標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

「あしがくぼの氷柱」 ライトアップで彩色された氷の造形

2018-01-15 18:58:52 | 日記

青白く光る氷柱。右から真ん中上に伸びる筋は水のシャワー。

秩父郡横瀬町の芦ヶ久保駅から徒歩10分のところにある。今年は、2月25日(日)まで、金・土・日曜日、祝日の日没から午後8時までライトアップされてる予定。

現地には午後4時30分過ぎについた。日は沈んでいたが、まだ、明るかった。氷柱見学用の駐車場から橋を渡り、チップが敷かれた歩道を歩いていく。


駐車場方面、河川敷の工事がされていた。河原に降りられるようになるのだろうか。夏の水遊びが楽しめそうだ。


チップが敷かれた歩道。足の裏にやさしい圧力で歩きやすかった。


西武秩父線の向こう側が、氷柱エリアだ。


線路の下のトンネルを抜けると、氷柱の世界だった。「ワー!」と静かな感嘆の声が聞こえた。
妻と私も思わず小さな声をあげた。


まだ明るいので、白い氷柱で地肌が見えている。

以下、見学コースの順に写真を掲載します。暗くなるにつれ、色付きがよくなってきた。ご覧ください。








電車が背景に見える。

氷柱の全景が見えるところは、広場になっていて、無料の甘酒を頂いた。体が温り、うれしいサービスだった。





































駐車場に戻った時は、午後6時になっていた。駐車場から見た、闇に浮かび上がる芦ヶ久保の道の駅。
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「ボタンスイッチ」の危うさ...「核ボタン」は絶対に押さないように!

2018-01-14 19:24:20 | 日記
ハワイで日本時間14日未明、北朝鮮からハワイに向けて弾道ミサイルがハワイに向かってくるということで避難を求める緊急警報が、住民の携帯電話などに誤送信される騒ぎがあった。
「ハワイに向けミサイルの脅威が迫っています。すぐに避難してください。訓練ではありません」とのメッセージとのこと。住民は建物に避難したり、子供をマンホールの中に避難させたりパニックになったようだ。38分後誤りだったと周知されたとのこと。
ハワイ州のイゲ知事は、「職員が引き継ぎで警報システムをチェックする際、誤ってメッセージを送るボタンを押した」と説明し、謝罪したとのこと。

日本では1月5日に、、震度5強程度の強い揺れが茨城県南部を襲うという緊急地震速報が流れた。しかし、これは、茨城県と富山県で震度3の地震が同時刻に発生したため、システムが巨大地震発生ととらえてしまったようだ。



ミサイルと地震は比較できないが、地震の誤警報は、相手が自然現象で機械的なミスだった。しかし、ミサイルは、相手が人(北朝鮮)でさらにミスも人為的なものだった。実際の核のボタンは、攻撃命令を出すための通信装置のようだ。しかし、いずれにしても、ミスや感情も含めて相互とも個人の判断で核のボタンが作動したら、両国だけの問題でなく、周辺国も含め取り返しのつかない壮絶な状態をきたす。極めて危ういことだ。

1月1日の北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が、新年のあいさつで、「自分の机には常に核兵器発射のボタンがある」と述べた。それに対しアメリカのトランプ大統領は「(自分の核ボタンの方が)彼のものよりも大きく、強力だ。それに私のボタンは作動する」とツイッターに投稿した。まるでPCゲームの自慢話をしているようだ。双方ともどれだけ核の危険性を意識しているのか分からないが、国のリーダーとは思えない。しかし、残念ながら、双方とも今や地球上の最も重大かつ深刻な課題のリーダーであることも現実だ。

もし、知性ある宇宙人がこの様子を見ていたら、なんと愚かなことだろうと嘲笑しているかもしれない。

広島と長崎の原爆投下、ビキニ環礁水爆実験での福竜丸、チェルノブイリの原発事故、東海村臨界事故と福島原発の事故。そして、イギリスやフランスなどの国々でも被ばく事故が起きている。さらに、脱北者の話によると、北朝鮮での地下核実験により地域住民の被爆者がいるようだ。

当事者が金正恩氏とトランプ氏では、思いもよらない暴発もありうると懸念される。両名による舌戦も含めて「核ボタン」戦争は絶対してはならない。
核の抑止力というが、核によらない人間の、より高尚な英知をもった抑止力は、ないのだろうか? 今や我が地球の深刻な課題だ。
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飯館村生活を始めた前原子力規制委員会の田中俊一さん

2018-01-13 19:12:56 | 日記
11日の報道ステーションの特集で、前原子力規制委員長・田中俊一さんが福島県飯舘村に引っ越し、新たな人生をスタートさせたことを報じていた。

