大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

秩父今宮神社(八大龍王宮)

2022-05-26 05:22:00 | 神社仏閣

秩父今宮神社(八大龍王宮)に到着です。秩父神社から徒歩で行けます。



この社の境内の池に仏法を守り水を司る神として八大龍王をまつったことから、秩父今宮神社は八大龍王宮とも呼ばれているようです。






神社をはいり直ぐ、穴のあいた御神木と池があります。龍神様の住み処であるとも言い伝えられます。なんとも心地よい水の音と空気。




鯉が水の中で優雅に泳いでいます。





池をすぎると樹齢500年余の巨木が見えてきます。八大龍王の幟が沢山。












この御神木の前にあるベンチに座りずっと話していました。かわいいペット用輪抜け様まで。御神水をもってかえる容器があったり、参拝者への気遣いをいたるところに感じられる素晴らしい気の神社でした。










今宮神社近くにお寺があり、「武田信玄は配下の失敗をこの寺の霊験にて許した」といわれています。

秩父へ武田軍が攻めこんで来た時、石原某は信玄の勘気にふれて切腹を命ぜられます。石原はお堂にこもって終夜観音様を祈り続けたようです。すると切腹直前に早馬が来て許されたという言い伝えがあるのが、今宮坊のようです。


実は、帰り際に姉と向こうに観音様があるお寺の看板には気づきましたが、時間を気にして行きませんでした。。ちょっとだけ後悔。



秩父今宮神社では44日には龍神祭とみくまり祭が行われ水乞いに参詣の秩父神社に今宮神社から水の神徳が授与され秩父地方の一年の祭りが始まるようです。


その後、秋の収穫を終えてこの水幣(水の神徳)を武甲山に返すお祭りが12月の秩父神社の秩父夜祭だとか。


武甲山に一年を通して感謝するお祭りなんですね。


お水をいただきました!



お隣には修験道の祖、役小角のお宮がありました。こちらに参拝したくて、私は姉にこちらの神社をリクエストしました。








何故修業するのか。
深見氏が神通力で役小角の御神霊から賜った御言葉を書いておきます。



ウィキペディア画像より


第一義
神明の加護により、国家と人々の安寧をはかることである。

第二義
霊明によりて、巷に苦しむ諸々の霊を救済することである。

第三義
山岳に眠る神威と霊妙および宇宙エネルギーの凝結神域を呼び醒まし、長々平和のために、顕幽界神三界にあまねく神徳を弘むことである。

第四義
衆生済度の聖願にかなう己たるべく、父祖伝来の因果律を離れ、自己本来の明徳を明らかにするべく、研務修養を為すことである。

第五義
日々精進の誠を輝かし、天地神明の道を成就するための根気と信念を培うため、苦修練業に耐えることである。

つまり、隠遁して修業しなさいが真意ではなく、愛と至誠を忘れずにいかなる事にも向き合って生きましょうねということだと思いました。

あたたかい愛、明るい心、執着をなくし軽やかに、前向きにいよう。

そんな風に思いました。

役小角様、お導きありがとうございました。

参拝させていただきありがとうございました。


そして、お姉ちゃん、一緒に参拝ありがとう!


姉は、NY🌆に今から行ってくるわぁ〜といいます。


ニューヨーク!?



秩父の駅にある入浴できる温泉です。

姉はよく、ニューヨークに行くらしく、行った先を海外にかえ、めちゃくちゃ楽しむ魔法を使える!?人です。

見習おう(^-^)

たしか、妹と行った高知の龍宮神社アメリカとイタリアに行ってきたとかって言ってたなぁ🤭

どんなことも、


いや、笑いに変える魔法使いかも。。

姉は子育て完了なので、ゆっくりできますが、私は夕食つくらないとです。

3時間片道かかりますから、、4時には現地解散です。👋

姉が、別れてから後にとった空の写真をあとから送ってくれました。温泉で綺麗さっぱり🧖‍♀️♨️したことでしょうね。









また、姉と関東日帰り平日神社小旅行をしようと思います。







秩父神社

2022-05-25 06:37:00 | 神社仏閣

御花畑駅を降り秩父神社に徒歩で向かいます。


秩父神社の社殿と参道の南側延長線上に武甲山があり、元々は武甲山を神奈備として遥拝する聖地であったようです。手水は武甲山から。




「ちちぶ」の名は、『旧事本紀』に納められている『国造本紀』によると「知知夫国造、瑞籬朝の御世に八意思兼命の十世の孫、知知夫彦命国造に定め賜ふ。」とあるようです。


現在の祭神は次の4柱。





秩父神社は12月の例祭「秩父夜祭」で知られているようでユネスコ無形文化遺産に登録されています。私の氏神である武蔵国一宮、大國魂神社にも例大祭(くらやみ祭)があり、秩父神社の神輿も巡行されるみたいです。繋がりを感じました。



