古事記では、建御名方神は国譲りでタケミカヅチ神に相撲にやぶれ、諏訪から出ないことを条件に追いやられた神のように一度だけ描かれる神様です。
しかし、日本の諏訪神社の数の多さ、武田信玄など武士の崇敬があついことを考えると、古事記での書かれ方は疑問があります。書けない何かがある、、と思うんです。
色々調べていると、
諏訪に残る神話はタケミナカタ神について興味深い内容がありました。
長い話しですから、興味深いところをピックアップしたいと思います。興味ある方は全て読むと本当に面白いです。
この伝説を読むと、非常に細やかに描かれていて、タケミナカタ神は信濃で民に愛されていた様子や、父方の出雲を守り抜こうとした姿が如実に描かれています。
まずは、タケミナカタ神の出自からです。まとめますが、わかりにくい場合は許してください。
タケミナカタ神が大国主命の子であることは記紀からわかりますが安曇族との関係は母方に縁があることからわかりました。
タケミナカタ神の母は高志の国の女王はヌナカワヒメ。高志は、越の国。白山あたりです。縄文時代の古い信仰のある地であり、太古から女性が王でした。
安曇族とは関係が無さそうですが、大国主命がヌナカワヒメと結婚する以前に、安曇族の長、ホタカミが高志のヒメと婚姻関係を結び糸魚川からとれる翡翠の交易などをして友好関係を結んでいたようです。
ホタカミは、お名前から穂高見命かな。安曇の祖にあたり、穂高神社 の御祭神ですね。
素戔嗚尊のお子様オオナムチが因幡の白兎の話しの末、出雲の大国主命となり戦と和議(婚姻関係を結ぶ)の両方を駆使して各国を併合し、やがて、高志の国の女王で美しい姫、ヌナカワヒメを嫁取り和合します。
それにより、2人の間に生まれのが、タケミナカタ(タケル)神であり、越国と出雲国のカスガイともなったことになります。
タケミナカタ神はタケルと名付けられ三歳までを母と小谷(今の白馬)にて過ごし、その後、叔父である安曇族のホタカミに預けられ、武術や呪術の修行することになります。(全て諏訪の神話によります)
つまり、タケミナカタ神は、出雲、越、そしてホタカミを祖にもつ安曇の王国にも縁のある御方だったといえます。ご神名のタケミナカタ神から、以前、卑弥呼vs卑弥弓呼の際、狗奴国について書きましたが、春秋戦国時代の呉にももしかしたら遠く辿ると縁があるのかもしれません。全て空想ですが、、。

当時、弥生人である渡来系安曇族は、高志と友好関係を結んだことより、越の国、糸魚川の翡翠を交易に安曇野を支配しました。
一方、信濃を支配するのは縄文人であり、黒耀石の交易で勢力をのばしたモレヤの一族です。モレヤ一族の信仰、ミシャグジは、諏訪に限らず、黒曜石の文化圏に乗って北関東や南東北にも、社が点在し、その勢力が、そのまま諏訪信仰の勢力圏ともなったと言われます。
現長野県の安曇野は支配圏でしたが、諏訪、伊那、佐久、水内などを支配するのは、タケミナカタ神が大きくなって守矢氏との戦いに勝ってからとなります。
(ちなみに、翡翠 勾玉や黒曜石は霊的な石であり、以前それぞれ書いています。)
幼かったタケミナカタは叔父のホタカミに鍛えあげられ猛者となり、元服により出雲に昇ることになり、出雲にいる父、大国主命に面会します。
父より出雲国の将軍に任じられ出雲タケルを名乗ります。そして、東海は尾張から、信濃は諏訪までを切り従えて欲しいと父から言われます。
そして、猛々しくタケミナカタこと出雲タケルはその地を切り従えるのです。
その後読んでいくと、私はあれ?と思いました。
出雲を任せられた将軍のことを出雲タケルというのでしょうが、タケミナカタ神の逸話は国津神が天津神を国譲りする際のストーリーのはずですが、古事記でヤマトタケルとの戦いの際にでてくる、逸話と似ているんですね。
つづく