ココロに小さなしあわせをの
「言葉がでない時」にトラックバックします。
海外で暮らすって考えたときに
やはりコミュニケーションツールとしての言語は必要。
でもこれが目的ではなくて、あくまで手段・ツールなわけで
あまり固執する必要はないのですが。
9年もいればさすがに日常生活やちょっとしたトラブルでは
困らないくらいのイタリア語ができるようになりますが、
来た当初は辛かった・・・。
とりわけ私は例外的にヘレンケラー状態が長かったのです。
読み書きは相当できて、相手の言っていることもわかるのに
1年半にも及ぶ長い間、自分の伝えたいことが伝えられずに
イタリア人には「こいつは自分の意見のない奴」と
冷たい目で見られたことも何度もありました。
それがある日、ぱぁっと世界が開けて、
突然喋るようになっちゃったんですけどね。
子供と同じなのかも。
溜め込んでいた単語がある日突然
堰を切ったように口をついて出るようになるみたいな・・・。
神様に触発されて
12歳の頃にイタリアに行くことを心に決めた私は
何の疑いもなくイタリア語を習得するために
若かりし頃を費やしたわけです。
イタリア語に辿り着くまでの手段として
つまり大学に入るために、英語がなくてはいけなかったので
英語も人一倍学んだはずなのに、
イタリア語を入れたとたんに脳みそから追い出されていき、
今ではとても「英語ができます」なんていえない状況に。
先日もたまたま英語で話さなくてはならない状況になったとき、
すごく単純なフレーズ、出てこない・・・。
「私はフィレンツェで駅の近くに住んでいます」たったこれだけ。
なのに・・・、
I live in Florence e vicino alla staione.
後半はみごとにイタリア語じゃないか・・・。
まぁね、だいたいにしてこういう感じです。
英語だろうとフランス語だろうと、
頑張ってフレーズを叩き込んで喋ろうと思っても
とにかく途中からイタリア語になってしまう。
不思議なことに日本語にはならないわけですよ。途中から。
却って途中から日本語にしようと思うとやたら難しい。
それは母国語と後に習得した言語との大きな差なんでしょうね。
私の脳みその中では
日本語はちゃんと一つの箱の中に納まっていて
他の情報と交じり合うことはないけれど、
外国語はどうも一つの大きな箱の中で同居していて
その中でイタリア語占める比率が高くなって
他の言語を追いやっているので、
探し出すのに時間がかかる。
そして日本とイタリアという二つの違う文化の中で
発達してきた言葉の間には深い溝もあり
単純に置き換えられない言葉やニュアンスがたくさんあるのです。
だからイタリア語で話すとき、
自分の感情を十分に表現できないって
地団駄踏んじゃう時だってあるんです。
日本語だったらこういう感じなのにぃって。
その逆も然りですが。
そして、なんでだかわからないけど、
さっきまで使っていた単語が突然思い出せなくなったりすることも。
あ、これは外国語だから云々ではなく
タダの記憶喪失、ボケの始まりかも?(笑)
「言葉がでない時」にトラックバックします。
海外で暮らすって考えたときに
やはりコミュニケーションツールとしての言語は必要。
でもこれが目的ではなくて、あくまで手段・ツールなわけで
あまり固執する必要はないのですが。
9年もいればさすがに日常生活やちょっとしたトラブルでは
困らないくらいのイタリア語ができるようになりますが、
来た当初は辛かった・・・。
とりわけ私は例外的にヘレンケラー状態が長かったのです。
読み書きは相当できて、相手の言っていることもわかるのに
1年半にも及ぶ長い間、自分の伝えたいことが伝えられずに
イタリア人には「こいつは自分の意見のない奴」と
冷たい目で見られたことも何度もありました。
それがある日、ぱぁっと世界が開けて、
突然喋るようになっちゃったんですけどね。
子供と同じなのかも。
溜め込んでいた単語がある日突然
堰を切ったように口をついて出るようになるみたいな・・・。
神様に触発されて
12歳の頃にイタリアに行くことを心に決めた私は
何の疑いもなくイタリア語を習得するために
若かりし頃を費やしたわけです。
イタリア語に辿り着くまでの手段として
つまり大学に入るために、英語がなくてはいけなかったので
英語も人一倍学んだはずなのに、
イタリア語を入れたとたんに脳みそから追い出されていき、
今ではとても「英語ができます」なんていえない状況に。
先日もたまたま英語で話さなくてはならない状況になったとき、
すごく単純なフレーズ、出てこない・・・。
「私はフィレンツェで駅の近くに住んでいます」たったこれだけ。
なのに・・・、
I live in Florence e vicino alla staione.
後半はみごとにイタリア語じゃないか・・・。
まぁね、だいたいにしてこういう感じです。
英語だろうとフランス語だろうと、
頑張ってフレーズを叩き込んで喋ろうと思っても
とにかく途中からイタリア語になってしまう。
不思議なことに日本語にはならないわけですよ。途中から。
却って途中から日本語にしようと思うとやたら難しい。
それは母国語と後に習得した言語との大きな差なんでしょうね。
私の脳みその中では
日本語はちゃんと一つの箱の中に納まっていて
他の情報と交じり合うことはないけれど、
外国語はどうも一つの大きな箱の中で同居していて
その中でイタリア語占める比率が高くなって
他の言語を追いやっているので、
探し出すのに時間がかかる。
そして日本とイタリアという二つの違う文化の中で
発達してきた言葉の間には深い溝もあり
単純に置き換えられない言葉やニュアンスがたくさんあるのです。
だからイタリア語で話すとき、
自分の感情を十分に表現できないって
地団駄踏んじゃう時だってあるんです。
日本語だったらこういう感じなのにぃって。
その逆も然りですが。
そして、なんでだかわからないけど、
さっきまで使っていた単語が突然思い出せなくなったりすることも。
あ、これは外国語だから云々ではなく
タダの記憶喪失、ボケの始まりかも?(笑)