大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

千と千尋の神隠し 釜爺

2021-05-26 06:08:00 | アニメ

宮崎駿さんの作品は、わかるようには作らないとご本人がおっしゃっているようです。確かに、何回見ても発見があったり、子供だけでなく大人の心の奥に響くキャラクターが沢山います。


神話の神、しかも隠されたりした神様にも焦点をあてていたり、神=自然という視点からも描かれていたりしているように思います。わかるようには描かないという宮崎駿監督の言葉に、「わかりたい」気持ちがふつふつと湧いてきます。笑


恋愛は人が心惹かれやすいから、キャラクターには多少恋愛もとりいれていますが、恋愛もどちらかというと人間愛、また自然と人、神と人、人に根付く差別意識、自然破壊なんかをテーマに壮大なストーリーが様々な作品に織り込まれ創作されている気がしています。


今日は、千と千尋の神隠しの名脇役について書いてみようと思います。まずは、釜爺。


ヤオロズの神様の世界に迷いこんだ千尋。名前を変えられます。名前を変えられる。これは、支配を意味したり、本来のものを隠すことを意味していると思います。岩戸を無理矢理閉められる感じ。


自ら名前を変えて、本来の自分を隠すことも歴史の中にありました。平家落人が名前を変えて山中に隠れて暮らしたこともあったようです。


人間だけでなく、神社の御祭神だって、名前を変えられ隠された神様もいらっしゃるようです。


また、名前を纏めて差別的に呼ばれた土着民もいましたし。土蜘蛛のように。


千と千尋の神隠しに出てくる愛すべきキャラクター釜爺は手が沢山ある蜘蛛と人間が合わさったようなキャラクターです。


千と千尋の神隠しの神様の世界では、人間が差別されます。人間であることを隠さないといけない世界に人間の少女千尋は迷いこみます。千尋も千と名前も変えられます。その中で、人間である千尋をそこまで差別していない神様が釜爺です。


宮崎駿さんはボイラーの火の調節をする釜爺を蜘蛛のような姿で描いています。釜爺は無数の引き出しから薬草の調合なんかをします。





お名前から想像するに、竈門の神様や塩竈神社の神様なんかから釜爺のヒントを得ている気がしました。そして、身なりは土蜘蛛からも。千尋ははじめギョッとします。しかし、釜爺は優しいのです。


釜爺の目にはサングラス。光を苦手にしているのかな。これは、岩窟に住んでいたとされる太古の土着の民、土蜘蛛も結びつけているのかなぁと思いました。勝手な私の空想です。


また、釜爺のカマからカマド、竈門の神様。三宝荒神を思いました。木彫りのご本尊が三面の津野山神界の耳の神様を思いました。御神体は磐笛。耳の神様は、神と人を繋ぐ神様だと教えてもらいました。


人が差別される世界で、釜爺は千尋の話をきいたり、千尋にアドバイスします。人と神を繋ぎます。まるで、耳の神様のように。


ところで、映画の中で釜爺が「えんがちょ」という言葉を真っ黒なススを踏んだ千尋にかけます。


えんがちょという言葉が何かわかりませんでした。調べると縁がちぎれるとか書かれていました。


竈門の神様は不敬あれば焼き尽くす火の神とも。台所でお祀りされたりしています。


しかし、チギには、契るという結びの言霊や、千木の響きもあります。高天原(天)に届く千木。祝詞にも千木高知りて、とあります。千木はお宮の天辺のの木。霊木。






えんがちょには、穢れがついたら祓い結界をはるようなイメージと、お宮の天辺の霊木、クロスの形の木のように、人の心にも感合したら天に届けるみたいなイメージが湧いてきました。これも勝手な空想です。


千と千尋の神隠しに出てくる釜爺の沢山の手は、働き者の手です。温泉の湯の温度や湯質を手を抜かず調節しています。


千尋に、手を出すならしまいまでやれ。と、ピシャリと言います。しかし、厳しいだけでなく千尋を助けたり。また、あんたも気まぐれに人の仕事とっちゃならねぇ。なんて語ります。愛すべきキャラクターの釜爺です。


