モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

隠された眼差し、隠し絵、サブリミナル効果

2007-05-15 08:23:56 | コミュニケーション-メディア
今週の表参道駅ウォッチングは、Club Medのピラー広告、隠し絵について考える。







駱駝で歩く砂漠
スキューバしたい海、
ゴルフ場・・・



リゾートの写真のつもりが、ふと、人の顔が書き込まれているのに気づき、その想定外・驚きの隙間から、より強い印象が残る。
それぞれの表情は、リゾートを楽しんでいる笑い・微笑にあふれ、写真のイメージを増幅させている。
モノ自体を表現するか、そのモノ・サービスを楽しんでいる人を表現するかは、表現されるものが違う。モノ自体では、その機能の違い、透き通るような海・広さ・・・などモノとの直接の経験を呼び起こす。楽しんでいる人では、対象を楽しむ結果で得られる心理的な効果、満足感・・・などを表現する。
人の表現が群像であれば、伴に楽しむ人との関係を深め・属することを暗示する。
個人であれば、更に全身か、上半身か、顔のアップかで、その触覚的距離は変わる。人間の移動し続ける視野の焦点に、人の表情と瞳が絞られれば、その瞳に何かを連想する。それは見る人が、体験・意識してきた人との直接の関わりと、人の関係を表現された記述・・小説・TV・映画などの記憶に沿って、手が届き、触れ合う距離で起こったことのが想起されることとなる。

別の方法、人とモノを馴染み合わせる 表参道のCOACHでは、
バッグ自体・ロゴ・バッグをかける女性の上半身、を別々の3枚にして、
拡大して、表面を光沢にして、交通空間の柱に巻きつけている。
観る人は、歩きながらこの3枚の印象を重ねてゆく。
そのポスターは等身大よりも大きく、実際の距離を越えて親密距離を感じさせている。
その光沢は、透明感・近接感を増して、触覚感を増している。
地下空間を支える柱・重力感を覆い、額縁・周りとの境界をなくした円柱に貼られた画像は、近づき遠ざかる立体性・実体性を帯びる。

このClubMedでは、
モノに重ねこんだ顔のアップの隠し絵が、対象と心理を重ねてしまっているのだ。

では、その隠し絵効果、
顔に気が付かなくても、写真の楽しさを増しているのか?
人の顔を意識するから、楽しさが増すのか?
いや、あの顔が不気味でもあるから、楽しさ以前の、動物としての警戒・確認・安心という心理プロセスが重なって、印象を強くしているのか?

このように、主体の二重化という設定は、刺激から意識の流れが、輻輳化させられていることをたどりやすい。
生存空間での、主体の二重化による、刺激から意識への流れ
リゾート、非日常という、この無形のサービス成果の性格にもあっているのだろう。

顔が意識されなくても、この笑い顔の効果はあるのか?あの、*「サブリミナル効果」は、本当にあるのかどうかは、今でも疑問。どこかで、意識化さないと効果がないのではないか。
 *映画のコマに、ソフトドリンクの映像を挟み込んでおくと、
  休憩時間に売店の売り上げがあがるとの実験データがあるそうで、
  禁止されている広告挿入方法。
  アメリカのアド・デザインの系譜が、ここにもあって、
  フロイトの無意識の解釈が拡大されて、
  さまざまな心理的手法が継承されている。

とにかく、メディア・ジャックも、ただ空間をカバーするだけではなく、強いアド、つい人に伝えたくなる表現自体の伝播力が必要だ。陳腐なメッセージの氾濫は、反感さえ買う。(例えば、これから逆襲します!って、某携帯サービスで宣言されても、それは企業の都合・欲望。予告広告には、なっていないのだから)
口コミとは、メディアに刺激された受け売りの連鎖でもある。広告を批判したり、表現することで、対象を擬似所有する欲望を満たすことでもある。
反感も一つの広告効果かもしれないが、そんなバブルな手法では、話題にするほうが、感性を疑われる。(暇そうだね!)

さて今日も、しっかり、街メディア、ピラー広告の隠し絵に嵌って、UPしてしまった!

モノの象徴力、想像力 アメリカ アド・デザインの系譜

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