標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

スマホ:思い出の記録が一瞬にして消え去る、虚しさ

2017-09-20 19:18:52 | 日記
17日の日曜劇場、「ごめん、愛してる」の最終回だった。この時間帯のドラマは東芝日曜劇場時代から、時々見ている。思い出に残っている作品は、「砂の器」、「JIN-仁-」そして「仰げば尊し」などだ。
今回の「ごめん、愛してる」は2004年に韓国で放映されたテレビドラマのリメイクとのこと。この韓国版ドラマは見ていないので、比較できないが、今回のストーリーからするとキャスティングが合っていて興味が引かれた。妻と私で見入ってしまった。

さて、今日の日記ではドラマのストーリーは別として、最終回のシーンのなかで私の心に止まった所作があった。それは主演の長瀬智也が演ずる律が、スマホに記録された自撮りの録画とメッセージ、それに凛華が二人の思い出を記録した画面を、ワンクリックですべて消したということだ。スマホやPCのデータを一瞬にして消すということは、珍しいことではない。他のドラマでもよく使われる場面だ。

以下の画像はイメージです。






しかし、私は思い出を一瞬で消してしまうという行為にむなしさを感じた。ドラマへの興味とは別な喪失感を味わった。

一般に、亡くなった人の思いでは、その人と関わった人が生きている限り残るというのは、センチメンタルだが、多くの人に共通する思いであろう。
ドラマのように個人的には消してしまいたい記憶はあるだろうが、記録は大切にしたいという思いも強い。

今年はiPhoneが発売されて10周年だという。ドラマが10年以上前だったら、写真を燃やす、手紙を破るシーンで表現され、一瞬ではなかっただろうにと思った。
電子データの削除は何と一瞬で味気ないものだろうか。でも、これがデジタル時代の今という現実なのかと、心の整理ができないまま複雑な思いがする。

また、記録の消えた(?)事例は、現実の違う領域でも見られる。昨年来、国会でも話題になっている。記録がありません。あるいは無かったことにしていたなど。ドラマのように個人的な記録は消去もありうるが、ドラマと同じようなことが、公の文書類はあってはならないことなのに・・・?

古くは壁画、動物の骨や皮、粘土板、竹簡、木簡などに記録されていていた。保存環境が良ければ現在でもその内容を知ることができる。そして、単に史実としてだけでなく、幾多の困難を潜り抜けてきた我々の掛け替えのない存在の重さを認識させられる。

このブログも電子技術を駆使して書いてアップしている。ブログは、今の私にっとって大切なパートナーとなっている。しかし、ブログにかかわらず、スマホやPCを扱っているとチョットしたキー操作のミスで消してしまうことがある。
この体験から、消えない(消えにくい)記録を残していくことの大切さを改めて感じる。

今更、甲骨文字時代に戻る必要はない。しかし、先日も述べたようにボイジャーに積まれているレコード盤のような消えにくい記録方法を見出し後世に残したいものだ。最も簡便なのは、紙かなとも思うのだが・・・?。
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どんな良い言葉でも使い手によりうわべだけの美辞麗句となる

2017-09-19 19:27:30 | 日記
丁寧な説明、真摯に受け止める、断じてない、おわびする、反省する、説明責任を果たす、そして仕事人(何がし)・・・など。この言葉を使用する人に二心が無ければ、とてもよい社会作りができる。しかし、残念ながら最近は言葉だけがすべっていて、空虚感が漂う。


美辞麗句のもともとの意味は、美辞は美しい言葉、麗句は美しい語句という。しかし、最近はうわべだけ飾った内容の乏しい、また真実味のない言葉の意で、皮肉った使い方をするとのこと。

「丁寧な説明」などの言葉の真意は、使う人の思い、考え、感情、態度など正直であるかどうか、発言者の人格が問われるものだと思う。最近は、政治、経済に限らず芸能界、教育界など広範囲にわたる社会でうわべだけの美辞麗句がはびこっているようだ。

このようなうわべだけの繕いが、どうして蔓延しているのだろうか?