千と千尋の神隠しは、千尋が神隠しにあった話かと思っていましたが、実は神様の中に、差別された太古の土着民のイメージを投影して隠したりしている気がしました。


つづく


三角形と逆三角形

2021-05-25 05:54:00 | 神社仏閣

山は三角形のイメージです。エベレスト、富士山、色んな山。台形でも良いです。登山は、思い立ったら吉日。登ろうと決めたら、エベレストだって、私でも登れます。もちろん、経験ないから、100歩位で断念ってこともあるとは思いますが。


逆三角形は、どんなに小さくても、下から登りたくても登れません。一歩たりともいけません。


あちらの世界は、この世の行いによって行く先が固定され、そっから一歩も動けないと思っていますが、あの世は、私のイメージではこの逆三角形です。


この世は、何となくピラミッドの世界にも似ていて、強いもん勝ちだから、地位、権力、お金、名誉を鎧のように身に付け、上へ上へと登ろうとします。


あちらの世界は、全てはこの世での身魂磨きの蓄積で行き先が固定される気がしています。バレてないと思ってやった事も神様が全て見ていたんだと驚き恥入る事ないように生きたいです。


8について以前書きましたが、山(三角)をこの世、逆三角形をあの世とすると、8に似ています。両方そろって、陰陽。🌀まわって、永遠。


山登りができるこの世と、逆三角形のあの世の決定的な違いは、登りたくても自分では昇れないのと、時間の概念があるかないかかなとも。


あの世は時間の感覚がなく、自分でなんとかしたくても、肉体がないからどうする事も出来ない。永遠に続く。この世に生まれて身魂を磨くんだ!と神様にお願いしてやっと生まれてこれたのが、時の流れのある玉石混交のこの世かもです。


やっと、生まれたけど、あの世の記憶もないから、やっぱりこの世に染まってしまって、嫌なことも沢山経験し、あの世で神様と約束した使命も、身魂磨きも忘れてしまうかも。


仕事の人間関係に疲れ身魂磨きを忘れかけていた時、妹が毎年恒例で親友と行っている伊勢参りに誘ってくれて、参加しました。それからは毎年行っています。色んな神社が優しく迎えてくれました。月夜見宮は優しかったです。




天橋立にも行きました。





籠神社の奥宮の眞名井神社にも初めて行きました。とても素晴らしい感動がありました。




天岩戸神社の杜の猿田彦神社に行く道でもとても癒されました。




その後環境を変えることで、曇った気持ちも変える事ができました。肉体があるから、人は舵をとることができます。


しかし、狭くて苦しくて動けない部分にいる肉体のない御霊、逆三角形の下層のぎゅうぎゅうとした動けない所にいる御霊は、ゆったりとした広い穏やかな良い世界にいきたいのに自分ではいけないのかなと思うと、可哀想に思います。あくまで空想だから、どんな世界かはわかりませんが。


先祖供養をするのは、自分に縁ある御霊に少しでも良い世界に昇って貰いたい(昇天してもらいたい)からです。  


生きて、肉体を持った縁者からの先祖供養だけが、肉体のない縁者の御霊に届くと知ってから、毎日欠かさず祈っています。紫雲のような雲に乗って、上に上に昇って欲しいなぁと思いながら。


この世とあの世はセットで陰陽で、さらには、逆説。ピラミッドの頂点にのし上がることに躍起になる人もいるかもしれません。


今を懸命に生きて、努力して、目の前の人や生命に優しく愛を注ぎ、与えて、身魂を磨いたかどうかが評価される世界があの世。差別されても、いじめられても騙されても大丈夫。本当の自分はそんなことでは穢されないと自分の御魂さえ守り磨いておけば大丈夫。


きっと、自分がされたら嬉しいな、言われたら嬉しいなと思う行為や言葉を心掛るだけでも、磨かれます。お金なんてかかりません。


そして、されたら嫌だな、言われたら嫌だと思う行為をしない事、言わない事、見ない事、思わない事。これらも大切だと思います。なかなか思わないという境地に至るのは難しいけれど思いは形になりますから気をつけないと。


