脳髄には、脳脊髄液という透明な液が脳髄を守ります。この液が漏れると、小宇宙である身体は干上がり、脳が燃え悲鳴をあげます。
脳を守る液体がどんどん漏れて干上がる、火上がるわけですから、小宇宙が悲鳴をあげるのかも。
妹があの症状からの完治は奇跡だと今も思い、治療にあたってくださった全てに感謝です。
ところで、血液や、身体を潤す体内の液体は、健康なら意識せずに自然に運行してくれています。
血液を運ぶ心臓と、尿をつくり、水分・電解質、そして血圧を調節する腎臓があり、液体も真っ赤な血と透明な液が流れています。
体内の自然の運行は素晴らしいです。自然に還るのは、健康にも繋がります。
無意識にしていて欠かせない事に呼吸があります。
お腹の中にいる胎児は、体外に出ると呼吸が肺呼吸にかわります。
私は坐を毎日しています。坐が進むと、息が変わるようです。赤ちゃんの胎息になるようです。
無為自然を唱えた老子は、道徳経で胎息しているのを思わせるところがあります。赤子のような、という表現もでてきます。
また、役小角も、山で生きるには、自らの存在を獣や毒蛇から消す必要があり、胎息を習得します。胎息は、さらなる開眼へのステップでした。
胎息について、役小角のことをかいた著書の中でこういう方法で、とか云々書かれていました。著者もやっているのかな、、書物から知識とかとは違う何かを著者自身、感じている方のようにも思いました。
書を読み、方法論なんかはあるかもだけど、やはり胎児はそんなこと考えないでやってますから、自然な存在になるにつれて変わる息が胎息なんじゃないのかな、、意識して求める息ではなくて、坐り続けることで自然にできるのかなぁと。
私はまだまだですけどね。
呼吸は、酸素を吸い二酸化炭素を吐きますが、酸素は、身体を酸化させ老化させます。
通常の呼吸が変わるのは、坐の功のようです。
鬼滅の刃の炭治郎の父がいう息は、多分胎息かな。
胎息を確かに坐が進んだ方は口を揃えて語られます。
純粋な赤ちゃん、胎児のような、元の姿、本来の自分に還る、、
純粋で素のまま
静かに坐の継続あるのみかなと思います。