大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

夜神楽 in 宮崎県 高千穂町神社

2022-08-26 05:41:00 | 神仏について
宮崎県の高千穂町に到着です。天岩戸神社のすぐそばの旅館です。旅館に着くと、神楽を夜8時から高千穂神社でやりますが、いきますか?といわれ、それは行くしかない!とご飯を食べて早速行きました。

事前予約してなかったから、早めにいったので、薄暗い中高千穂神社を参拝しました。






足元を照らす光が綺麗です。




スギの大木も聳え立ちます。




以前、鬼八と闘った神武天皇のお兄さん三毛入野命について書きましたが、その彫刻のある神社がこの夜神楽をする神社、高千穂神社でした。参拝の予定外でしたから嬉しかったですね。

神武天皇の兄、三男の巻 - 大善人へ身魂磨き

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ところで、夜神楽は自由席なので、早くから行ってよかったです。8時には満席。。

畳の大広間の壁には夜神楽の一番から説明が。







今回見たのは4番の舞でしたが、全部で33番ある神楽は11月から2月まで行われて、秋の実りに感謝と豊穣を祈願しているようです。




4番の神楽の最初は、まずは手力男の舞。

どこの天岩戸に天照大神はお隠れになったかと手力男は考えます。
天照大神を何とか探して、岩戸の奥から出そうと考えます。


次にアメノウズメの舞。
天照大神を岩戸から出すために楽しそうに踊ります。

暗い時でも、まわりは明るくしていたら、暗さに光が差し込む例えでしょうか。
天照大神は岩戸の外の明るい世界が気になり始めます。
心が塞がり真っ暗な時や、闇にどんどん入り込んでしまいそうになる時、ふと視点を変え明るい方を向く大切さなんかを感じました。
手力男やアメノウズメに手伝って貰っての天照大神の天岩戸開きでしたが、自分を一番救えるのは、自分なのかもですね。

天照大神は自分がいないのに何故みんなが楽しそうにしているのか、外の世界が気になり、そしてチラッと外を見ようと岩戸をあけます。



そこに、この岩戸の奥にお隠れになったのか、と手力男は岩戸を放りなげます。
最初の面は白かったけど、力を込めて鬼の形相で真っ赤になり岩戸をなげる舞があります。




これ、鬼じゃないですよ。怪力の手力男命です。

最後の舞は、イザナギノミコトとイザナミノミコトが共に楽しく酒を作ります。
酒は発酵が大切。発酵って時間をかけて味わい深く変えるわけです。

そして、発酵させた酒を呑んで気分良く夫婦が仲睦まじくする舞です。
あら、そこまで披露しますか、笑
観客から笑いが。
観客には子供もいるのに。。😂

夜神楽が夜通し高千穂町では神事として行われるようですが、皆んなが眠くなる頃の余興の舞だとか。

イザナミ様のお面が可愛いかったですね。笑顔はいいですね。





イザナギ様、イザナミ様、仲良く国産みでした。。

踊る、舞うは、つくづく、神事だなぁと思います。

身体の全体で、仕舞まで美しく生命力のエネルギーの美しい発露を披露する。
それに、竹笛や和太古、雅楽のような響きも合い重なり、伝統の面もつけて、人を楽しませる。

日本の古くからの伝統は素晴らしいなと感じました。

長い一日も終わりました。次の日は朝から神話の世界をそのまま表したような高千穂にある神社に参拝です。






健男社 in 大分県豊後大野

2022-08-25 05:24:00 | 神社仏閣
竹田市の祖母山の反対側の豊後大野にも健男社がありました。こちらの健男社は、日が傾き初めの頃参拝したのですが、明るかったですね。



御祭神は健男霜凝日子神、豊玉姫、神武天皇の長兄、五瀬彦命です。

この御祭神の並びから、健男神は、もしかして日本記紀で入水したといわれる、三男の三毛入野命かなと推測していました。何故なら三男は九州に帰ったという伝説が残るからです。

