大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

白虎 天井画

2021-05-07 06:03:00 | 神仏について

津野町力石の祠を守るお宮を誠さんが作ってくださって、格子の天井に、60枚の絵を描くことになったので、妹と私で花や鳥、龍、鶴や亀、神獣などなど、分担して絵を描きはじめました。


若かりし頃5年も習った油絵をやめて、何年ぶりに絵筆を握ったかな。絵を描くこと自体はやはり好きだなぁと描きながら思い、アクリル絵の具も新調したし、また家で趣味で始めようとも思いました。


楽しくて、楽しくて、ゴールデンウィークは、まさに家でゴールデン絵画タイムでした!神様のことを思いながら描きました。


五行説では、春は「青春せいしゅん」夏は「朱夏しゅか」秋は「白秋はくしゅう」、黒を玄とし、「玄冬げんとう」の異称で呼びます。


東西南北を護る聖獣は、それぞれ東は蒼龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武となります。南の門を朱雀門とかいいますね。真っ赤な鳳凰です!


白虎は西を護る神獣です。白虎を描くにあたり、色々調べてみました。なるほどのトリビアを沢山みつけました。


東京の虎の門は、かつて門があり江戸城西に位置したため、白虎にちなんで虎ノ門と呼ばれたといいます。昔仕事でたまに行きました。虎のイメージはありません。ビルだらけ、、。


福島の白虎隊の名称も、この白虎に由来します。会津藩では、武家の男子を中心に年齢別に50歳以上の玄武隊、36歳から49歳までの青龍隊、18歳から35歳までの朱雀隊、17歳以下の白虎隊と四神の神獣の名前を部隊名とし軍構成していたようです。

つまり、一番若い青年武士が白虎隊だったのです。


相馬から車で、会津の鶴ヶ城に数年前に旅行した時のことを思い出しました。




江戸末期に飯盛山で自害し亡くなった白虎隊の青年達のことが写真つきで詳しく展示されていました。とても可哀想に思ったことを思い出しました。会津藩を思っての死、時代背景と、武士道の精神がそうさせました。無念だったと思います。


会津という地名は古事記にも相津としてでてきます。3世紀頃、2人の将軍が会った地名が「相津」で、縁起地名だったのです。地名も、サムライに因んでいて奥深いです。


鶴ヶ城の鶴は、鶴亀の鶴、陰陽でいうと、陰です。天井画で鶴も描くので、思いつく全ての鶴を心に思い描きます。

「できるまでは、決して見ないでください。」、、なんてね、、

鶴の恩返しみたいに言ってみました。笑。 全てできたらお見せします!



鶴の恩返し画像より


白虎や鶴には、その勇ましい姿や美しい姿とは裏腹に、少し悲しい感じもします。


鎮魂は、無念を持って亡くなった御霊に捧げます。福島は、武士の甲冑が似合うイメージですが、それだけ、散った御霊も多いと思います。また、相馬もそうですが、東日本大震災での津波被害だけでなく、原子力発電所の被害もうけました。


相馬の方の話だと、幽霊話は沢山ありすぎるようです。しかし、突然命を奪われた悲しみを感じて怖いとかは無いともいっていました。


福島は今も地震が多いです。鎮魂の必要な御霊が多いのかもしれないと感じます。亡くなっても人の魂はエネルギーとして暫く残り震動しているようにも思います。天国に上る機会を逃してしまった御霊がいるとこのエネルギーにより、なんとなく、、を感じる人もいるのかもです。


御霊の霊と震動の震は、漢字が似ています。御霊の弔いの行為は、動くことが可能な生きた魂を持つ人の役目かもしれないと思っています。


霊感とか私の場合殆どないのですが、亡くなった御方の存在を忘れず、御霊を弔う祈り、先祖供養は続けていきたいです。


白虎は、西の神様をお護りする神獣として勇ましく描きましたよ!

ガォー。


【画像は白虎画像検索より】