この特集に関して、フェイスブック等で意見が述べられている。どちらかというと否定的な、意見が目立つ。原子力規制委員長になる前は、原子力に関わってきた科学者として客観的な見識が評価され、規制の効果を期待する面もあった。しかし、委員長の役職を遂行するにつれ、はっきりものをいい、市民目線から離れていくような点も見られた。

また、発言について、政府の圧力があったのではないか、メディアの報道姿勢との絡まり、報道ステーション側が田中さんの発言のとらえ方について、誤謬があったと謝罪するという一面もあった。一方で、委員会などの透明性を計るなど、情報開示について積極的に取り組んでいた。

政府の圧力やメディアとの関係など、闇の部分もあったのか? 委員長という重責を担っていたので、“個"でいられないときもあったと思われる。圧力と忖度は、裏腹で、政府側の立場に立つか、市民の側に立つかによって、圧力や忖度の向く方向が全く逆になる。従って評価も反転する。

田中俊一さんは、昨年の9月に原子力規制委員長を退任された時から、退任後は福島に居住しようと考えていたようだ。退任時の記者会見で、「原子力行政、原子力の在り方について、もっと国会で十分に議論して頂きたい。原子力の政策がきちっとどっちに向いてどう行くのか明確でないことが大きな課題」という発言をされていた。


田中俊一さんの発言。

今回の報道ステーションの特集では、田中さんは次のように発言している。「『原子力に携わった人間は、共通の責任を持つべき、持たなきゃいけない』という深刻な責任を持つべき」と。「責任を持つ」ということを繰り返し強調していた。

この特集のタイトルは、「3.11から伝えたい」ということで田中前委員長の覚悟を伝えるものであった。肩書もない、毎週の記者会見もなくなった田中さんというナレーションで放送が始まり、個人として飯館村で生活していく覚悟を伝えていた。

原子力規制員会時代は、役職として動き、今後は個人として原子力について向き合うとのこと。飯館村は避難指示が解除された。しかし、汚染物質が積まれたところも残っている。解除されたとはいえ、放射能の値は高いところがある。今日の特集以外の情報によると、チェルノブイリの基準から見ても、日本の基準は設定が甘い。つまり、高い放射能のまま避難指示が解除されたということもいえる。

今後、田中さんは原子力に関わってきた個人として、その深刻な責任とともに飯館村で生活し、原子力と向き合うとのこと。市民目線で、かつ、原子力に携わってきた研究者として、今後も、機会あるごとに、情報を発信していただけることを願いたい。
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「音楽は難しいよ!」と語る小澤征爾さん

2018-01-12 20:37:53 | 日記
今朝のNHK「あさイチ」のプレミアムトークのゲストは、小澤征爾さんだった。日本が世界に誇る指揮者なので、どの様な話を聞けるか楽しみだった。そして、実際は予想以上に、いや、予想とは全く違った側面を見て聞き入った。


小澤征爾さんが繰り返し語ったことば。
トークはとても自由でフランクな話し方、内容だった。肩ひじ張らずに聞けた。

長野県の中学校に30年間通い、子供たちのためにコンサートを続けているという。この子供たちの話をし、VTRを見て、うれし涙を流す小澤さん。また、お孫さんが可愛くてたまらないと話ながら涙する小澤さん。

また、これらのエピソードを話す前に、何回も「こんなこと(テレビで)話していいのかな?」と司会者に問いながら、躊躇せずおしゃべりする姿が(失礼だが)子供っぽく、ユーモラスだった。私たちが日常よく使う「ここだけの話だけど」と言い、おしゃべりするのと似ていて、親近感を感じ、いったいどのような話をするのだろうという期待を抱かせる。あたかも、小澤さん指揮の話術に飲み込まれるような気がした。

そんなエピソードの中で、「神奈川県の金田村に住んでいたことがあり、金田中学校に行く予定だった」ということを話された。驚いた。金田村は私が20数年住んでいたところだ。今は「大井町」という。続けて「田植えや、みかん・・・」のことが思い出として残っているという。私も、大井町に住まなくなって40年以上経つ。私の思い出は、同じく広大な田んぼと台地にあるみかん畑だ。農繁期には学校が休みだったり、半日授業だった覚えがある。みかんは足柄みかんといって、青く酸っぱかった思いがある。

小澤さんは、地元の中学でなく、成城学園中学校に入学した。小田急線の新松田から、成城学園前まで、電車通学をしたという。2時間はかかったろう。私も新松田から、新宿まで予備校と大学時代は小田急線で通学していた。片道2時間半かかっていた。当時から小田急線は混んでいて、朝方の通勤時間帯は新宿に近くになると急行電車が前を行く各駅停車の後を付いていくという状況だった。

