大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

千と千尋の神隠し カオナシ

2021-05-28 06:28:00 | アニメ

千と千尋のキャラクター、最後は顔無しについて書いてみようと思います。


キャラクターは、ヤオロズの神様だけあって本当に色んな特徴があります。その中で、正邪全て併せ持ちつつ、形がかわり、全てを呑み込んだり、吐き出したりするカオナシ。なんだか、その佇まいに、無垢と哀しみ(カナシミ)を感じてしまいます。






カオナシは、神道でいう大自然の気そのものかなぁと思いました。大自然は目に見えますが、確かに目には見えないけれど自然や大地にはその土地特有の気があると思います。


その気をお祀りしたのが神社や祠。それは、気をきちんと感じることができた太古の方が畏怖や尊敬、人間とは格段に違う何かがある、いると感じたのだと思います。


神社や祠は神様の為のものではないと教えていただきました。津野山神界で民が不敬をしたから、神様のために祠を建てなければと思っていた自分の考えの浅はかさを思い知りました。


神様には我がないから神様であって、自分のために祠を建てて貰いたいとは思っていない。と気づかないといけませんでした。妹が、祟りなんていうのも、神様に不敬をしたからでもなく、神様の御神威がおりなくなっただけで、そうなったら人間なんて生きられないと言っていました。


人がいう祟りは、実は自分で作っていた。というカラクリ。


神は人の祈りにより威を増す。威を増したら、神は民や氏子を護れる。民や氏子が嬉々としている姿が神様は嬉しいのだと思いました。


食べるものも狩猟採集だった時代、衣食住の住は岩窟で、やっと時代。それが稲作に変わりました。狩猟採集、食べ物の保存も出来ず、明日の食べ物が無い時代を生き抜き、稲に辿り着くまでに長い時代がありました。


苦しい時こそ、獣が目の前に現れてくれた事に感謝し、神様を感じたのだと思います。ああ、これで家族が生きることができると。赤子を育てる乳も、栄養がなかったら出ませんから。


稲作は多くの民が食べること、食の心配を狩猟採集の時よりはしなくてもよくなくなりました。しかし、自然災害、旱魃は、食べることを脅やかします。


雨を祈る、大地のエネルギーを祈る、循環に感謝する。龍神様に感謝する。これは、生きることと結びついていました。


そして、話は現代にとびます。食べ物は溢れ、捨てる時代。私を含めて、神様をみえない人が物に溢れた社会にはあふれました。


大地を傷つけて自然を破壊しました。神社にいったら、自分のお願いばかり祈る人が多くなりました。もっと、もっとと。


内なる神様から離れた人が溢れ、神社が壊され、御神祭が置き換えられ、祈りすらされない神様がでて、威が増さないから、民を癒したくても癒せない無念の神様がでてきました。目には見えないけど確かにいるのに。


津野山神界の神様。


そして、荒脛巾(アラハバキの神)は長髄彦だと教えてもらいました。知りませんでした。神社でも、人の思惑で端っこに置いやられたり、または、祠さえ無いところもあるようです。


神様が見えない私には気づく術がない。審神できる特殊な能力のある方は、商売に走らないで欲しい。教えて欲しい。そうしていただけるとありがたいです。感謝です。


神様の声をきけるなら、気づかない人にいる事だけでも伝えて欲しい。神様をみえないし、声も聞けないけれど、私だって想像力なら働かす事ができるから。


カオナシ。存在するけど目には見えない、心で感じる偉大な神。太古からいて、人の心の変化に無言の哀しみを感じているような佇まい。


形あるものは消えます。お金で買えるもの。人もなくなれば魂のみとなります。本当に大事なものは、隠れて見えない。竹内まりやさんのいのちの歌にあります。この歌が大好きです。


カオナシや、釜爺、ハクは、幼いまだ穢れていない無垢な子供の主人公千尋と仲良くなります。


無垢とはいえ、最初は性格が可愛い女の子というわけではなくて、神様の世界で誰かを助けようとしたり、働いたりするなかで磨かれました。宮崎駿さんは、千尋をどこにでもいそうな女の子として最初描いています。




日本のアニメ史上、千と千尋の神隠しはずっと興行成績一位でしたが、鬼滅の刃に追い抜かれました。こちらも子供にも大人にも響く御神気溢れる剣をテーマにした作品のようですね。


アニメは日本の誇るべき文化です。日本が奥深い文化をもつからこそ生み出されるストーリー。日本って素敵な国ですね。