標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

冬咲きの清楚なクレマチスと紅葉している真っ赤なオタフクナンテン

2018-01-10 19:15:35 | 日記
冬枯れなので草花や木を紹介するチャンスがないが、冬にみられる数少ない植物の紹介だ。


グリーンカーテンにするために、和室の南側に立てた支柱に植えておいた、冬咲きのクレマチスがさいている。12月から咲きだした。今はいくつかの花とつぼみもある。まだ、しばらく観賞できそうだ。

テッセンもクレマチスの仲間だが、テッセンは花びらが細長く平たく開いて咲く。冬咲きのクレマチスは釣り鐘またはパラシュートのような咲き方だ。従って、「ウインターベル」とも呼ばれているとのこと。

昨日は春先のような陽気だったが、今日は少し寒くなってきた。そして、風が強く吹いている。音はしないが風鈴のようにウインターベルが風に揺れている。さらに、つぼみは小刻みに振動していてかわいいらしい。


双子のように並んで垂れさがっている。


花の右にあるつぼみもかわいい。


つぼみ二つとまどろむタロ(犬)君。


和室の窓際で日光浴をしながら昼寝をしているタロ。


花言葉は「精神美」や「美しい心」という。

もう一つ紹介しよう。さくらの木の下に一株だが冬になると葉が赤く(えんじ色)になる低木がある。「オタフクナンテン」という。我が家では実や花は見たことがない。葉だけで、大きくならない。グランドカバーにもなるとのこと。ウインターベルとは対照的に鮮やかだ。


桜の根元にあるオタフクナンテン

冬咲きのクレマチスはいつまで垂れ下がり、オタフクナンテンの紅葉はいつか散るのだろうか? 楽しみだ。
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薬物混入したライバル選手...スポーツ競技における勝利のみ追及の結果か?

2018-01-09 19:24:59 | 日記
カヌーの選手(S選手)がそのライバルであった選手(K選手)のドリンクボトルに禁止薬物を混入し、知らずに飲んだ被害選手が、一時暫定的停止処分を受けた。やがて、S選手が良心の呵責から日本カヌー連盟の方に自ら話したという。

カヌー連盟は、S選手に除名処分とするとのこと。

日本では前代未聞の出来事だという。しかし、各競技の世界大会、オリンピックでもドーピングが常に話題になっている。
スポーツはルールに従って勝敗を競う。なのに、競技どころか、競争相手の存在を無くそうとする行為は、スポーツとは別な、側面での問題だ。S選手の動機は、オリンピックに出たいという気持ちが高じて、ライバル選手を陥れようとした。このような事件が起きるのは、勝利や名誉のみを追及したからであろうか。

S選手の父親によると、取り返しのつかないことをしたとのことで、包み隠さず、連盟に自分のした行為の愚かさを話し、自らの愚業を認めたとのこと。S選手は場合によっては、傷害罪に問われる可能性がある。罪については、しっかり受け止め償ってほしいと思う。



さて、昨年暮れは、相撲界の暴力事件が話題になり、今年になり貴乃花親方に対する処分が発表された。理事としての報告義務に違反したからという。ルール違反として、何らかの対応は必要だが、この処分の報告に当たって、評議委員長は貴乃花親方の人格を批判するような物言いをしていた。報告義務を怠ったということだけなら納得できるが、何か釈然としない。被害者側の親方が、理事解任という処分となった。さらに、その処分に係る委員会に一般から選出された評議員は、出席しなかったという。相撲界の複雑な暗部が予見される。

ただ、委員長の発言で、次の発言は捉えようによっては、評価できる。「(相撲界の)膿」という発言をしていた。委員長の意図は違うのかもしれないが、私としては、是非「膿」を出し切り改革してもらいたいと思う。

貴乃花親方は、元協会理事長の北の湖親方の理念を貫いているという。北の湖理事長は、その役職を担っているときに、不祥事によりいったん理事長を辞任している。しかし、相撲協会を立て直そうと再び理事長に返り咲いたとのこと。しかし、中途で亡くなられた。貴乃花親方は北の湖理事長の強い改革の意思を貫こうとしているようだ。今後の活躍に期待したい。

さらに、相撲界は行司の不祥事が、1月になり発表された。しかし、不祥事は12月に起きていた。日馬富士の暴力事件の対応の最中である。発表が遅れたことも非難されるが、相撲界として行為を慎むべき時なのに情けない。

