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伊勢神宮参拝の2回目です。
実際の参拝は、先の伊雑宮が、やはり遥宮なので一番最後で、伊勢入り後、一番最初に参拝したのがこの外宮でした。残念ながら雨の中の参拝
でしたが、しっとりとした趣といったところ。
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ご祭神は天照大神の食事を奉仕するために勧請された女神、豊受大神。鎮座のご由緒は記紀に記載はなく、延暦年間の「止由気宮儀式帳」に、あのよく知られた話があります。つまり、雄略天皇の夢に天照大神が現れ、”一人で寂しいから、丹波国比治の真名井原より豊受大神を迎えよ”とのお告げを受けた事によるとされています。
・古殿地
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谷川健一氏編「日本の神々」(新装版)で松前健氏はこの話は史実とは考えにくく、内宮と外宮のどちらが先すらも不明で、今でも様々な説があり今後の課題だとしています。一般に「外宮先祭」として、外宮から先にお参りすべし、と言われますが、日本の古俗からして、外宮の神が伊勢の土着神で、内宮が外から来た神だったから、そう言われるようになったのでは?との説もその一つだそうです。
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松前氏は外宮の元々の祭神について、内宮の天照大神に対し、その御子、忍穂耳命だとする持論を持たれていました。伊勢には元々、天照大神が忍穂耳命を降臨されるという神話が古くから存在し、それが大和朝廷の瓊瓊杵命降臨と結び付いて、記紀の天孫降臨の話になったと推定されています。外宮の聖水を取る御井を昔は忍穂井と呼んでいた事もヒントにしているようです。
近年、天孫降臨は、当時の持統女帝が自身を天照大神になぞらえて、自身の血を継ぐ孫、文武帝への譲位を正当化し、以降は争いではなく血のつながりで権威を継いでいく方針を宣言する為に作った話だったというのが定説になってると思います。そして、東出雲王家伝承では、そんな意向を持つ女帝に配慮して、伊勢神宮が外宮の祭神を変えた、と説明しています。それは女帝が自身の太陽のごとき権威を際立たせるのに、対に存在しては好ましくないと考えた神でした。
近年、天孫降臨は、当時の持統女帝が自身を天照大神になぞらえて、自身の血を継ぐ孫、文武帝への譲位を正当化し、以降は争いではなく血のつながりで権威を継いでいく方針を宣言する為に作った話だったというのが定説になってると思います。そして、東出雲王家伝承では、そんな意向を持つ女帝に配慮して、伊勢神宮が外宮の祭神を変えた、と説明しています。それは女帝が自身の太陽のごとき権威を際立たせるのに、対に存在しては好ましくないと考えた神でした。
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外宮正殿のすぐ後ろ、板垣の内側に御饌殿があり、毎日朝夕二回、天照大神と豊受大神がそれぞれお伴の神を侍らせ、向かい合わせで神饌を供される「日毎朝夕大御饌祭」があります。
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神饌はそのすぐ近くの忌火屋殿でつくられます。この行事は外宮の神の性格・機能をよく表していて外宮が内宮よりはるかに強い豊穣神的な色彩を持っていると考えれる事ができ、豊受大神の勧請の話は、丹波の豊穣神と同一視するためのものと考えておられます。
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豊受大神の荒御魂を祀る、外宮第一の別宮、多賀宮は、やや小高い丘の上に有ります。延喜式神名帳には、高宮と記載されています。三節祭では外宮正殿の祭に引き続いて、この高宮の祭が行われます。内宮と荒祭宮の関係と同じです。
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昔は多賀宮に専属する忌火屋殿が有りましたが、明治以降はこの宮に対しても外宮の御饌殿で献饌する事になっています。効率化ですね。
荒御魂というと何か荒々しいように感じますが、つまり神殿の奥に鎮まる神霊が人間に意思を伝えようと発動するとき、顕れ(アレ)御魂という形になるというのが妥当な見方です。いわば、神のスポークスマン。個人的なお願い事はコチラでするのが適切です。
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翌日天気が良かったので、ホテルが近かったことから、夕方にもう一度外宮本殿を訪れました。人もまばらで、落ち着いた雰囲気を堪能する
事が出来ました(タイトル写真はこの時のもの)。
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・伊勢市駅
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