山は三角形のイメージです。エベレスト、富士山、色んな山。台形でも良いです。登山は、思い立ったら吉日。登ろうと決めたら、エベレストだって、私でも登れます。もちろん、経験ないから、100歩位で断念ってこともあるとは思いますが。
逆三角形は、どんなに小さくても、下から登りたくても登れません。一歩たりともいけません。
あちらの世界は、この世の行いによって行く先が固定され、そっから一歩も動けないと思っていますが、あの世は、私のイメージではこの逆三角形です。
この世は、何となくピラミッドの世界にも似ていて、強いもん勝ちだから、地位、権力、お金、名誉を鎧のように身に付け、上へ上へと登ろうとします。
あちらの世界は、全てはこの世での身魂磨きの蓄積で行き先が固定される気がしています。バレてないと思ってやった事も神様が全て見ていたんだと驚き恥入る事ないように生きたいです。
8について以前書きましたが、山(三角)をこの世、逆三角形をあの世とすると、8に似ています。両方そろって、♾。陰陽。🌀まわって、永遠。
山登りができるこの世と、逆三角形のあの世の決定的な違いは、登りたくても自分では昇れないのと、時間の概念があるかないかかなとも。
あの世は時間の感覚がなく、自分でなんとかしたくても、肉体がないからどうする事も出来ない。永遠に続く。この世に生まれて身魂を磨くんだ!と神様にお願いしてやっと生まれてこれたのが、時の流れのある玉石混交のこの世かもです。
やっと、生まれたけど、あの世の記憶もないから、やっぱりこの世に染まってしまって、嫌なことも沢山経験し、あの世で神様と約束した使命も、身魂磨きも忘れてしまうかも。
仕事の人間関係に疲れ身魂磨きを忘れかけていた時、妹が毎年恒例で親友と行っている伊勢参りに誘ってくれて、参加しました。それからは毎年行っています。色んな神社が優しく迎えてくれました。月夜見宮は優しかったです。
天橋立にも行きました。
籠神社の奥宮の眞名井神社にも初めて行きました。とても素晴らしい感動がありました。
天岩戸神社の杜の猿田彦神社に行く道でもとても癒されました。
その後環境を変えることで、曇った気持ちも変える事ができました。肉体があるから、人は舵をとることができます。
しかし、狭くて苦しくて動けない部分にいる肉体のない御霊、逆三角形の下層のぎゅうぎゅうとした動けない所にいる御霊は、ゆったりとした広い穏やかな良い世界にいきたいのに自分ではいけないのかなと思うと、可哀想に思います。あくまで空想だから、どんな世界かはわかりませんが。
先祖供養をするのは、自分に縁ある御霊に少しでも良い世界に昇って貰いたい(昇天してもらいたい)からです。
生きて、肉体を持った縁者からの先祖供養だけが、肉体のない縁者の御霊に届くと知ってから、毎日欠かさず祈っています。紫雲のような雲に乗って、上に上に昇って欲しいなぁと思いながら。
この世とあの世はセットで陰陽で、さらには、逆説。ピラミッドの頂点にのし上がることに躍起になる人もいるかもしれません。
今を懸命に生きて、努力して、目の前の人や生命に優しく愛を注ぎ、与えて、身魂を磨いたかどうかが評価される世界があの世。差別されても、いじめられても騙されても大丈夫。本当の自分はそんなことでは穢されないと自分の御魂さえ守り磨いておけば大丈夫。
きっと、自分がされたら嬉しいな、言われたら嬉しいなと思う行為や言葉を心掛るだけでも、磨かれます。お金なんてかかりません。
そして、されたら嫌だな、言われたら嫌だと思う行為をしない事、言わない事、見ない事、思わない事。これらも大切だと思います。なかなか思わないという境地に至るのは難しいけれど思いは形になりますから気をつけないと。
また、神様は全てお見通しだと思って、人が見てなくても、善であろうと心掛けると、身魂磨きに成ると思いました。