現在の煌びやかな社殿は、徳川家康の命で建てられ、「子宝・子育ての虎」や「つなぎの龍」など、さまざまな彫刻が施されているとのことです。

確かに社殿には美しい彫刻の数々が施されていました。









姉は以前三峯神社を参拝した際に秩父神社にも一度来ていたようです。今回も社殿の一部は修理により見えない所もあったのですが、姉は以前見えなかった彫刻が今回は見れた!と喜んでいました。


摂社には全国の一宮がお祀りされています。ひとつひとつてを合わせました。





タケミナカ神と奥様のヤサカトメ神もお祀りされていました。諏訪の後で、またお会いできました!





ゆっくりまわるスケジュールのため、姉と御神木の銀杏のそばの木陰で、色んな話をしました。




暫くして、鯉の泳ぐ池をみてから次の神社、役小角のお祀りされています秩父今宮神社に歩いて向かいました。






和銅開珎遺跡

2022-05-24 05:39:00 | 神社仏閣

和同開珎遺跡までは舗装された林道を歩きます。奈良時代をひらいた元明天皇の時代に和銅開珎が作られます。

それまで、お金は無くてぶつぶつ交換なのかな。お金の変遷は今では、キャッシュレス化がすすみ電子マネー、時代の変遷を感じますね。


秩父地方の人類の足跡は、近年の発掘調査により、旧石器時代後期の約16000年前のナイフ形石器が蒔田にある下蒔田遺跡より出土したようです。


また、約12000年前の縄文時代草創期になると、洞窟(三峰)や遺跡より石器類と土器が出土しているみたいです。


その後、縄文時代晩期(約30002300年前)から弥生時代(約23001800年前)にかけて、遺跡数が極めて少なくなるようで、秩父市以外にもみられる全国的な動向みたいです。


縄文から弥生、狩猟採集から稲作へ、人々が定住地を求め移動したのかもですね。人々の生活ががらっと変化したのでしょうね。


その後随分後ですが、中央政府との関わりは、『続日本紀』和銅元年(708年)によれば、秩父郡より自然銅が献上され、年号が和銅に改元され、武蔵野国の庸調が免じられた。


とあります。


また、自然銅が産出された場所は秩父市黒谷地区が有力候補地といわれている。


ということで、その有力候補地に向かいます!




途中、招き猫ちゃんに遭遇( ^ω^ )


綺麗な林道です。






大きなモニュメント!
どれくらい大きいか?というと


大きいを体で表します

隣を小川が流れます。石をだれかが積み上げてます。




この川沿いを歩いて奥へ。


奥で男性が1人何かをしてました。あとで偶然駅で会い、水晶を浸して浄化していたことを教えてくれました。胸にはピカピカの水晶をお持ちでした。1時間もすると汚れた水晶が綺麗になるんだとか。

自然パワーは凄いですね!



この地で少し目を瞑ります。水の音、風、陽光、全て目を閉じて身体で感じます。姉は水筒にお水を入れてました!


暫く、水辺でゆっくりしました。そして、ゆっくりまた林道を話しながら歩きます。


銅採石跡


銅製の百足が!!

あれ、龍雲やろか?
大きいねぇ。と空を見上げます。
そう思うちょこ。龍雲や。龍雲や。

2人になると土佐弁になります(^^)




駅近く。龍勢という町。

山の上には和銅の石碑が、、行きは気付かなかったです。帰り気づいてよかったです。



金、銀、銅、鉄の時代。アストレアのギリシャ神話の女神の話しを思い出しました。

秩父の山は今はセメントの採掘跡が沢山見えました。

山の神様は人に鉱物を与えています。足るを知る。必要なだけを有り難くいただき、自然に感謝する心を忘れたくないですね。


つづいて、御花畑駅にあります秩父神社へ電車で向かいます。





聖神社 和銅開珎 in 秩父

2022-05-23 06:24:00 | 神社仏閣

武田信玄が諏訪大社のタケミナカタ神を信奉していた話しがあります。武田信玄は今から500年ほど前に生まれた戦国時代の武将で、武田家と諏訪神社の関係は信玄の曽祖父の時代から書物に残され、戦闘や和睦を繰り返していたようです。


いつの世も、戦い⇨平和⇨戦い⇨、


そうして、、


諏訪氏が没落した後、信玄と手を結び諏訪上社の神長官の力が増し諏訪神社を復興し、信玄も諏訪神社を庇護し、戦乱により廃絶していた神事や社領も復興したようです。

和すると神様事もススム不思議(^-^)


