活というものがある。
従(だによ)って紙代・印刷代だけだ。
五十銭にしてあげるから、サァ、持ってってくれ。
ハイ、次、ホラッ・・・・・オイオイそこで頁(ページ)を開けるな、読むな、
買わない奴が横から只(ただ)読んじまう。
家に帰ってゆっくり読んで人生の参考にしてもらいたい。
吾が輩は次の場所に行って人々を幸福にしてくるから、アー、グッドバイ。

 どうでえ、いい本にぶつかったねェ。
大助かりだ、「一と月、十円で食えるよ」とよ、えーと、答えは、ナニ?
「ところ天を食え」・・・・・?
ところ天が何で一と月なんだ?
ところ天は「一と突き」・・・・・、アラッ、「一と突き」、「一と月」だ。
そりゃァところ天なら「一と突き、十円」で食えらァ。
巫山戯(ふざけ)てやんねェ・・・・・喧嘩ンならねえ。
ま、これは洒落だよ。
次だ。ね、「電気、ガス無くして明るくなる法・・・・・」。
ナニ?「夜明けを待つべし」・・・・・。
当たり前じゃァねぇか。
夜が開けりゃァ明るくならァ・・・・・。
次は何だ?えーと、そうだ、「釜無くして飯を炊く法」。
「鍋で炊け」
やりやがったな・・・・・。
四つ目は?「酒無くして酔える法」。
「ビールを飲め」「ウイスキーならなおよし」
何ィ、言いやがる。
最後の一つでもありゃ安いけど・・・・・。
五つ目は?えーとぉ、「泳ぎを知らずして水に溺れぬ法」か・・・・・。
「まず裸になれ」
そりゃァそうだ。こりゃァ本物だ。
「裸になって、腹に墨で横に一文字を書く。
・・・・・はあ・・・・・?
まじないかな。
「それより深いところに入るな」・・・・・。
冗談言っちゃいけなぇ・・・・。

「夜店風景」でございます。

 馬風師匠(勿論先代「鬼の馬風」だ)が演(や)った。
バカバカしくて楽しかった。
こんな落語(もの)ァ、どこの落語集にも載るまいから、本書に記しておいた。
・・・・・けどネ、「電気、ガス無くして明るくなる法」は「夜明けを待つべし」はいい。
その通りだ。
間違ってないばかりか、人間の本質を衝(つ)いている。
人間本来明るくなったら寝りゃァいいのだ。
それを明るくして「何かしよう」なんて了見は自然に反する。
黙って夜明けを待てばいいのである。

 時代背景からいえば、その時の「ところ天」の値段でいいのだが、
やはり、「一と月、十円で食える法」というのが私ゃ好きだ。
「一と月、十円」というフレーズはいい。

「キャラクターと間取りまで考える」 立川 談四楼 

2013年11月13日 00時14分51秒 | 伝統文化
 「記憶する力 忘れない力」 立川 談四楼 著  講談社新書 2010年

 「キャラクターと間取りまで考える」 P-109

 ケイコの折の質問はもちろん許されます。
分からないところを解決するのはいいことだからです。
質問しないと分かっているものだと判断され、後で往生します。
後輩の質問に答えられないからです。
噺の出どこ(出典)、それぞれの流派の演出法、決まった型や形などはやはり確認しておく必要があるのです。

 二つ目になるかならないかの頃、ケイコをつけてもらいながら、質問を受けたことがあります。
逆質問ですね。
いや、あれは詰問でした。
そう、詰問の嵐、談志が速射砲のように言ったのです。

「おまえが演る八五郎の年はいくつだ?」
「二十四、五かと」
「仕事は?」
「大工です」

 この辺まではよかったのですが、

「身の丈、身長は?」
「太ってんのか、痩せてんのか?」
「カミさんはいるのか、一人者か?」
「酒はどれくらい飲む?」
「バクチは好きか?」
「ケンカはどうだ?」
「生まれはどこで親はどうしてる?」

 私があまりに受身で手応えがなかったための質問かと思われますが、まったく答えられませんでした。
でも、詰問は更に続いたのです。

「隠居の年はいつくだ?」
「連れ合いの婆さんの年は?」
「いくつで隠居したんだ?」
「それまでの仕事は何だったんだ?」
「倅に家督を譲ったとして、その倅はどこで何してるんだ?」
「倅はときどき来るのか?」
「こっちから行くのか?」
「孫はいるのか?」
「で、八公はどのくらいの頻度で隠居を訪ねてくるんだ?」

 グゥの音もでませんでしたね。
そこまで踏み込んで考えたことはなかったのですから。
ダメ押しがありました。
「そんなことでよく落語をやってるな」です。

 「間取りが分かって演っているのか」との詰問も堪(こた)え、頭に思い描くことにしました。
隠居の家は八っつぁんの住む九尺(くしゃく)二間の棟割長屋と違い、小さいながらも一軒家で、戸は引き戸です。これを開け、

「こんちは」
「おや八っつぁんじゃないか、まあ、お上がり」

 入ったところが土間、三和土(たたき)で、上がり框があって、すぐの部屋にご隠居。
ご隠居の前には長火鉢があり、五徳の上の鉄瓶からは湯気が上がっている。
で、その辺に猫がいたりいなかったり。
次の間は六畳で、床の間にはご隠居自慢の掛け軸がかかっていて、これまた自慢の屏風がある。

「婆さん、八っつぁんが来たよ。お茶入れて」

 ご隠居の左後ろにお勝手があり、婆さんはそこにいる・・・・・。
 これから二人のやりとりが始まり、間取りは直接お客に伝えるわけではありませんが、頭に思い描きながら演じると、まず演者自身が安心するのです。

 後略

「八人芸」 立川 談四楼

2013年11月11日 00時05分01秒 | 伝統文化
 「記憶する力 忘れない力」 立川 談四楼 著  講談社新書 2010年

 「仕事に幅を持たせる厚み」 P-106

 前略

 立川流でいうと、落語だけでなく唄も踊りもということで、それが芸の厚みにつながるのです。
 
 この反面教師が、他の一門のある前座クンです。
ケイコをつけ、「覚えた」というので”上げ”に来たのですが、その落語を聞いて驚きました。
いわゆる”八人芸”と言われる演じ方なのです。

 八人芸とは登場人物を描き分ける時、必要以上に声音(こわね)を変えることです。
女や子どもの声を高く張り、大家や隠居の声を喉を絞って低くするというようなことで、
女を演じる際、何度も襟元に手をやったり、鬢(びん)を掻(か)き上げる仕草もそれに当たります。

 当人は人物になりきっているつもりなのですが、それは表面的ななりきり方で、
八人芸は客からすれば目ざわり耳ざわりでうるさく、落語家としてやってはならないことの一つなのです。

 お客との信頼関係が大切です。
女であること、隠居であることが伝わればいいのです。
お客が了解したらそれでよしで、あとはもう普通に演じればいいのです。
お客の信頼が得られるか否かが、そこにかかってきます。
前座や二つ目がお客に身を入れて聞いてもらえないのはそこに問題があるからで、
また、一瞬のうちにお客との信頼関係を結ぶのは至難の業で、何度も何度も高座に上がり、
ひどい目にあいながら体で覚えていくものなのです。

 中略

 前座クンは、アマチュア落語の経験がありました。
八人芸でウケてきたのです。
それでついということなのですが、プロはそんなあざとい演出はしません。
淡々と語りつつ、お客の頭の中にシーンを現出させるのです。

 後略