また、神様は全てお見通しだと思って、人が見てなくても、善であろうと心掛けると、身魂磨きに成ると思いました。



3人の父

2021-05-24 06:00:00 | ひとりごと

私には父が3人います。血縁の父は1人、義父が1人と、魂の父が1人。血縁の父は土佐のいごっそう、ビールをこよなく愛します。義父は、九州男児。寡黙ですが、深くて優しい。そして、魂の父が実は九州鹿児島にもう1人います。こちらも、生粋の九州男児です。


ハンセン病原告団の1人で13歳の時から60歳を過ぎるまで隔離された方(竪山さん)です。娘だと思っていると言っていただき、私は魂の父だと心で慕っています。底抜けに優しくそして人の行う悪にとことん厳しい。厳しい環境に長年おられたからか、人の心が透けて見えるとも言っていました。


ハンセン病は、長い差別の歴史があります。それはもう長い歴史です。経験者でないと、語ることが許されるのかとさえ思っています。


竪山さんは、妹が病の時とても心を寄せてくださいました。九州から高知まで、お見舞いにも来て下さいました。


当時、妹のかかった病、脳脊髄液減少症は交通事故被害の利権がからむ認められない病で、患者は事故に遭っても保険も補償もえられない、被害者が泣き寝入りするしかない病でした。


壮絶な苦しみがあるにも関わらず、仮病や詐称病のように理不尽に追い込まれる病です。医師も治療をする医師は医師会では異端児でした。治療も拒否されたことも。国を動かす力を竪山さんが作って下さいました。今は、保険適用になり少しずつ認知されています。


妹が病の時、竪山さんと奥様が遥々鹿児島から高知まで遠路を来てくださったので泊まっていって欲しいと母と妹が申し出たのですが、その時は用事があると遠慮されました。


後で、その申し出が嬉しかった。自分はハンセン病だったから誰かの家に泊るとかは遠慮しなければと断ったと聞きました。私は、それを聞いて驚きました。私にはハンセン病を差別する感覚がありません。


しかし、ずっと隔離されて生活した竪さんの心には、深い悲しみが残っていることがそこからもわかりました。


先日、竪山さんがハンセン病について闘った医師をヒーローにした映画の件について意見を述べておられました。


感染のリスクが少ないから隔離は不要だと反対した医師と隔離を推し進めた医師が日本のハンセン病患者を隔離するかを決める時にいました。昭和の時代です。政府は、隔離を推し進めた医師の意見を尊重し、患者は離島にて隔離され名前も変えられました。患者家族も壮絶な差別をうけました。その医師は勲章までもらっています。


医師なりの考えがあったのでしょうが、何十年にも渡る人権被害を作って勲章です。人が人に与える勲章に価値は無いと思いました。


今回の映画は、隔離に反対した小笠原医師を主人公、ヒーローにして作られるようです。観ていないしどのような内容かわかりませんが。


竪山さんは、それにも疑問を呈しました。ヒーローをすぐ作りたがると。 ハンセン病にもしヒーローがいるとしたら、それは患者だと。人生をかけて、差別されながら苦しみながら生き抜いた患者だと。


深く納得します。


人生被害、人権被害をうけたハンセン病患者も、今では80歳を殆どが超えています。竪さんは、私の母と同い年。隔離されたのは中学生。


隔離されなければ、子供だってもてたでしょうにと言っていた事がありました。ヒーローなんかいらない。と私は思いました。


誰かをヒーローにしないといけないなら、歪みを正す何かが起こったことになります。その歪みで多くの被害者が生まれるなら、ヒーローなんかいらないから、そんな事起こらないで欲しい。


コロナ禍でなかなか会いに行けませんが、竪山さんのお家に妹といつか行ったら、親子水入らずで泊まらせて貰おうと思っています。


不思議な縁で、神様の楽器、琴を奏でる娘さん(霊魂の縁)が今ご夫婦と一緒に住んで、竪さんと共にハンセン病の啓蒙に努めています。


空想の東征

2021-05-23 08:18:00 | 神仏について

海部群にまつわる縁起地名について昨日かきました。自分で線を引きながら地図を眺めながら空想したことを書いてみたいと思います。


豊後国の海部群から九州にむかって線を延ばすと、祖母山があります。この祖母山には、健男霜凝日子神社があります。この神社が気になります。祖母山は神武天皇の祖母、豊玉姫に因んでつけられています。




