和同開珎遺跡までは舗装された林道を歩きます。奈良時代をひらいた元明天皇の時代に和銅開珎が作られます。
それまで、お金は無くてぶつぶつ交換なのかな。お金の変遷は今では、キャッシュレス化がすすみ電子マネー、時代の変遷を感じますね。
秩父地方の人類の足跡は、近年の発掘調査により、旧石器時代後期の約1万6000年前のナイフ形石器が蒔田にある下蒔田遺跡より出土したようです。
また、約1万2000年前の縄文時代草創期になると、洞窟(三峰)や遺跡より石器類と土器が出土しているみたいです。
その後、縄文時代晩期(約3000~2300年前)から弥生時代(約2300~1800年前)にかけて、遺跡数が極めて少なくなるようで、秩父市以外にもみられる全国的な動向みたいです。
縄文から弥生、狩猟採集から稲作へ、人々が定住地を求め移動したのかもですね。人々の生活ががらっと変化したのでしょうね。
その後随分後ですが、中央政府との関わりは、『続日本紀』和銅元年(708年)によれば、秩父郡より自然銅が献上され、年号が和銅に改元され、武蔵野国の庸調が免じられた。
とあります。
また、自然銅が産出された場所は秩父市黒谷地区が有力候補地といわれている。
ということで、その有力候補地に向かいます!

途中、招き猫ちゃんに遭遇( ^ω^ )

綺麗な林道です。



大きなモニュメント!



大きなモニュメント!
どれくらい大きいか?というと

大きいを体で表します
隣を小川が流れます。石をだれかが積み上げてます。



この川沿いを歩いて奥へ。
奥で男性が1人何かをしてました。あとで偶然駅で会い、水晶を浸して浄化していたことを教えてくれました。胸にはピカピカの水晶をお持ちでした。1時間もすると汚れた水晶が綺麗になるんだとか。
自然パワーは凄いですね!

この地で少し目を瞑ります。水の音、風、陽光、全て目を閉じて身体で感じます。姉は水筒にお水を入れてました!
暫く、水辺でゆっくりしました。そして、ゆっくりまた林道を話しながら歩きます。

銅採石跡

銅製の百足が!!

あれ、龍雲やろか?
大きいねぇ。と空を見上げます。
そう思うちょこ。龍雲や。龍雲や。
2人になると土佐弁になります(^^)


駅近く。龍勢という町。
山の上には和銅の石碑が、、行きは気付かなかったです。帰り気づいてよかったです。

秩父の山は今はセメントの採掘跡が沢山見えました。
山の神様は人に鉱物を与えています。足るを知る。必要なだけを有り難くいただき、自然に感謝する心を忘れたくないですね。
つづいて、御花畑駅にあります秩父神社へ電車で向かいます。