大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

美意の按配

2021-06-20 06:36:00 | 神話・物語・本から

昔王様と家来が散歩をしていた。

そこに、猛獣が現れて、

王様の指をかみちぎってしまった。


王様は家来に

「なぜ助けてくれなかったのか・・」

と怒った。


助けられなかった家来はひとこと、


「美意の按配(びいのあんばい)です。」

(天の美しい配慮によってきめられている事)

・・・と。


王様は怒って、家来を牢獄に入れてしまった。


その後、しばらくして王様は一人で

また散歩にでかけた。


その時に、人をとらえて、生贄

にする集団に捕まってしまった。


しかし、王様の指が無いのを見ると、

「この人は神からの遣いだから殺してはならない」

といって、王様を逃がしてくれた。


王様は、牢獄に入れた家来の所にいって、

「指を猛獣にかまれたことで、自分の命は助かった・・・。」

といい、家来を牢獄に入れてしまったことを

お詫びした。


家来は、


「これもまた、美意の按配です。

お詫びはまったく要りません。

王様が私を牢獄に入れてくれたお陰で、私も命が助かりました。もし、一緒に行っていたら私の命はありませんでした。」


インドの話だったと思います。昔、鶴瓶さんがテレビで言っていました。全ての事柄や出会いは天の采配で定められている事みたいです。


なるほどなぁ、と当時感心しました。人間万事塞翁が馬。


何が良いかなんて、一瞬だけを切り取り判断は出来ないんだなぁと思いました。


按配は、塩梅。昔は桜より梅が愛でられたとか。桜も好きですが、梅の香りも好き。梅をつけました!




梅雨があけたら天日干しします。美意の按配にかけて、梅干しととく。そのこころは!美味の塩梅。笑


子供には、氷砂糖で梅シロップを作ってます。梅好き一家。





梅は、種を割ると仁が入っていて、それは「天神様」(天仁様)と呼ばれているみたいですね。これは太宰府天満宮の天神様として祭られている菅原道真が梅を好んでいたことに関係しているみたいですね。

道真公の梅に関する和歌

ふる雪に 色まどはせる梅の花 鶯のみやわきてしのばむ

【現代語訳】

降っている雪と色を見間違えるような梅の花を、鶯だけは見分けているのだろう。

こちふかば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ 


【現代語訳】

東からの風が吹いたら、匂いを寄越してくれよ、梅の花。主がいないからといって、春を忘れるなよ。


梅の花 紅(べに)の色にも似たるかな 阿呼がほほにつけたくぞある

【現代語訳】

梅の花の色は、紅の色に似ている。阿呼(あこ=菅原道真の幼名)の頬につけてみたいなあ。


荏原神社 梅

【イラスト画像はあんばい検索画像より】



双子で生まれて

2021-06-19 06:46:00 | ひとりごと

霊感とか全くないのですが、生きてきた中で唯一妹が病気の時は霊感のような、なんだかわからない感覚が自分にありました。


妹は病の発見まで、半年以上かかりました。当時はかなり知られていない病だったので、ドクターショッピングを繰り返しどんどん悪くなりました。


その際、私はネットで妹の病を見せられたのです。見せられたという感覚でした。妹が私に言う症状と、その画面に書かれていた症状が同じ。あれこれ探してなくて、ぱっと出てきた画面のサイトが脳脊髄液減少症。見せられた感じでした。


妹は、専門医にたどり着き関東で治療を始めました。当時は本当に辛かった。本人が一番辛そうでしたが、そばにいる私も見てると涙が出てくることも。


そんな中、私の身体がピリピリとしてきました。変ですが、母も夫も私の手を触り電気みたいなものが流れるのを感じたし、私にも強く電気みたいな何かが身体を流れるのがわかりました。


手だけ出なくて、私の足のつま先からもしびれたようなぴりぴりがしてきて、寝てると、足から入り手の指先まで上っていくのがわかりました。


私がその手で妹の手を握ると、電気が妹の手に注がれるのを感じました。妹にはそのぴりぴり電気がとても気持ちが良かったようです。


当時の日記を読み返して書いています。


絶え間なく、電気のようなものが指先から〇〇(妹)の右手に注がれる。あまりにも、気持ちがいいと言うので40分ほど深呼吸しながらずっとそのまま手を握った。〇〇がいうには、そのぴりぴりが痛いところ(頭や背中)でとまって、また足や、左手に抜けていくと・・・。


とにかく、私の手からのぴりぴりで、かなり楽になったようだ。


私は、夕食の支度と娘の用事があったので、またやってあげるね・・と手をはなし部屋の扉をあけたまま部屋をでた。その後、〇〇はすばらしい体験をしたようだ。


それは・・・


私が手をはなした後も、体に電気が入って気持ちが良かった。そして、現実世界と思えないような見てはいけないような雰囲気になったので、目をつぶった。

すると、足先から大きな光の輪(光の圧)がくぐりぬけ、痛いところで止まったかと思うと、すっと抜ける。別の光(目はあけてないが、赤や黄色のような光という印象)が斜めから頭の痛いところを通り抜ける。

