民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「風が吹けば桶屋が儲かる」 立川 談四楼

2013年11月09日 00時16分22秒 | 伝統文化
 「声に出して笑える日本語」 立川 談四楼 著   光文社 知恵の森 文庫  2009年

 なぜ風が吹くと桶屋が儲かるか?

 「風が吹くと、昔の道路は舗装されてませんから、埃(ほこ)りが立ちますね。
この埃りが目に入り、目を患う人が増えます。
人は目を患うと外出がままならなくなります。
しかし、人はどんな状況下にあっても娯楽を求めるものです。
で、屋内の娯楽に関心を向け、唄などを中心とした邦楽に親しむわけです。
邦楽には三味線が欠かせませんね。
その三味線の需要がグングン伸びます。
三味線の皮は何でできているかご存知ですよね。
そう、猫です。
三味線の需要が増えるということは、猫の需要が増えるということです。
世の中から猫が姿を消します。
猫がいなくなるとどうなりますか。
そう、鼠(ねずみ)が増えるんです。
その増えた鼠が桶を齧(かじ)るんです。
で、新しい桶を売ったり、齧られた桶を修理したりで桶屋が儲かる、というわけなんです。」

「風呂敷」 古今亭志ん生

2013年11月07日 00時48分28秒 | 伝統文化
 「声に出して笑える日本語」 立川 談四楼 著   光文社 知恵の森 文庫  2009年

 (古今亭志ん生の)「風呂敷」という落語では、
女房を相手に怪し気な中国(もろこし)の諺(ことわざ)を振り回す。

 「『女三階に家なし』っておめえは知らねえだろう」
 「何だい、そりゃ」
 「いや、だから、女は三階にいちゃいけねえってンだ。
一階に用があったらいちいち降りてこなくちゃいけねえだろう。
だから女は一階にいろと、こういうこった。

 『じかに冠(かんむり)をかぶらず』ということを言う。
じかに冠をかぶったら痛いだろう。
だから冠をかぶる時にゃガーゼかなんかをまず敷いて、それからかぶれという戒めなンだ。

 それから『貞女、屏風(びょうぶ)にまみえず』と言う。
貞女がいるのはいいンだ。
貞女がいるのはいいンだけども、その前に屏風があったらせっかくの貞女が見(め)えなくなっちゃう。
だから貞女の前に屏風を立てちゃいけねえという教えなんだ、わかったか。

 それからこういうことを言うよ。
『おでんに靴をはかず』だ、どうだ」
 「なんでおでん食うとき靴をはいちゃいけないンだよ」
 「バカだなァおめえ、考えてもみろよ。
おでん食うとき靴をはいててごらん。
屋台を引いてるおでん屋のオヤジはどう思う?
あ、この人は靴をはいてるけども、カネを払わずに駆け出したら早えだろうなって心配するじゃねえか。
だからおでんを食うときにゃ下駄とか雪駄にしろということなンだよ・・・・・」

 ものすごい解釈だ。
初めて聞いた時から笑いっぱなし、
こういうのって元の諺を知らなくても演者のキャラクターで笑えるんですね。
因(ちな)みに元の諺は、順に「女三界(さんがい)に家なし」「李下(りか)に冠を正さず」
「貞女両夫(りょうふ)に見(まみ)えず」「瓜田(かでん)に靴を納(い)れず」であります。
三界が三階、李下がじか、両夫が屏風、瓜田がおでん、
すべてそこからの展開で、いや志ん生、飛びっぷりが素晴らしい。

 この「風呂敷」youtubeで、唯一(私の確認している限り)、動いている志ん生が見れます。

 https://www.youtube.com/watch?v=LryfU7Ej9Ls

「千人行列」 マイ・エッセイ 4

2013年11月05日 00時25分03秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「千人行列」

                         
 私が所属している民話の会は「宇都宮伝統文化連絡協議会」に入っている。
郷土芸能や伝統工芸、郷土料理の担い手、それに民話語り部の集まりで組織された会である。
 今年の五月十八日、そこの主催で、日光の千人行列(正式には百物揃千人武者行列)を見学するツアーがあった。私は前から一度見てみたいと思っていたので参加し、専門家の解説つきで千人行列を充分楽しむことができた。
 そして十月十六日、日光、霧降高原のホテルで一泊する懇親会があった。総勢十七人(男、十三人、女、四人)みんな宇都宮近辺に住む、同じ趣味を持つ仲間たちだ。朝まで台風二十六号(伊豆大島で大変な被害があった台風)が吹き荒れていた午後、ホテルの屋上の露天風呂から眺める景色は格別で、遠く、東京のビルディング街が見えたのには驚きだった。
 次の朝、みんなで朝食をとっていると、女性のひとりが「今日は千人行列やってるから行ってみない?」と言う。私が「えっ、千人行列、春に行ってきたよ」って言うと、「秋にもやるんだよ」と言う。「へぇー、知らなかった」結局、行くことに決まって、私もつきあうことになった。六十余年生きてきて、今年初めて見れたというのに、春と秋の両方を見れることになった。けっこう早めに着いたので観光客はそれほどいなかったが、始まる時間になると一キロほどの道の両側にびっしりと人だかりができた。仲間たちは最前列に場所を確保している。私は春に見ているので余裕、後ろの石垣にすわって、隣の地元から来たというおばさんとずっと話をしていた。そのせいで、仲間のみんなは新聞の写真に出たり、テレビに写ったりしたのに、私はそのチャンスをのがしてしまった。まぁ、当事者にしかわからないような米粒ほどの大きさだし、後姿なので、そんなに悔しくはない。
 それからまもなくの十月十九日は宇都宮伝統文化連絡協議会が主催する「伝統文化フェスティバル」が宇都宮城址公園であった。私は「昔遊びを体験」というブースでスタッフとして手伝った。手伝ったといってもベイゴマや竹馬をして、みんなと遊んでいただけだったが。
 その次の日、十月二十日は「宇都宮城址まつり」で社参行列に参加した。一昨年に続いて二度目の参加。だが、あいにくの雨模様、主催者は決断に苦労しただろう。結局、市役所から城址公園までの行列となった。距離にして二百メートルくらいか。それでも、風邪をひかせては大変と、行列に参加するのは、体力に自信のある人だけでいいと言う。私はリタイアを選んだ。
 行列を見学し、駐車場にしてある一条中学の校庭に戻った時、六十台ほど停めてあった車の中で、すでに帰った車は二台しかなかった。私より年上もだいぶいたはずなのに、みんな元気いいんだな、オレが参加したら「千人行列」が「仙人行列」になっちまう、と自嘲して家路に着いた。