しかし、宮司さんの話で、神話の方がずっと後だとわかりました。この辺りでは、同じような伝承があり興味深いです。

鬼八伝説に関して言えば、宮崎の高千穂では、三毛入野命、熊本の阿蘇の方では、健磐龍命に同じような鬼退治の逸話があります。

阿蘇の神の健磐龍命も、三毛入野命も、霜を降らす鬼退治の話があることから、祖母山の健男霜凝日子神とも重なります。



参道は長い階段です。

先日、この社を紹介している動画をみつけてみていました。すると、ここに植えてある杉の木は、宗像大社に植えているものと、おなじ遺伝子だといってました。





西陽があたり、太陽が参道を照らします。

健男社。



まあまあ高さのある手水舎です。140センチ位はありました。これもずっと見たかったのです。
もしかして、ウガヤフキアエズノミコトかなと。豊玉姫が御祭神の一柱ですから。

神話でいうと、豊玉姫が鰐に姿を変えて鵜の屋根をふく前に神武天皇の父、ウガヤフキアエズ神をうむ伝説を象ったようにも思えてしまいます。こんな手水舎初めてです。

私達しかいない広い空間で感謝の参拝を終えました。



トカゲはいました。2匹発見。


元気モリモリの木💪


日が傾きます。


健男神社3社を1日で参拝しました。

参拝させていただきありがとうございました。

健男社動画をみつけました↓
大分弁が可愛いです。
出会った大分の方、全て優しかったです。この話し方でした❣️

古社存続は重要ですね。
沢山の崇敬が集まりますように。




また、吉作落としの昔話はこちら↓





山登りは油断禁物ですね。祖母山で痛感しました。





7つ森古墳群と土蜘蛛塚

2022-08-24 05:31:00 | 神仏について
穴森神社を後にして向かったのは、7つ森古墳群です。



妻垣神社を案内して下さった翁さんにも、太古の人々のことを尋ねました。大和朝廷に逆らった元々いた一族の話です。翁さんは安心院縄文会の方で、安心院の歴史にはとても詳しいのです。

土蜘蛛のほか、鼻垂れ族や、耳垂れ族などと呼ばれた一族がいたようです。安心院の昔話にも鼻垂れ族のリーダーの話があります。




安心院には、縄文遺跡が沢山あり、ストーンサークルのような古代祭祀場もありました。縄文時代は争いはなく、寧ろ力を合わせて自然の脅威の中、祈りを中心にして人が生き延びようとした時代だったのかもしれません。

大陸との玄関口の九州には沢山の古墳があります。縄文時代を経て弥生時代、そして古墳時代に。磐井の乱などは、九州と大和の戦いを浮き彫りにしています。



争いの無い長い縄文時代の歴史から、争いが生まれる時代に。それは今も続いています。

九州には、隼人や熊襲という勢力もいたことが神話に記されています。

この地に残る鬼八伝説や、熊野の磨崖仏の99段の石段を作った鬼の話も、差別され奴隷とされた人が酷使された話なのではないかと考えます。




熊野磨崖仏の鬼の階段


もしかしたら、元々その地に居た人が征服者に逆らったが故にそのような蔑称で呼ばれたのかもです。

7つ森古墳群は、その名前の通り7つの古墳がありました。今では彼岸花の名所らしいです。


画像はお借りしました。

彼岸花が咲く地には、無念な思いをした無縁仏がいると思っています。地獄でも目立つように赤く咲く、地獄の釜が開く時期に咲くと聞いたことがあります。

あの世とこの世の行き交いができる時期に咲く花があります。オレンジの花。この花は鬼百合でしょうか。オレンジ色。こちらも、地獄にも咲く花と言われています。お盆の時期に咲きます。
秋に彼岸花、夏に鬼百合の咲く地がここ。





古墳があるということは、征服される前の首長やリーダーが眠る塚だと考えます。






この7つ森古墳の近くに、土蜘蛛塚があるからそこでも手を合わせたいと夫がいうので、調べてその場所にいきました。

携帯ナビには出てきますが、看板も何もないのです。
写真では見え難いですが沢山のトンボが飛んでいます。



ナビで確認しました。この道の向こう。行き止まりだったので、引き返します。



戻って↓この誰も歩いてなさそうな道の先の広場を左に入ったら、



塚のようなところで、ナビが合いました。看板なんかもきっと誰も来なくて埋もれてしまったのかもです。標識も無い。
ただ蜻蛉が何十匹も飛び回ります。



こちらでお線香が消えるまで、お経を唱えてきました。

この土地、この辺りで、ある時人生を変えられた一族がいる。

7つ森古墳に眠るリーダーの元で、争いなく生活をしていた一族かもしれないです。しかし、その後、洞窟で生活することを余儀なくされたり、差別され、蔑称で呼ばれ、忌み嫌われた一族がいたのかもしれません。