小澤さんは成城学園に行ったので音楽に親しむことができたという。

プレミアムトークのなかで、小澤さんが音楽のことについて、繰り返し語っていた。「音楽は難しいよ」という発言だ。音楽の何がどのように難しいのかは語られなかったが、この言葉が私の中に強く響き残っている。難しさを説明されなかったのは、説明をためらったからでなく、説明のしようがないということを、言外に感じた。

多くのエピソードと共に、次のような語りの中に、小澤さんの音楽、小澤さんの人柄、人生そして小澤さんそのものを感じた。

指揮は、モーツァルトやベートーベンら作曲者が5線譜に書いたことを読み込むことだと言われた。

また、オペラは楽しいという。国内外のメンバーがいる楽団を指揮していて、日本人は行儀が良すぎる。他の国の人は勇気があると語っておられた。

音楽のいいところは、子供のころから口ずさめるからという。

終始、笑顔が絶えず、でも、時には涙し話され、最後は司会者から、何か好きな曲をと言われ、司会者共々指を鳴らしながら、口ずさんでいるところで、番組は時間となり終了した。その曲名は分からなかった。番組後も「音楽は難しいけれど、楽しいよ」という小澤さんの声が聞こえてくるような気がした。
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「共感」と「共感的理解」ということばの意味

2018-01-11 19:20:25 | 日記
昨日、昼の天気予報を見ようと思ってテレビをつけたところ、書評の番組で、中江有里さんが「共感」について語っていた。何について使っていたのかは明らかでないが、「(共感するということは)意識の下にあるもの」という内容の発言をしていた。この発言を聞き私の関心が「共感」という言葉に留まった。これも「共感」といえるかもしれない。

心理学を学んでいた頃の「共感」、「共感的理解」という言葉が浮かんだ。カウンセリングにおいて、最も重要な概念であり、かつ、「共感する」、「共感的理解」というのは、実践するのが極めて難しい。

しかし、一般的には、しばしば感動するとうことが、「共感する」といえるという。カウンセリングをより専門的な治療的な場面とするなら、厳密な「共感」を行うように努めなければならないだろう。多分、書評では一般的な「共感」としてとらえていたのだろう。

日常生活の中でも親子、兄弟、夫婦などにおいては、一般的な共感(感動に近い)をするということは大いに必要である。しかし、時には客観的な「共感」、専門的な「共感的理解」をしようとするのも必要かもしれない。改めて、共感について考えてみた。


ロジャース全集第6巻「人間関係論」(岩崎学術出版:1967年初版)の背表紙


40年以上も前の本を取り出した。ロジャース全集の第6巻「人間関係論」(岩崎学術出版社:1967年初版)だ。この本の表紙をめくると、ロジャースの顔写真と英文で書かれたことばとサインが掲載されている。
"I cannot teach another person. I can only facilitate his learning. Carl R. Rogers 1967"とある。1967年なので、日本での全集を刊行するために贈られた言葉と思える。
「私は人を教え導くことはできない。でも、他の人が生きるための援助をすることはできる」という捉え方を、私はしている。

以下は、私の理解した「共感」について述べるが、必ずしも著書に書かれていた文言ではない。

「人間関係論」の中でロジャースは、「共感」とは、まず、カウンセラーはクライエントの私的な世界の正確な理解をする。そして、カウンセラーがとらえた、クライエントのいくつかの状態を伝える。その際、"あたかも~のような"という性質を失わないようにすることが重要だという。カウンセラーはクライエントにはなれないということが重要だ。

つまり、単に一緒に笑ったり、泣いたりすることではない。泣き笑う行為は、相手の気持ちそのものではなく、泣き笑っている人の気持ちにすぎない。これは、カウンセリングにおける共感ではないということだ。クライエントの混乱や怒りの気持ちをあたかもカウンセラー自身のもののように感じるが、カウンセラー自身の混乱、怒りとクライエントのものと結びつけない。カウンセラーはクライエントになれないのだから、あくまでも「理解」である。そして、常に「共感」的理解に努める。

クライエントがカウンセラーの「共感的理解」を感じた時、カウンセラーはクライエントが漠然としかとらえていないことに対して、理解しているということを伝える。クライエントも、カウンセラーに、自分が理解されていることを伝える。こうした人間関係における敏感な「共感」を経て、クライエントが自分自身に気付き、学習し、変化し、発達するのを可能にするという。

以上は、私の理解なので、不十分かもしれない。「共感」ということは、概念ではない。実践の中で「共感」できたと感じる(認識する)ことだと思うが、いつも共感に到達するとは限らない。
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