そもそもスポーツ競技は、古い概念かもしれないが人間の闘争本能の代償として、ルールに従った勝敗を競うものだ。スポーツ精神というと、厳しいトレーイング、厳しい上下関係といい、少々の暴力も許されるという曲解された精神がある。決して暴力は許すべきでない。それは闘争本能に過ぎない。スポーツはライバルと競技において争うべきだ。

真の厳しさは、自分の中にあるべきだと思う。トレーニングも人のためにやるのではない、自分の力を高めるために行うものだ。つらさに耐えられないからと"諦める"のか、それとも"続ける"かという二者択一との戦いは、自分の中にある。そして、自分を試すために、相手との競技で争う。相手という人間を抹消するのではなく、ルールに従って競うことを徹底すべきだと思う。
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改めて思う、今日は成人の日だが、その意味は?

2018-01-08 19:33:45 | 日記
我が家は今日も、孫のお守りがてら、ドライブでモールに行った。
その道すがら、幾つかの町で成人式に参加する(した)人たちが、数人集まって話している光景を見た。振袖を着た女性が目立った。

車中で妻が、昨日、友人と話した成人式に関する話をしていた。その人のもとに、その友人の孫の新成人が訪ねてきたという。振袖を披露しに来訪したという。その話では、最近、振袖を買うには高価なので、リースにしたが、買うのと同じ金額がかかる。一度しか袖を通さないのに、もったいないと語っていた。友人はその人にお祝いを渡さざるを得なかったとのこと。



帰宅して夕方のニュースを見たら、成人式会場に、準備した業者から振袖等が届かない、着付けができないという事件が起きたとのこと。2年も前から予約していたのに、振袖が着られないと悲しむ親や本人のことも報道されていた。業者に電話をしても応答がないとのこと。好ましくない事態だ。

いったい成人式はいつごろ始まったのか調べたところ、昭和21年に埼玉県の北足立郡蕨町(現在の蕨市)が「青年たちに希望を」と願って「青年祭」を開催したのが始まりとのこと。戦後の復興の一環だったが、これが全国に広がったとのこと。「みんなで渡れば怖くない」というブラックな標語があったが、まさに、「日本人の甘え」の構造が官民ともにある。成人式を催す自治体側も、参加する本人や親など市民の側にも、「右にならえ」状態だ。戦後直後だったら大いに意味があったと思うが、今は果たしてどうなのか? 

全国津々浦々、市区町村が祝う。そして、少なくとも晴れ着姿の準備には、少なくとも10万円を下らない。

成人式を戦禍や震災被害を風化させないためという意味を含めるのなら理解できる。そうであるなら、晴れ着とか豪華なスーツはいらないのではないだろうか。

因みに私の妻も私も成人式には出なかった。自らにとって意味が感じられなかった。式より、20歳の誕生日の方が重みがあった。親からの自立、一人で大人として社会で生きていかねばならない瞬間を感じ、身震いした。祝ってくれたのは、家族や友人だった。

武家の男子や公家の女子には、その時代には、大人になる証としての儀式があった。しかし、今や武家・公家の時代ではない。
こうした儀式は、象徴天皇とその皇族だけで良いと思うのだが。
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コンサート観賞~カンツォーネを主とした、若いソリスト達の活躍

2018-01-07 19:38:37 | 日記
秩父地方で活躍している声楽家のコンサートを鑑賞した。昨年も同じ時期に初演が行われ、今年は2回目だ。秩父地方出身の若い男女二人のペアで、大手音楽教室のホールで行われ、約100人の観客が参加していた。




本番は写真撮影禁止なので、始まる前に舞台となった方面を撮ったもの。

歌い手は、ソプラノ(20代後半)とバリトン(30歳代前半)、演奏はピアニスト、それと友情出演と思われるマンドリン・ギター奏者だった。


カンツォーネなどイタリアの歌曲に日本の歌を交えた構成であった。昨年は、初回だったので、それまでに活動してきた音楽講座やミニコンサートで歌った、曲を組み込んでいたので、あまり新鮮味は感じなかった。しかし、1年間の活動で幅が出てきたのか、昨年とは違った曲の構成とボリュームのある発声だった。歌だけでなく、司会進行をソプラノのソリストがリードし、おしゃべりの受け手として、バリトンのソリストがフォローして、掛け合う話が聞きやすく、楽しめた。