そして、豊後国から四国伊予の間には、水ノ子島。佐伯藩が領有権を鶏を鳴して勝ちとりました。 




豊後海峡には日向灘もあり、太陽に向かう感じ。水の子は、イザナミ様とイザナギ様がお子様を作ろうとしたけれど、うまく出来ず、水に流したヒルコ様を空想します。ヒルコ様は住吉大神に育てられたとも言われています。では、そこから東へ出発です。


四国から徳島県海部群にいたる途中、母の実家、力石の津野山(角山)があります。刀の繋がりで考えると角山がしっくりきます。金刀比羅様、蛭子様(エビス様、恵比寿様)、耳の神様が鎮座されています。角は、素戔嗚尊、つまり、牛頭天王の頭の角を空想しました。




金刀比羅様は八大龍王様、蛭子様は日の出の神、と教えていただきました。耳の神様の御神体は、穴の空いた石。磐笛。石に穴が空く、私はその形から勾玉を空想しました。糸魚川の勾玉には蘇りの霊力があります。津野山の蘇りを期待します!



金の刀という漢字が金刀比羅様にはありますが、妹と熊さんが見た金の蛇はお山にむかって登っていった様です。八岐大蛇を退治した素戔嗚尊は、蛇と関係が深いとも思いました。


津野山(角山)から先に、剣山(=鶴亀ツルギ山)をへて海に面した海部群へとつながります。徳島の海部群を流れる海部川や母川は、国の天然記念物の鰻で有名です。剣山はイザナミ様の岩戸開きに関係する地とも言われているようです。母川の母と川からは、イザナミ様を思い泣く素戔嗚尊の涙を思います。逢えたらいいなぁ。神話に絡めると、大分の祖母山や徳島の川。何ともあったかい地名。


そして、東に進むと、イザナギ様とイザナミ様がはじめてお造りになったお子様、淡路島のある紀淡海峡もあります。




紀淡海峡の淡路島。近くに渦潮、鳴門があります。



ユラユラ、くるくる振り回した十種の神宝のヒレを思います。


ニギハヤヒノミコトに十種の神宝を渡す天神

蛇ヒレは籠神社に縁のある如意尼を似せて空海さんが桜の霊木で象った如意輪観音の指先にある如意輪にも似ています。




そして、ユラユラフルの、由良の地名がつく地、紀州の日高群。九州、日向から、日高に。日に向かっていると、太陽が高くなりましたね!まさに、私の頭の空想東征はお日様も一緒です。闘いは有りません!


ユラユラふったのは、布ではなく剣だと思うと昨日も書きました。物部氏の先代旧事本紀を偽書とかっていって扱わないのではなく、良い所を色んな書から拾ったら偏りがなくなるのに、なんて思ったり。

ウガヤフキアエズ王朝について書いてあるウエツフミも偽書でバッサリですし。色んな書からいあげる方が良いのにな。先代旧事本紀が見直されてきているみたいで良かったです。

日本記紀だけが真実って、人が書くからには、忖度があるでしょうから。


紀淡海峡鳴門で、ぐるぐるされたあと、紀州でゆらゆらがふられるわけです。神武東征で神武天皇が土着の民の抵抗にあったのもこの地ですね。


剣を布に記紀では変えていますが、剣と書けない何かがあったのかなと空想します。剣を持った者が覇者となるとしたら、神武東征では全てを明らかに出来ない事があったのかなと思いました。ウガヤフキアエズノミコトから神武天皇の間には長い年月がたっていますから。


そして、紀州の海部群から線をのばすと、奈良県。石上神宮があります。妹は行ったようですが、私は行ったことはありません。こちらの摂社に出雲タケル尊が鎮座されているようです。空に雲がかかります。出雲タケルvsヤマトタケルのお話が記紀にでてきます。この話を読むと、出雲タケル尊が可哀想に思いました。