昨日、ニュースで秘書に暴言・暴力をふるった議員が記者会見を行った。マスコミは謝罪会見という表題での報道だ。しかし、被害者とされる秘書への謝罪の言葉はあまり感じられない。言い訳に終始していたようだ。むしろ再び選挙にでたいという表明であったように思える。解散の可能性が出てきたので、急遽演出したのだろうか。

会見に限らず謝罪は、被害を被った人に対しては行うべきである。これを記者会見で行うことは、不適切とは思わないが、時と場合によっては言い訳の場になってしまう。メディアが利用されてしまうことが危惧される。

「・・・申し訳ございません」と、起立の上責任者が頭を下げ謝罪を表明する。これも誠意をもって行うのであれば全く問題はない。残念ながら、必ずしもそうではなく、形式化した会見の場となっていることがある。むしろ、言い訳の場、あるいは虚偽の場となっている。

また、最近は当初の会見では、疑惑に対して断じて報道されるような事実はありません。と言っておきながら、後の会見では、報道されている通りですと、正反対の発言が目立つ。

議会等の重要な役割を担った人の発言、記者会見などでの発言は、最初からうわべだけの美辞麗句ではなく、本来の意味で中身の伴った「美辞麗句」であってほしい。真に二心のない正直な謝罪、反省などの言葉を発して欲しいものだ。
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花の入れ替わりの季節に台風一過。そして二組の来客

2017-09-18 20:32:38 | 日記

数日前から庭にヒガンバナが咲きだした。赤いヒガンバナは、毎年咲いていたが、クリーム色の花は昨年植えたが、咲かなかった。今年、やっと咲いたのに? 台風の影響で花が倒れるかもしれないと、予め一昨日写真に収めていた。


台風は、一夜にして通り過ぎた。今朝、花達は大丈夫かと庭に出た。残念ながらクリーム色のヒガンバナは、一本だけは頑張っていたが、首(こうべ)を垂れていた。折れてはいないが、回復するのだろうか?


萩の花は枝が折れているものもあった。


枯れだした上に強風により萩の花びらがだいぶ散ってしまった。台風のせいで一気に花の終わりを迎えた気がする。

今頃は夏の終わりと秋の始まりは同居する。そして、台風がそれを後押ししているようだ。日中は35度近くあったが、夕方は涼しい風が吹いている。そして、草花も入れ替わりの季節だ。秋は確実に来ている。


エキナセアも初夏から暑い盛りに濃いピンクの花が緑の葉や青い空に生えていた。今や色あせて萎れつつある。来年の夏までさよならだ。


コスモスが道路際に咲きだした。台風にもめげず倒れていない。しばらくは秋風に揺れるコスモスが楽しめそうだ。

今日は台風が連れてきたのだろうか。めったに来客がないのだが、わが家に二組の来客があった。幾つかのお土産のうち、それぞれの珍品を紹介する。


一品目は私の妹夫婦でだが、越生の「よしひろ」というそば屋でみつけた「道灌(どうかん)だんご」だ。
蕎麦を香ばしく揚げ、オリジナルの甘辛いタレで味付けした和スイーツ。越生は太田道灌ゆかりの土地であることから名付けられたとのこと。見た目はさつま揚げのようだが、甘辛くだんごらしい歯ごたえがあった。


二品目は、手作りのブドウだ。以前、梨を送ってくださった話をしたことがある。梨の送り主は奥様だったが、今日のブドウはそのご主人が家のフェンスで育てたものだ。息子夫婦が持ってきた。貴重な3房のプレゼントだった。甘くて美味しかった。でも、今年は育てたご主人と奥様の口には入るのだろうか? ちょっと心配だ。そして合掌、感謝!!
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台風の前に収穫した野菜、そしてイチジクも

2017-09-17 18:56:51 | 日記

収穫した野菜とイチジク(すべて無農薬栽培)

