摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

纏向(まきむく)遺跡と纏向古墳群 1 - 纏向遺跡が邪馬台国畿内説の"拠り所"となった経緯 -

2019年07月27日 | 奈良・大和

”2”の記事では、一方の纏向遺跡邪馬台国否定説のことや、関連する東出雲伝承をまとめてアップしています。


JR巻向駅は、本当に簡素な田舎の駅です。古代史愛好家、邪馬台国大和説派の聖地ともいえる地ですが、その頭からすると拍子抜けします。駅出口に”ひみこちゃん”のイラスト付きの説明看板だけがその重要性をアピールします。地域の方がもう少し盛り立てたいという気持ちも分かりますし、山の辺の道はリピートする価値が有るところですから、まほろば線の本数が増えて欲しいという希望も有ります。



見渡す限りの平野を感じながら東にしばらく歩くと、重要な初期型前方後円墳群が見えてきます。


・矢塚古墳(手前)と勝山古墳を望む

 

【纏向石塚古墳】

昔はこの纏向の地に大和政権が誕生したのは4世紀前半頃であり、箸墓もその頃の築造だと考えられていました。これが変わってきた発端が、1989年の纏向石塚古墳の発掘調査でした。この全長99mの、いわゆる纏向型前方後円墳 ~後円部径が全長の3分の2の形~ から、庄内0~3式の古い土器が見つかったのです。築造は3世紀初頭の可能性も出てきました。墳丘がまっ平なのは、戦時中に砲台にするのに削平したらしいです。なので、埋葬施設は確認されていません。周濠は後円部では最大20mの幅を図りますが、前方部では狭くなります。箸墓で見つかった”落ち込み”も同じような感じでしたね。

 

・纏向石塚古墳

 

【勝山古墳】

この後の2001年に、今度は勝山古墳のくびれ部北側の周濠から出土した建築部材を年輪年代法で測定した結果、うち1点が203~211年に伐採されたことが判明しました。この全長120mの前方後円墳も3世紀初頭の築造では、と期待されます。ただ、6回の調査を経て、前方部隅がバチ形に開く”定型化”前方後円墳で有る事が判明しており、築造は3世紀中~後半とされてます。なお、隣接する池の周りに遊歩道がありますが、古墳を一周出来るわけではないのでご注意ください。。。

 

・勝山古墳

 

【矢塚古墳】

矢塚古墳は全長93mの纏向型前方後円墳で、石塚古墳と共に纏向古墳群内で最古級、3世紀中頃の築造と判断されています。後円部は楕円形になってるようで、盛土遺構が有ります。後円部周濠からの土器は庄内3式と推測されます。

・矢塚古墳

 

【東田大塚古墳】

東田大塚古墳は、全長120mの定型化前方後円墳です。周りは畑に囲まれていて開墾により改変されていますが、2段築造で有る事は確認できており、3段かもしれないそうです。築造は3世紀中頃~後半とされています。

 

・東田大塚古墳

 

以上の成果で、これら古墳群がズバリ”邪馬台国の時代”の遺跡であるという認識になって来て、それならこれら古墳の盟主的存在とされる箸墓(タイトル写真中央)もそれらに続く時期のはずだ、となっていったようです。さらに被葬者推定も俄然熱を帯びてくるのですが、元同志社大学教授の辰巳和弘氏の場合は、巻向駅西のこれら4基のうち、古めの3基が”男弟”を始めとする卑弥呼の側近男性の墓、そして東田大塚古墳こそが卑弥呼の墓の可能性がある、と推定されています。そして、この流れで箸墓がトヨの墓だとなるのです。。。

 

【纏向大型建物遺跡】

4基の古墳をぐるりと巡って、またJRまほろば線の方に戻り、線路横にあるのが纏向遺跡発掘現場です。今は地面はきれいに固められ、建物群柱穴の発見位置に短い柱を立てて、建物や位置のイメージを掴みやすいよう展示されています。

 

・史跡 纏向遺跡

 

2009年の、これら掘立柱の大型建物跡の発掘がこれまでの纏向地区発掘のクライマックスとなりました。待望の"卑弥呼の居館"候補の発見です。しかもその建物の溝から庄内3式(240-270年)の土器が見つかったのです。さらに建物跡の直ぐ南側からは、桃の種2800点以上も出土しました。この種は、炭素14年代測定法により、135~230年のモノとの結果が出た、と2018年に報道されています。報道したのは朝日新聞です。

 

(以上、参考文献:矢澤高太郎氏「天皇陵の謎」、桜井市立埋蔵文化センター「マキムクからイワレへ、大王の歩んだ道を巡る」「古墳歩きの基礎知識」、雑誌「邪馬台国」134.135号)



今回はこれまでとしまして、回を改めて”2”として、纏向遺跡に関する論争のことや、その他遺跡の写真、そして関連する東出雲伝承を、個人的に気になったことも付け加えてまとめたいと思います。




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