たくさんの光がいろんな方向からはいっては、くぐりぬけ、最後に、両手の掌にひとつずつ光の玉がのった。そして、その玉を合わせて、脊髄の硬膜のやぶれてしまった部分をイメージして、そこにふりそそがれるようにおいた。そうして光は、消えた。・・・と。


実は、その間、母から、「〇〇を見て!」・・と呼ばれて、驚いた。目をつぶっていたので、私は〇〇が気持ちよくて寝たのだと思っていたが、妹の首(いつも痛くてヒエピタをはっている部分)がありえないほどの震えというか、動きをしていた。


私は、母に大丈夫?と心配になって聞いたら、母は、寝ているから大丈夫と・・。

その間に、妹にそんなことが起こっていたとは、思いもよらなかった。


病気が介抱に向かう気がしてきた。



と、書かれていました。


介抱にすぐ向かったわけではありませんでしたが、難しい病なのに、様々な治療により2年の月日で完治に至りました。


あの時の出来事はあまり本人は覚えていないようで、私も自分の日記を今読み返してそんなことがあったなぁとしみじみ思い返し、神様に助けて貰ったと感じました。


身体のピリピリは全く今は無くて、あれはいったい何だったんだろうと思います。私たちは二卵性なので同じものが分裂して2人になった双子ではありません。もともと最初から母のお腹でも別存在の2人だった。


ただ、誰よりも長くいることは確かで、性格とか違うけれど、片割れの人生最大の辛い時に、何とか助けたいという思いが、不思議な電気みたいな力に変わったのかもしれません。私の人生でもピリピリ電気はあの時だけでした。不思議な話はあの時は色々とありました。


【画像は双子イラスト検索より】


純粋な人を傷つけること

2021-06-18 05:38:00 | ひとりごと

人間だから、知らずに悪いことを気づかずにやってしまうことってあると思います。

しかし、やってしまった事が悪ならやはり、蒔いてしまったからには、自分で摘み取る(罪とる)ことはしないといけないのかなとも思います。


だから、生きるのは沢山の責任を伴っていると思います。悪気なくやってしまう、それでも人を傷つけたならやはりその責任はやった方が引き受けると思います。


すごい心が純粋な人が詐欺にあった話を2件も聞きました。どちらもよく知る方の親族。泣き寝入りしなければいけない現実。信じられないやり方で。


この世が終わりでないと心から信じているから、神様がいると信じるから、必ず犯した罪は犯した方にかえるよ、と怒りを心で抑えるしかない。


それでも、その騙された純粋な人がそれに相当苦しむ現実があったりします。この世の生きづらさ。


信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つく方がいい。贈る言葉の歌詞のフレーズ。何だかなぁ。と思います。


私は人といると疲れる時もあるから、一人になる時間はとても大切。最近はその時間が増えつつあります。人を信じられなくなる世は悲しい。信じた人からは傷つけられたくないし、お互い様だから、信じてくれる人を傷つけることもしたくない。


さらには、出会えた人を傷つけたくない。人を傷つけることは、自分の身魂も傷つける気がします。皆んな神様の分け御魂を宿しているから。


「海ならずたたへる水の底までに清き心は月ぞてらさむ」


これは菅原道真公が詠まれた和歌です。


菅原道真公は雷神とも祟り神とも言われています。無実の罪、陰謀、嫉妬により都を追われました。


道真公は月は知っていますよね。私の心を。と言わんばかりに、暗闇に光る月を自分の心に見立て語りかけていたのかも。暗闇はまさに、都で起こった陰謀の数々。


純粋な方を暗闇に落として平気な人は、もはや、人ではないかも。純粋な方の光は海の底まで届くほど美しく消えないから、やった方は、より光のない世界、暗黒に歩いて向かっているとも思います。


菅原道真公が祟ったのでなく、自分の負い目が闇を深くして雷を落とした。負い目のあることは人にばれなくても、自分の心の眼には隠せない。自分の中には神様がいる。だから隅々まで見られている。


詐欺も、事件としてあがるものは氷山の一角。でも、神様は、隅々までみておられる。そういう人の内神様は暑い雲で隠れているとは思うけれど、やはり見てると思います。外神様も必ず見ていると思います。


遍く空氣があり、それが無ければ生きられないように。遍く神様は存在していると思います。騙されて傷ついた御方や家族の心の傷が癒やされますように。


人を騙して平気でいる、捕まらなければいい、自分の欲心のために人が何年もかかって築いたものを奪う。分離の姿。分かち合いを望む神様から遠く離れたことをして、ただで済まされる筈はないと思いました。


昼は太陽、夜は月が光り、大地に立ち、天と地の間に人は生きていられる。神様は常にいて、ずっと見ている。これを私は強く信じています。



入学試験

2021-06-17 05:55:00 | ひとりごと

娘が入試を受けるような年齢の歳になって、自分の入学試験について考えはじめるとは遅いかもですが、今日は入学試験について書きます。


私は今から入学試験を意識して生きようと思ってます。いつまでかはわからないけど、かなり最難関で、何度も何度も失敗してきた試験だと思っています。すごい長丁場になるかもだけど、今までも実はボケーっと受けていました。