大分のこの辺りには抵抗勢力がいたことを遺跡は語ります。

佐伯はサエギル一族がいたことから名前がつけられたとも聞いたことがあります。家族が佐伯にルーツがあるからこそ、この話は他人事には思えないです。

九州王朝があったか無かったかはタイムスリップしなければわかりませんが、『ウガヤフキアエズ王朝実在論』では、景行天皇が竹田まで攻めてきて滅ぼした「土蜘蛛(つちぐも)族」とは、ウガヤ王朝の本体そのものだったとあります。

土蜘蛛塚跡の辺りで駐車するスペースがなくて、たまたま停めたのがこちら。

ねぎの神社の入り口だったようです。
景行天皇「打猿(うちざる)、八田(やた)、國摩侶(くにまろ)」という土蜘蛛を討滅したことを労った(ネギらった)、とかで名前がついたとかなんとかのようでした。

宇佐や、佐伯、竹田、豊後大野、この地の人の温かさに触れて、いろんな歴史の末裔が攻防の末に、今ここに居る、それは、もしかしたら、土蜘蛛や鼻垂れ族などの蔑称で呼ばれた一族が守り住んだ土地だったのかもしれません。

悠久の時は経ているものの、時の概念の放たれた彼方の世界で、
万一無念により心を残す御霊がいるならば、
そういう御霊が昇天しますようにと祈りました。


合掌






穴森神社 in 大分県竹田市

2022-08-23 05:12:00 | 神社仏閣
健男霜凝日子神社遥拝所を後にして、近くの穴森神社に車で向かいます。
こちらの鳥居から歩きましたが、右手を車でまっすぐいくと、かなり近くまで歩かずに行く事ができます。

こちらの赤い鳥居の隣にお住まいのおじさんに帰りに会って、車で近くまで行けることを教えて貰いました。行きに会いたかった😅



↓この辺りまで車で迂回できます。



紅→白→紅の鳥居が順にあります。




森の中にあります赤い鳥居は素敵だなと思いました。健男霜凝日子神社の宮司さんのお話だと、こちらから江戸時代に大蛇の頭だろうと思われる白骨が出てきたことからお祀りしているようで、比較的この辺りでは新しい神社のようでした。



緒方一族の祖に繋がる緒環伝説も大蛇伝説です。こちらは緒方一族の末裔の方が宮司さんのようです。



穴森神社には、生目社と淡島社もあり、生目社は眼病にご利益があるとありました。


製鉄で目を傷める人がいたのかもしれませんね。渡来人が製鉄を持ち込んだことも関係があるかもですね。

家に帰ってから、色んなところでもらった資料を整理していると生目社の成り立ちの説明が書かれたのパンフレットがでてきました。

約800年前、平家の平景清が、逃げ延びた日向の地で、眼病に苦しむ人々のために自分の目を神様に供え、治癒を祈念したのが生目神社の成り立ちということで、他にもこの辺りには生目神社があるようです。

驕れるものは久しがらず、諸行無常、悪者の代表のように言われる平家ですが、平家物語をテレビを見て、一族の中には純粋な方が多かったです。

しかし、連帯責任のように一族は没落します。入水したと歴史上ではされた安徳天皇。母の徳子とも別れ、幼いながら私の故郷土佐の秘境で過ごし、若干23歳でお亡くなりました。散り散りに逃げた平家落人の余生を九州のこの地にも確かに感じました。

淡島社は子宝の御神徳だと書かれていました。
ところで、淡海とは、確か、琵琶湖のことです。昔の表記では琵琶湖は淡海。淡海と淡路島はどちらも勾玉みたいな形で、陰陽のセットみたいな気がします。



画像はお借りしました

淡島は色んな説があるようですが、淡海に浮かぶ島としたら、竹生島かもです。

神話では、伊耶那岐命と伊耶那美命の子の中ではヒルコと次アハシマは、不具だとされました。その後、二柱は淡路島、四国、九州、本州などの国土を生み出します。


卑弥呼のような女性の祭祀ではなく、男系の皇族による祭祀が必要ということなのか、この話しの真意はわかりません。

また、もともと日本神話の前の民間伝承としてのヒルコ(水蛭子)とアハシマ(淡島)は、実は「日の子」と「粟島」だったのではないかという説もあるみたいですね。 
つまり太陽神と豊穣の神です。 