「ねずみのすもう」 瀬田 貞二

2013年11月03日 00時26分20秒 | 民話(昔話)
 「ねずみのすもう」 日本の昔話  瀬田 貞二 再話  おはなしのろうそく 18 収録

 あるところに、ろくにその日のけむりもあげられないほど、
びんぼうな、じいさんとばあさんがあった。

 ある日、じいさんが山へしばかりにいくと、おくのほうから、
 デンカショ、デンカショ
という声がきこえるから、はて、なんだろうとおもって、その音をたよりにいってみると、
森のあき地で、ねずみが二ひき、すもうをとっているところだった。

 木(こ)のまにかくれて、よくよくみると、
こちこちにやせたやせねずみが、じいさんの家のねずめで、
ころころにふとったこえねずみが、村の長者どんの家のねずみだった。
そして、二ひきのねずめが、
 デンカショ、デンカショ
と、かけ声をかけて、とっくんであそんでいるのだが、じいさんとこのやせねずみのほうが、
まるでよわくて、長者どんとこのねずみに、すてん、すてんとなげられていた。

 それをみて、じいさんは、かわいそうになって、家にかえると、ばあさんにわけをはなして、
「うちのねずみがかわいそうだから、もちでもついてくわせて、力をつけてやっとくれ」
と、たのんだ。
そして、じいさんばあさん、力をあわせて、もちをついて、
そのもちを、とだなのなかにいれておいた。

 さて、あくる日、じいさんはまた、山へしばかりにいくと、きのうのように、
 デンカショ、デンカショ
と、かけ声がきこえてきた。
その音をたよりに、森のあき地にいってみると、また、きのうのように、
ねずみたちがすもうをとっていた。
じいさんが、木(こ)のまから、そっとみると、じいさんとこのねずみと、
長者どんとこのねずみが、もみあって、なかなかしょうぶがつかないので、
じいさんは、こっちで、
「どっこい、どっこい」
と、そっと声がけして、気をいれているうちに、じいさんとこのねずみが、
「えっ!」と、力をだして、長者どんとこのねずみを、すてんと、なげてしまった。

 そこで、長者どんとこのねずみが、
「たまげたぞ、力のでるほう、おしえろや」
と、たのんだところが、じいさんとこのやせねずみは、
「そりゃ、わけねえことだ。おら、じいさん、ばあさんから、力もちこさえてもらって、
それをくったから、こんなにつよくなったのさ」
「それじゃ、おらもいくから、ごちそうしてくれろ」
「でも、おらとこのじいさんばあさん、びんぼうだから、めったにもちなどつけねえさ。
もし、おめえが長者どんのぜに金でももってきてくれたら、ごちそうしてやろう」
「そいじゃ、そうする」

 じいさんは、ねずみたちの話をきいてかえると、
また、ばあさんに、山でみききしたことをはなして、
そのばんも、もちをついて、二ひきぶん、とだなのなかにいれておいた。
ばあさんは、そのそばに、赤いふんどしを二(ふた)すじ、そえておいた。

 あくるあさ、じいさんとばあさんは、
「きのうは、だいぶごそごそしていたども・・・・・」
と、いいながら、とだなをあけてみると、もちとふんどしはなくて、
そのかわりに、ぜに金が山のようにおいてあった。
 
 それから、ふたりが、山へでかけていくと、いつもより声たかく、
 デンカショ、デンカショ
と、かけ声がきこえてきた。
木(こ)のまからそっとのぞくと、二ひきのねずみは、おなじように赤いふんどしをしめて、
げんきにかけ声をかけてとりくんでいたが、じいさんとこのねずみも、長者どんのねずみも、
どっちもひくことなく、いくらとっても、しょうぶがつかない。

 じいさんもばあさんも、また、あしたも、すもうをみせてもらうべ、と、いってかえったが、
長者どんのねずみが、まい日もってくるぜに金で、ずいぶんな金もちになったということだ。

 おしまい