以下お話を転記します。


クマソタケル兄弟を倒し、倭タケル(ヤマトタケル)となったオウス尊は「出雲国」へと入り、その首長である「出雲建(イズモタケル)」を殺そうと考えました。 到着するとヤマトタケル尊はすぐに出雲建(イズモタケル)と友人となりました。 


そしてひそかにイチイ(櫟【=木の名前】)で偽の刀を作り、それを身に着けて、出雲建(イズモタケル)と肥河で水浴びをしました。 


倭建命ヤマトタケルノミコトは水浴びを終えて、河より上がり、出雲建(イズモタケル)が解いて置いていた刀を取り、 

「刀を取替えよう」 と言いました。 


出雲建は河から上がり、倭建命の偽者の刀を身に着けました。 


ここまで


これにより、出雲タケルは、ヤマトタケルの陰謀により、斬られるのです。石上神宮の御神体が布都御魂(ふつのみたま)であり、これは実は素戔嗚尊の霊剣だと教えてもらいましたから、この地に摂社としてお祀りされています出雲タケル尊には鎮魂の意味がありそうです。 記紀に、を布にした何かは、これとも関係があると思いました。


そして、熱田神宮草薙の剣です。まさに、三種の神器のひとつ。熱田神宮の楠には、白蛇が住んでいるようですね。蛇と剣。熱田神宮は、尾張の国にあるだけに、闘いは終わりに!

神武天皇の東征や、倭タケル尊の東征には闘いが多くありましたが、もっぱら私の頭の空想の東征だから闘いはないです。


ヤマトタケル尊がなくなる直前、シシガミ様に会い、そして湖のそばでなくなり白鳥になった話があります。

蛇と鳥は、龍神と鳳凰にも感じます。龍や蛇は剣と関係あります。剣は、きっと沢山の敗者や涙を生みます。海を統べる素戔嗚尊は優しくその御霊を包んでいる気がします。

白鳥になって、鳳凰になって、全ての悲しみや恨みをもって亡くなった御霊が昇天されるとよいなと思いました。



【画像は全て検索画像よりお借りしました】


眞名井神社と海部群

2021-05-22 05:54:00 | 神社仏閣
海部」という縁起地名が気になりウィキペディアで調べてみました。

海部群(徳島県)阿波国の群

海部群(愛知県) 尾張国の群

海部群(和歌山県)紀伊国にあった群

海部群(大分県)豊後国の群 


次に、それぞれの土地を調べてなんとなく引っかかってきたものを書いておきたいと思います。


徳島県海部群。高知の室戸岬の近くです。海部川流域は海部刀の産地として知られ、母川のオオウナギ生息地は国指定天然記念物です。徳島県にある山は霊山です。剣の地名がとても気になっています。


剣山検索画像より


愛知県の昔の尾張国、名古屋市にある熱田神宮は、草薙の剣が鎮座されていて、蓬莱伝説が残る地で、ひつまぶし(の蒲焼)がとても有名な土地です。


紀伊国、現在の和歌山県にあった海部群は海に面した日高群を含み、徳島県の海部群と海を面して反対側にあります。日高群には、由良市があります。




由良の地は紀淡海峡を舞台に活躍した海人の姿を想像させるのと、記紀にある天日槍(あめのひぼこ)の「出石の刀子」ゆかりの出石(いずし)神社もこの地にあります。


また、一時期偽書とされた物部氏が書いたのではないかとされている「先代旧事本紀」によれば、天神御祖が饒速日命(ニギハヤヒノミコト)に十種神宝を授ける際、「布瑠の言(ふるのこと)」と呼ばれる以下の祓詞を唱えて神宝をふれば、死者をも蘇生させることができると宣ったそうです。

由良の地名縁起はこの「布瑠の言(ふるのこと)」と関係があります。この言霊が、

「一二三四五六七八九十、布留 由良由良 布留部(ひと ふた   いつ  なな  ここの たり、ふるべ ゆらゆら ふるべ)」


十種神宝を祀る神社としては、奈良県の石上神宮と、島根の物部神社が知られているようですが、石上神宮に「布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)」がおり、これは十種神宝そのものに宿る霊魂を指すというのです。この十種の神宝のうち、ひれは、蜂ヒレや蛇ヒレです。見た感じ、布には見えません。剣みたい。