ピアニストとの息も合っていたと思う。ときどき、オペラコンサートなど、ピアニストが頑張りすぎて、ピアノの音が強く、歌手の声が消されてしまうことがある。しかし、今回のピアニストは、秩父地方出身の方で、多くソリスト達と共に活動しているのだろう。聞きやすかった。

「日本のうた」の中で、「電話」(作詞/薩摩忠、作曲/湯山昭)がおもしろかった。ある画家がコンテストに入賞したという電話を受け、その喜びと「喜びの乾杯」を歌った。しかし、再び電話がかかってきた。受賞は間違いだとのこと。今度は嘆きと、やけ酒で締めくくる情景を歌った。これを、まるでオペラの一場面のように、演技も含めて、バリトンのソリストが独唱した。

この曲の前までは、「この道」「荒城の月」「竹とんぼ」「さびしいカシの木」といわゆるしんみりと傾聴する曲だったが、「電話」により転調したように会場がなごやかになった。そして、前半のフィナーレでイタリア曲に入った。後半は、イタリアの紹介、カンツォーネを歌い、「クァンド・クァンド・クァンド」でカンツォーネの締めをした。
その後、観客も参加した「フニクリ・フニクラ」を合唱し、プレゼントコーナー、フィナーレ、2曲のアンコールで終了した。

全体を通して緩急のある曲や演出の構成がリズミカルだった。

名の知れた人のコンサートも良いが、今回のように若い人たちの活動は、時にハラハラすることもあるが、成長過程が垣間見られてうれしい。
若いふたりの成長ぶりには驚かされた。
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ウイスキーの聖地巡礼!? 秩父蒸溜所を訪問

2018-01-06 19:34:17 | 日記
昨日の小鹿野行きの続きだ。秩父にはアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の聖地巡礼スポットがいくつかある。昨日寄った、龍勢会館も聖地に入るのかどうか分からないが、アニメのポスターに、「龍勢」と書かれていたので、その一つだと思う。そのポスターを見て、映画とは異なるが、私なりの聖地巡礼をしようと思い立った。


色あせた「龍勢」と書かれたアニメのポスター。

それは、イチローズモルトを製造している秩父蒸溜所だ。門が開いていたので、何か購入できるかなと思った。しかし、建屋の入り口に張り紙があり、販売や見学はできないとのことだった。
直近では、蒸溜所の見学会が2月にあるようだが、今回は参加できないが、チャンスがあれば行きたい場所だ。今日は、訪れた記念に外観の写真を撮った。



入口の門だろうか、左右に樽が二つあった。


この中にウイスキーが眠っているのだろうか。


入口の近くに展示されている蒸溜器


展示用の建屋かな?


横たわっていた樽

かつて、ウイスキーが好きな人にプレゼントとして、イチローズモルトを持って行ったことがあった。ふたりの人にプレゼントしたが、とても喜ばれた。両名とも「うまい」とのコメントだった。その内、一件は持って行ったと同時に、私も一緒に味わさせてもらった。

私は量的にはアルコールは飲めない。しかし、どの種類の酒類も味わうのは好きだ。ストレートで飲むイチローズモルトの口当たりは、コクとまろやかさが重なっていてうまかった。しかし、学生時代初めて飲んだウイスキーの苦い刺激で、しばらくはウイスキーは好きになれなかった。それは、小学生の頃、ボリショイサーカスの売り子さんから、父に買ってもらった黒い飲み物(コーラ)と同じ味わいを感じた。
でも、コーラ―は大学生時代に、ウイスキーは朝ドラ「マッサン」を見てから、好きになっていた。

イチローズモルトは肥土伊知郎(あくといちろう)さんという人が立ち上げたベンチャーウイスキーだ。寒暖差が激しい秩父の自然がウイスキー作りに適していたという。今や、日本のウイスキーの一番手として、世界で評価されているとのこと。

知人にプレゼントしたウイスキーを買った店に行くたびに、棚を見るのが楽しみだが、ここ2年ほどは、入荷予定がないとのことで、陳列されていない。
しかし、今年は棚に出されるかもしれない。何故なら、初詣に行ったとき、神社の本社にイチローズモルトの樽が奉納されていた。引いたおみくじが大吉だったので、今年こそイチローズモルトに出会えそうな気がする。
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