また、『伯耆風土記』(鳥取県)によると、少彦名命が粟の穂にはじかれて、“常世の国”に渡ったことから「粟島」と名付けたというのもあります。

常世の国🟰粟島。常世の国は海の彼方の理想郷のことで、そこの「ときじく」の香(かく)の木の実(橘)の実をたべると不老不死になるとかとも言われています。常世が龍宮だとしたら、この世に戻り急にお爺さんになった浦島太郎を思い出します。

淡島社はなんだか、これまた興味深い社です。

因みに、↓こちらの穴から江戸時代に大蛇の白骨がみつかったようです。入る事ができますが、やめときました。



大蛇の骨を祀る祠です。



生目社と淡島社。



穴森神社拝殿


参拝をおえて元きた道を帰ります。




ところで、この坂道、蚊が凄いんです。虫除けスプレーしてましたが、目に飛び込んできます。ビックリ。😳
流石に目はスプレー出来ないですからね。。

それだけ、虫除けスプレーに果敢に挑んでくるど根性の持ち主の田舎の蚊だということです。
私も田舎育ち。負けられない!と思いましたね。。🤼‍♀️
顔にも頭にも再度スプレーです。目は無理でしたが、、😚








神社をあとにして次の目的地に向かう山奥の山中の脇道途中に、炭焼き三郎の看板を発見。夫に、車を停めてもらいました。

炭焼き小五郎も大分の話でした。

おそらく、背後には製鉄をもたらした秦氏に繋がりのある話だと思います。




以前ブログに書いた場所に関連した所に偶然出会うと嬉しくなりました。




健男霜凝日子神社遥拝所

2022-08-22 05:20:00 | 神社仏閣

健男霜凝日子神社外宮を早朝に参拝後近くにあります遥拝所に向かいました。


下宮も急な250段位ある階段の上だし、

上宮は祖母山頂上ですから、参拝が厳しいですね。


↓そのための遥拝所です。










とても綺麗な神社で、地元の方が大切にされていると感じました。


一昨日泊まった民宿清流の裏手にあります。


小川がながれ、せせらぎが心地よいです。







鳥居を入って直ぐに大きなトチノキ御神木があります。






清流のお兄さんによると、樹齢は500年以上です。









お兄さんが子供のころ、台風9号で樹齢1200年以上の木が倒れてしまったようで、家が押し潰されるかもと思ったけど大丈夫でした、、と話していました。


御神木は氏子を守るために身代わりになったのでしょうか。家が潰れなくて良かったです。



こちらの遥拝所では、事前にご祈祷をお願いしていました。


宮司さんは、凛としたたたずまいで、物腰柔らかい御方でした。室町時代から代々宮司さんの家系で、この辺りのことを色々お話してくださいました。


祖母山は、名前などがつく以前の太古の昔、それは縄文やそれ以前かもしれないほど古い時代から存在し、また太古の昔からこの地の人々の崇敬が厚かったようです。


神話ができるもっと前からの信仰ですと。


この辺で延喜式に記載された5社のうち、は、宇佐神宮の次に健男霜凝日子神社は記載があり、また地理上も宇佐神宮、健男霜凝日子神社、祖母山を超え、高千穂神社、鵜戸神宮へと一直線で繋がる不思議も話してくれました。


神功皇后や比咩大神、八幡神、豊玉姫の竜宮伝説、天岩戸神話など神代の時代がこの一直線に織り込まれます。


神話好きの私としては、この地にずっと来たいと思っていたので、念願の参拝となりました。


九州のこのあたりには、緒環伝説があります。大蛇と姫の結婚話です。これは、奈良の大神氏の末裔の緒方氏にまつわる大蛇伝説です。  






















長い時間、さまざまなお話しをしてくださいました。


竹田のこのあたりは過疎が進み、氏子がへり、また高齢化している地域のようです。宮司さんご自身も神社の草むしりをされているようです。


祖母山がユネスコエコパークに指定されたことで、若い方に今は様々な語り継ぎに行っているお話もしてくださいました。




神々が坐します日本の美しい神社やその背後に広がる自然が、氏子や自然を大切に思う人々により護り繋ぎ続けられますようにと願わずにはいられません。


宮司さんは、様々な貴重な話をして下さったあと、すごく丁寧にご祈祷もしてくださいました。


有り難いなぁと目を瞑り祝詞を聴き、感謝の参拝をしてきました。