十種の神宝検索画像より


しかし、ヒレは日本記紀では布とされています。記紀によると、大国主命を根の国で素戔嗚尊の娘スセリビメが助けた時、「の比礼(ひれ:女性が、結ばずに首の左右から前に垂らすスカーフの様なもの)」を大国主にさずけ、蛇が食いつこうとしたら比礼を三度振るよういいます。その通りにすると蛇は鎮まったので、大国主命は無事に一晩寝て蛇の室を出られます。

次の日の夜、素戔嗚尊はムカデとがいる室で大国主命を寝させます。また、スセリビメの授けたヒレで、大国主命は無事にムカデと蜂の室を出られたと神話にあります。


由良、由良。大国主命がユラユラしたのは、どっちでしょうか。剣か、布か?


日本記紀と偽書として大切にされなかった先代旧事本紀」の食い違い対決!剣に私は一票!。って、どっちでもいいやないかい!って?海部群の地名縁起に剣や刀が沢山あるからかなぁと思いました。記紀では、これを布(ヒレ)にしないといけない何か隠したいことがあったのかな?


大分県海部群は、少し詳しく書いてみます。海部群は、大分市一部、

佐伯市の大部分、

臼杵市の一部、

津久見市全域、

つまり、海に面した地域が、海部群にあたります。


ウィキペディアより

豊後水道を挟み九州と四国をわけます。愛媛県に近い水域にも由良の地名のつく、由良半島があるようです。 なんだか、海に突き出た剣の様でもあり、蛇の様でもあります。




由良半島近くの豊後水道が最も狭くなった部分が、豊予海峡であり、美味しい鯖。関サバがとれる大分県の関崎と、愛媛県の佐田岬間はたった約14kmです。



その中央の海域に無人島水ノ子島があり、ここの灯台は石造の灯台としては島根県の出雲日御碕灯台に次いで日本で2番目の高さだとか。


水ノ子島は、興味深い歴史があり、江戸時代から明治時代にかけ、伊予国(愛媛県)宇和島藩と豊後国(現在の大分県)の佐伯藩で、領有争いがあったそうです。


言い伝えによれば、両藩で、一番鶏を合図にこの島に一番近い港から船を出して先に島に着いた藩の領地とすると取り決めたところ、佐伯藩の鶏が宵鳴きしたため、佐伯藩が先に島に着いて、この島を領有することになったとか。佐伯藩は、火を焚いて一番鶏を早く鳴かせて先に島に着き、この島を領有することになったそうです。

佐伯には、譲れない何かを守るためにサエギルというのを地名に隠しているみたいです。


領有権問題は、尖閣諸島や竹島、北方領土など、近隣外国vs日本が思いつきますが、昔は日本の藩同士で領有権を争ったのですね。水ノ子島は無人島なのに。鶏を鳴かせて岩戸開きした神話を空想させます。

水ノ子島はそれだけ大切な島だったのでしょうか。ミズノコから、ヒルコ、蛭子、という言霊を空想させます。水子は、生まれることが出来なかった命。隠された王朝、ウガヤフキアエズ王朝が気になります。また、折をみて調べてみます。


4つの海部群、何故か地図上では一直線で繋がりました。ビックリ!



色々と取り留めないことを書きましたが、海部という縁起地名と、海に面する地域に意外と共通の地名がつけられており、神話を感じさせます。特産のうなぎも、形は蛇みたいですし。


一度行って大好きになった京都の眞名井神社。この神社の宮司さんは、代々海部氏だそうです。ニギハヤヒノミコトは「先代旧事本紀」によれば物部氏の祖、丹後の籠神社に伝わる国宝の「海部氏系図」によれば、海部氏の祖となるとも書かれているようです。


籠神社は、浦島太郎伝説が残る神社です。奥宮の眞名井神社には銀龍神がいらっしゃるとか。ほんとに素敵なそれは素敵な神社でした。瀬戸内海、海部氏や物部氏や海で生きた縄文時代の民に深い繋がりがある気がしています。