終わりは、まぁ、あと長くて50年かもしれないし、はいやめ!っと直ぐくるかも。試験だけど「学」の勉強ではなくて、必要とされるのは「素=ス」。


これは、私の死生観につながります。死生観を持っている人もいれば、いない人もいると思いますが、私は、自分なりの死生観があり、だから、死はあまり怖くないですが、まだ生きたいし、生きなければとも思います。そして、大切な人にも長く生きてもらいたいと思います。


「死」はこの世の「卒業」ではあるけれど、「終わり」ではなく、この世のものや金、また地位とか権力等の重苦しい鎧のようなものはすべて脱ぎ捨てて、素の自分(心)だけがあらわになる世界へ移行(入学)するのだと思っています。彼方の世界にいくまで、この世では眠りながら(試験最中と気づけないまま)生かされているのかも。




命が与えられている事は、最期の審判が下るまでの試験を受けさせて貰える時間を頂けているとも感じ、感謝してこれから残りの時間は大切に時間を使っていこうと思います。


生きている時に自分の内にいた内神様が、亡くなると御魂から離れて冷静(霊正)にチェックするから、逃げられません。


言い訳なんか言えるはずない、だってお見通しだから。御魂が目玉になって!?(笑)悪い事ばかりしてたら、閻魔様の形相でみるから、本当に忘れていても悪いことしてたら、ごめんなさいと心底謝りたくなるし、悪いことされたと思っても、腹をたてた自分の愚かさを見せられて、またごめんなさいと恥ずかしくなるのかも。




いつ死ぬかなんてわからないし、命には誰も終わりがくるから、その時がきた時に自分が少しでも善い人間でいたい。閻魔様に、最後は笑ってもらいたい。


大善人。ブログタイトルにもつけました。夢で見せられたこの漢字。なぜ、漢字だけ夢でみたのかはわからないけど、自分の振り子が悪い方に向かう時だったから気をつけろと途中で言われたと厳粛に反省して、死ぬ時までずっと追い求めていきたい。


自分の中の悪い部分、我を小さく小さくして生きていきたい。善いところを大きく大きくしていきたい。


内神様に合えるように、最期のをして、あちらに逝く時まで、活き活きと、自分の人生を歩いて行きながら、生きたいと思います。


【画像は入学試験、閻魔大王検索画像より】


氷川女體神社(女体社)

2021-06-16 05:38:00 | 神社仏閣

最後は、氷川女體神社(女体社)に参拝しました。こちらは、浦和に電車で行きそれからバスと徒歩。バス停をおりてからも歩きだったので遠く感じました。バスの本数も少なかったです。


都会の喧騒はなくなり、埼玉もここまでくるとこんな長閑なんだと思いました。私はのどかなのが好き。


バスで迂闊にも寝てしまい、乗り過ごしたかも!と運転手さんに慌てて聞いたらまだだったので良かったです。


いつも妹が連れて行ってくれるから、車中で寝たりもしていましたが、運転してくれているのに寝るとは失礼でした。有難いなぁと、何分もバスを待ったりして思いました。


氷川女体神社は三室にあります。





鳥居を入ると、氷川女體神社(女体社)です。



御神木


氷川神社の3社がある見沼は江戸時代中期に開拓されるまで大変広大な沼であり、土着の神を祀っていた太古の信仰があったようです。


御祭神の筆頭は奇稲田姫。(素戔嗚尊の妻)





こちらには拝殿隣に龍神社がありました。この地、昔の見沼には龍神伝説があります。ウィキペディアに詳しく書かれています。


ところで、見沼の龍神様の祟りとかウィキペディアに書かれていますが、反対に、自分がある日突然住んでるところを出て行けって言われ、少し待って欲しいとお願いしても無視され、住むとこもなく追い出されたら、どうでしょうか。


中山神社の分断された参道。時代の流れの中で どれだけ人は精霊や神々の地を好き勝手に開拓してきたのかなぁと、、、感じました。


御霊返し。御魂返し。この言葉は、どうやって返していけば良いのか。と考えさせられます。


神様は地上に高天原のような地をお造りになりたかった。人に必要な利器を与えました。天の益人、益人とは日月神示によると、


益人ますびとの益ます心ぞ

益すとは弥栄の事ぞ、

神の御心ぞ

臣民の心も神の御心と同じ事になって来るぞ


益人は、自分の利益だけでなく、全てを益す、喜ばせる人。土地の神様の住処を奪ったりは益人がすることではないと思いました。


まずは、このような伝説を知って心に問いかけてみようと思いました。龍神社で手を静かに合わせてきました。




今でいう文明の利器はスマホもそうですね。この利器により、知らなかった神様を知ることができ感謝です。実際足を運び、知らなかった伝説を知りました。


氷川3社、公共機関と足でまわりましたが、昔の人は車もない時代に生きて祈りを継続させてきたんだなあ、凄いなぁ、物が無い時代の方が心は神に向かうのかなぁと歩きながら思いました。暑かった一日、帰りは電車で寝てしまいました。


おわり