今年三峯神社に行った時、秩父に武甲山という山があるのを知りました。たまたま泊まったホテルの部屋も武甲でしたから、すごく印象深かったです。


この武甲山は、武田信玄と縁が深い山のようです。興味ある方は調べてみてね。


また、この地域にあります武信ヶ岳は、州(甲斐国、山梨県)、州(武蔵国、埼玉県など)、州(信濃国、長野県)の境にあるのでこの名になっているとされる説があるようです。甲州の武田信玄は、その名前って、三国を繋ぐみたいな意味合いもあったのかなぁと勝手に思いました。


姉から、秩父の神社に一緒に行こうと誘われていたので、天気の良い平日に行ってきました。以前家族で参拝しました三峯神社も姉のおすすめでした。


秩父は結構離れています。3時間位片道かかりますが、姉と喋りながら、田舎を電車で走る小旅行は、あっという間でとても楽しかったです。姉は御朱印を集めていて、沢山の神社をまわっています。


私は今更集める気はないですが、御朱印は神社好きを増やした気もします。行った日が記され思い出にもなるし、いいなと思いました。


御朱印を見ながら、姉が色んな神社での話しを教えてくれました。話しが面白かったです。


姉が今回行きたいのは聖神社、和銅開珎遺跡、秩父神社。そこに、私は役小角が祀られています秩父今宮神社をリクエストして、それらを徒歩と電車でまわることにしました。


姉も私もペーパードライバーなので、車はなし。姉は私と違い、スケジュールとか行き方とか全部解るので頼りになります。私は、方向音痴が酷く秩父をひとりでまわる勇気はないですね。


まず和同黒谷駅に到着。なんとも、レトロな映画に出てきそうな駅。








龍とそばかすの姫に出てきた駅にそっくり。



龍とそばかすの姫より検索


あの駅は高知の駅をモデルにしていましたが、秩父のこの町はどこか高知のような田舎の雰囲気のある町並みでした。



聖神社という神社は同じ名前の神社が高知にあります。姉と妹で行ったようですが、あまりに気に入って姉は必ず子供たちを連れて再訪しようと思っているといいます。私も行ってみたいです。



秘境&スピリチュアルスポット ③聖神社 - お山にお宮がたちました

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エネルギー溢れる姉が、もう一箇所秘境神社に行きたいと言います。はい喜んで❣️とご一緒します。極めて魅力的なお兄様から教えてもらった秘境スポット ③...

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秩父の聖神社に向かい駅から徒歩で行きました。電信柱に369ミロク(o^^o)。




途中綺麗な花が咲きます。極楽、極楽(o^^o)








到着!





御神木


和同開珎だけにお金のご利益を求めて来る方が多いようです。平日午前中でしたが、パラパラと人は途切れません。

御祭神は

金山彦命

国常立尊

大日孁貴尊

神日本磐余彦命の4柱に

元明天皇が合祀されています。

金山彦命は、日本神話では、イザナミ様の病と死により産まれた神様の一柱とされています。



しかし、役小角の著書の中では、役小角の仲間として地下鉱脈により資金面で非常にサポートした豪族の御方でした。


境内石碑には『当社はこの歴史的由緒ある「自然銅を主神」として祀り、更に金山彦命、元明金命を合祀し』たとあり、和同開珎ゆかりの神社ということから「銭神様」とも呼ばれ、金運隆昌の利益にあやかろうという参拝者も多いとウィキペディアには紹介されています。


絵馬が和同開珎!?🤭




お宮にも和同開珎!



お隣はエビス様や大黒様が、、



裏手の祠も参拝しました。


お金は大切だけど、足るを知るのがいいですね😊小ぢんまりとした気の良い神社でした。


聖神社から和同開珎遺跡にあるいていけるから行こう、、と、姉に連れられて次は、実際銅の産出された遺跡へ。私は歴史が好きなので、遺跡もテンション上がります。


つづく


縄文時代の人々

2022-05-22 05:55:00 | 神仏について

諏訪の土着のモレヤ一族が守りつづけていたのが、縄文時代から続くミシャクジ信仰です。


一説では、モレヤの神長官がミシャグジ神を笹に降ろし、ソソウ神(白蛇)と合わせる儀式だそうです。


春は冬籠りした大蛇が地上にでてきます。大蛇を大地のエネルギー、つまり、静から動への流れのようにみなしたのでしょうか。


タケミナカタ神のシンボルともいえる藤の弦が絡み合って上に伸びゆく姿は、木を蛇が絡みつきながら上る姿のようですね。


蛇は脱皮しながら成長することから、古代エジプトでも不死再生の象徴、また、蛇にはアダムとイブの話しにあるような正邪、陰陽、静動を併せ持つエネルギー体のようにも感じます。


