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あいづわくわく学園 常楽院・南泉寺・久川城跡・大桃の舞台 奥会津【7-2】

2013年08月23日 | 郷土史・史跡・施設
あいづわくわく学園
常楽院・南泉寺・久川城跡・大桃の舞台 奥会津【7-2】


25年度、地域の歴史・史跡などの現地学習第7回は奥会津桧枝岐方面・・・

南山御蔵入領とは奥会津9町村をいい、江戸時代の幕府直轄領の名称で、年貢米は幕府米蔵へ・・・
この地方は幕領の中でも最も生産性が低い地域で、米不足は深刻で副業で生活が成り立っていたという・・・
そんな中、3代正容の1720年、南山御蔵入騒動が起こったんですね。
代々郷土の誇りとして語り継がれているという・・・

前回は桧枝岐歌舞伎鑑賞をアップ、今回は常楽院・南泉寺・久川城跡・大桃の舞台をアップします。
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。
雲閉山 常楽院 子安観音像「マリア観音」とも・・・
画像クリックでスライドショーへ

福米沢の雲閉山常楽院境内の一隅の観音堂に子安観音像が祀られています。
像高44.4㎝あり、頭より衣をかぶり、正面に十字が刻まれ、腹前で子供を抱いています。
この像の額に十字があるところから、戦後「マリア観音」と見るようになったという・・・
名残の蓮が咲き、めずらしいパイナップルリリーが満開、そして水琴窟の音色を楽しみました。

松見山南泉寺 聖徳太子像


松見山南泉寺は嘉承2年(1107年)村人が太子堂を建て、聖徳太子像を祀り、
太子守宗を信仰したのが起源という
聖徳太子像は小型ながら美しい像でした。撮影可というの撮らせてもらいました。
屋根を葺き替えたばかりの鐘楼門は、寛政6年(1794)御蔵入領民の喜捨104両で建造されたという・・・
梵鐘も鋳造されたが戦争で供出したため、昭和55年に檀家によって再鋳されたという。

久川城跡


久川城跡は青柳と小塩にわたる南北565m、東西約250m、比高53m の丘陵上にあります。
東には伊南川、西は絶壁で滝倉沢の渓流、北はこれと合流した久川が流れる天然の要塞・・・
天正17 年(1589 年)の伊達政宗軍の攻撃に備え築城し、のちに蒲生氏の支城となり、
慶長16年(1611 年)に廃城となったという。
いまは城跡の丘陵には山桜や紅葉などの植栽され、春から秋にかけて様々な花が咲き、憩の場に・・・

大桃の舞台


南会津の歌舞伎舞台といえば檜枝岐の舞台が有名ですが、
檜枝岐村にほど近いこの南会津町大桃地区をはじめ、南会津には地区ごとの農民歌舞伎の一座があり、
おなじように舞台も数多くあったという。そのなかで現在も残っているのがこの大桃の舞台で、
檜枝岐の舞台と同じに国の重要有形民俗文化財に指定されています。

コメント
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