昨日、少し早めの忘年会。
友人の運営する文化協会で
彼女の一時帰国の前に集合ということで
イタリア人と日本人総勢20名ほど。
20時から始まり、
持ち寄りの夕食パーティを楽しみ、
5周年を迎える文化協会のお祝いで
メンバーお手製のくす玉を割り
徐々に解散。
しかし、いつものメンバーで居残り、
ついつい遅くまで反原発やら政治の話で
こっそり盛り上がり、帰宅したのは夜中3時前でした。
しかし、いつもながら勉強になる話も多く、
こういう機会が身近にあることがとてもありがたい。
居残り組の中に、
夜中に焙じ茶を飲んで
饒舌になった(笑)友人のパートナーがおり、
彼が話してくれた廃墟の話。
実は私が彼とこの話をするのはこれで3回目。
最初この話を聞いた時には
私はトルクメニスタンの砂漠で燃え続ける
「地獄の入り口」の話だと思っていたんだけど、
ちゃんと彼の話を聞いていたら、
アメリカの話で違う場所だってことに気づいた。
トルクメニスタンの砂漠はこちら。
彼が言っているのは
アメリカのペンシルヴァニアにある
Centraliaという街の話だったのね。
調べていたら2007年の古い記事を見つけた。
こちら(イタリア語)
1962年から地下で燃え続ける石炭。
どんなにお金をつぎ込んでも人類の手には負えない自然の驚異。
そして記事を読めば、
世界中に似たようなところがいくつもあることがわかるし
どこも我々の手には負えず、
ただ燃え尽きるのを待っているだけ。
彼と原子力発電の話をしていると
最近は必ずこのCentraliaの話に行き着く。
彼の中では繋がる部分があるんだろう。
それは発電という現実的な実用化の話であったり、
人類には手に負えないモノであるという点で
共通だと思っているからなのかもしれない。
昨日の話では、
彼はこの燃え続ける火の力を利用して
発電したらいいのにということも言っていたし、
確かにそれができたら、
きっともうとっくにしているんだろうけど、
多分不可能なんだろうね。
あれだけの火力に耐えうる設備を
その火の上に建設することが
そして、それに伴う危険性がどれほどなのかは
きっとアメリカ政府だって調査&計算したんだろうし。
調べていたら世界のゴーストタウンをまとめた記事にも出会った。
こちら(イタリア語)
これを読んでいて、日本のコーナーで
なんとも身近な伊豆スポーツ・ワールドが
日本を代表する廃墟の一つとして挙げられていて
なんだか奇妙な感傷に襲われた。
私は大学生の夏休みにあそこでよくアルバイトしたんだよね。
確かに廃墟になっているのは知っていたけど、
伊豆の国市はあれをどうするつもりなんだろう。
もう今ある設備は使い物にはならないけど、
あの敷地を有効活用するために何か動いているのかな。
おそらく資金難で、なにも手を付けていないんだろうなぁ。
これも面白いサイト(英語)だった。
世界にはそんな無駄なものが山ほどあるってことだよね。
そして日々を生きて行くために
片付けることもせず、
見て見ぬ振りをしてやり過ごしていることが
なんて多いことかってつくづく思う。
それは我が家の冷蔵庫の上の埃から
核燃料の最終処理場まで分野も規模も問わず。
実に様々なものが「臭いものに蓋」の扱いになっていて
蓋しても何も変わりはしないんだよねってことを
日曜日の午後に
自分の目の前の埃を見つめながら思ったりするわけです。
このCentraliaの話も
もうちょっと調べたら色々おもしそうだなぁと思って
饒舌だった彼に感謝。
友人の運営する文化協会で
彼女の一時帰国の前に集合ということで
イタリア人と日本人総勢20名ほど。
20時から始まり、
持ち寄りの夕食パーティを楽しみ、
5周年を迎える文化協会のお祝いで
メンバーお手製のくす玉を割り
徐々に解散。
しかし、いつものメンバーで居残り、
ついつい遅くまで反原発やら政治の話で
こっそり盛り上がり、帰宅したのは夜中3時前でした。
しかし、いつもながら勉強になる話も多く、
こういう機会が身近にあることがとてもありがたい。
居残り組の中に、
夜中に焙じ茶を飲んで
饒舌になった(笑)友人のパートナーがおり、
彼が話してくれた廃墟の話。
実は私が彼とこの話をするのはこれで3回目。
最初この話を聞いた時には
私はトルクメニスタンの砂漠で燃え続ける
「地獄の入り口」の話だと思っていたんだけど、
ちゃんと彼の話を聞いていたら、
アメリカの話で違う場所だってことに気づいた。
トルクメニスタンの砂漠はこちら。
</object>
YouTube: Darvaza, Karakum Desert, Turkmenistan 01 - Gas Crater
彼が言っているのは
アメリカのペンシルヴァニアにある
Centraliaという街の話だったのね。
調べていたら2007年の古い記事を見つけた。
こちら(イタリア語)
1962年から地下で燃え続ける石炭。
どんなにお金をつぎ込んでも人類の手には負えない自然の驚異。
そして記事を読めば、
世界中に似たようなところがいくつもあることがわかるし
どこも我々の手には負えず、
ただ燃え尽きるのを待っているだけ。
彼と原子力発電の話をしていると
最近は必ずこのCentraliaの話に行き着く。
彼の中では繋がる部分があるんだろう。
それは発電という現実的な実用化の話であったり、
人類には手に負えないモノであるという点で
共通だと思っているからなのかもしれない。
昨日の話では、
彼はこの燃え続ける火の力を利用して
発電したらいいのにということも言っていたし、
確かにそれができたら、
きっともうとっくにしているんだろうけど、
多分不可能なんだろうね。
あれだけの火力に耐えうる設備を
その火の上に建設することが
そして、それに伴う危険性がどれほどなのかは
きっとアメリカ政府だって調査&計算したんだろうし。
調べていたら世界のゴーストタウンをまとめた記事にも出会った。
こちら(イタリア語)
これを読んでいて、日本のコーナーで
なんとも身近な伊豆スポーツ・ワールドが
日本を代表する廃墟の一つとして挙げられていて
なんだか奇妙な感傷に襲われた。
私は大学生の夏休みにあそこでよくアルバイトしたんだよね。
確かに廃墟になっているのは知っていたけど、
伊豆の国市はあれをどうするつもりなんだろう。
もう今ある設備は使い物にはならないけど、
あの敷地を有効活用するために何か動いているのかな。
おそらく資金難で、なにも手を付けていないんだろうなぁ。
これも面白いサイト(英語)だった。
世界にはそんな無駄なものが山ほどあるってことだよね。
そして日々を生きて行くために
片付けることもせず、
見て見ぬ振りをしてやり過ごしていることが
なんて多いことかってつくづく思う。
それは我が家の冷蔵庫の上の埃から
核燃料の最終処理場まで分野も規模も問わず。
実に様々なものが「臭いものに蓋」の扱いになっていて
蓋しても何も変わりはしないんだよねってことを
日曜日の午後に
自分の目の前の埃を見つめながら思ったりするわけです。
このCentraliaの話も
もうちょっと調べたら色々おもしそうだなぁと思って
饒舌だった彼に感謝。