狩猟や農業が主体だった縄文時代は、人々は自然と共に生きていたと思います。


エネルギーを増幅させ大地の恵みをたくわえる冬は、食も乏しく辛い時期ではあるけれど、春に向けてエネルギーを貯める大切な時期です。


御柱祭で使われる縄はまるで、まるで蛇のようです。縄で御柱を曳きます。



ホテルにて


御柱祭の時、街中の色んなところホテルのロビーでもこの縄をみました。縄でつくったトグロを巻いた蛇を象っていました。


どうして蛇なんだろうと思いながら、同時にこのトグロを巻いた蛇のような縄を見た時に、私は、ヨガなんかでいわれるクンダリニーを思いました。


縄文人は、体で感じるエナジーをこの縄で現したのではないか?


クンダリニーについては、ウィキペディアで次の説明がされています。


クンダリニー螺旋、コイル、巻き毛、環などを意味するKundalini(クンダラ)から派生しており、焼く、燃えるを意味する kund (クンド)、「皿」「穴」を意味する kunda (カンダ)が、の語根である。


クンダリニーは普段は尾てい骨付近にある第1チャクラ、ムーラーダーラに眠っているという説明が一般的ですが、平凡な誰しもが自分でも気づかないほどの穏やかなレベルで覚醒しているというような見解もある。


伝統的な考え方におけるクンダリニー覚醒は、シヴァ神(ヒンズー教の破壊神)と離れ離れになり3回半とぐろを巻いた蛇としてムーラーダーラに眠っているシャクティ女神が目覚め上昇し、頭頂部上方のサハスラーラに鎮座するシヴァ神と再結合を果たすといった描かれ方がなされる。


等、説明されていました。


シャクティ女神が絡まりシヴァ神と頭頂で和する、、?🤔シャクティにも、ミシャクジ信仰にもシャクがあり、尺取虫みたいに、伸びたり縮んだりしながら上る感じかな?


ヨガの図はこちら。





ところで、縄は依って作ります。螺旋状に絡まり合う感じです。縄文人は、身体にもある畝る螺旋の渦、遺伝子の渦なんかも、自然の中で生きていく中で、無意識に感じとったのかもしれませんね。


全ての生命が繋がり、生命をそれぞれが補完しながら、大地と繋がり生きていることを感じたのかもとも思いました。

宇賀神という蛇の姿の神様がいます。




↓と似てませんか?





三輪山などは、蛇をご眷属とされる山が御神体です。また、太古から、日本には多くの火山があります。聳え立つ山の中で、静かな時はトグロを巻きエネルギーを溜め、また溜め込んだエネルギーは、畝るようにのぼり突き上げ、時には恐ろしい炎をふき天頂で噴火し溢れだすことさえあります。

燃えるを意味する kund (クンド)、「皿」「穴」を意味する kunda (カンダ)が語源なのが、ヨガのクンダリニーでしたが、まさに、穴蔵に溜め込んだものが燃える、静と動を山は表している気もします。


御柱祭のトグロを巻いた縄で表されているのは、蛇にも見えますが、眠っていた自らのエネルギーの流れが身体に流れるのを体感し、頭頂に渦を巻きながら流れる溢れた時に、人知を超えた爆発的なエネルギー体となり自然や天、宇宙、森羅万象全と一体となる姿かもしれません。縄文人は、自然に生きる中で、大地と繋がる人々で溢れ、ヤオロズノ神様を自然に感じたのかも、、、とも思いました。


神社には、しめ縄があります。出雲大社のしめ縄は本当に大きいですね。





2本の縄をぎゅっと結びます。注連縄は結界でもあります。因みに遺伝子🧬2本が絡まり合うようにみえて、目に見えない3本目が絡まりあっているときいたことがあります。





神社にいき、なんともいえない良い感覚を覚えたり、自然の場所で癒されたりするのは、人のもつエネルギーが自然のすべてと繋がり絡まり合いながらひとつになるからかもですね。


大地から生まれて大地に死ぬ、人はそうして自然と自分を分離していなかったのが縄文時代。


空気・水・光・森羅万象・エネルギーの中で、人も同じエネルギー体として輝いていた時代。


自然を愛する人は、全ての生命を愛し、さらには、戦いなど起こるはずがないのが縄文時代だったのかなと。


自然のエネルギーを感じる純粋な縄文人の感覚は、今を生きる人が持つ競争意識、分離意識、差別意識、我良しの意識とはかけはなれた意識であり今を生きる自分が取り戻したい意識でもあります。


【写真はお借りしました】