今日は台風の影響で秋雨前線が活発で朝から雨模様。台風の一部は深夜から明日の未明に関東地方を疾走しそう。昨日、今日は台風の被害に遭う前に、野菜・果物を収穫した。


オクラは収穫するタイミングが難しい。大きくなると硬くなる。まだ早いなと思い、収穫するのをやめ2日後に取りに行くと大きくなっている。毎日、畑に行かなければならない。収穫した4本のオクラのうち長めの2本は堅そう。短い2本が食べごろだ。


ナスも20cmの大きさになっていた。これは葉に隠れていて気付かなかった。でも、味は別にして大きいので食べ応えはある。


ピーマンは我ながら良くできていると妻が言う。


白い花はニラの花。ミニトマトは最近専業農家で大量な盗難に遭ったとのこと。天候不順で収穫不足のためらしい。貴重な野菜だ。特に大切にして、よく味わいながら食べることにしよう。


イチジクは台風による被害に遭う前の収穫という理由だけではない。猿などの野生動物に食べられる前にという意味合いの方が強いかもしれない。
昨年は猿による収穫で全滅状態になってしまった。今年も、6月の果実を収穫しようとした前日に猿の集団に取られてしまった。猿に限らず彼ら野生動物による食べ頃の察知能力は素晴らしい。人間は負ける。おまけに人間は今日は足が痛いから、遠出するから、雨が降っているからと言い訳をしてついサボる。決まってこの次の日には取られることが多い。

山間で作る以上、これら動物と共生しているのだからと半分はあきらめるしかないのなのか。たわい無いことだが、猿の惑星にならない程度に分け合えればいいのかと納得するしかない。

収穫物を活用した今日の昼食

ナスとイチジクはソティーにした。オクラはスープに。ピーマンはしめじとベーコンとあえて炒めた。そしてミニトマトを添えた。ナスは外見とは異なり、実がしまっていて歯ごたえがよかった。イチジクのソティは熟す前だったので、肉厚でほんのりした甘さを感じて美味しかった。


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少数派の意見を尊重する

2017-09-16 18:59:21 | 日記

(2017年9月16日付:朝日新聞より)
昨日の与野党の幹事長等の会談で、臨時国会を28日に召集する方針が伝えられた。野党側が臨時国会召集を求めたのは6月22日だった。このニュースについて本日付け朝日新聞の小見出しは、「少数派の発言権 置き去り」となっている。



記事には憲法53条のことが記されている。「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と定められている。この規定は少数派の意見を尊重するため、とされているという。

さらに同記事では、召集を求めてから召集までの期間が論じられていて、今回の98日は異例の長さだという。自民党の2012年にまとめた「憲法改正草案」にも、要求があった日から「20日以内」となっていて、党の考え方にも反していると言えるとのこと(以上、記事の要旨)。

6月22日に要求された直後も、内閣は召集を拒み続けていることが話題に上がっていたが、この間、森友・加計問題、防衛大臣の対応や北朝鮮のミサイル・核実験など、内閣支持率の降下・上昇などにまぎれて、薄れつつあった。

様々な意見がある多様な社会は尊重されなければならない。その上で、事を進めるためには何らかの方法で方針を決定して動かなければならない。そこで、多数決による判定は決してベストではないが、ベターなのかもしれない。

その際、考慮すべきは「少数派の意見を尊重する」ということである。

しかし、現状は残念ながら国会運営に少数派の意見を配慮した運営がなされていない。国会対策委員会があるが、野党つまり少数派の提案にたいして、与党の委員は党の戦略に沿った対応で動いているようだ。

これは多数決による運営のマイナス面だ。少数派を尊重するというより、多数派の独断運営といえる。

多数決にはメリット、デメリットがある。物事を決する他の方法(ボルダルールなど:例えば複数の案に対して順位をつけて投票する。順に3点、2点、1点と得点化し、総合得点で判断するなど)にも長短がある。それらの欠点を補うには、憲法53条に込められた「少数派を尊重する」という規定が重要だ。国会運営も常にこのことばを念頭に歩んでほしいと願う。
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