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古典からの社会的記憶と現代の衝動がデジタルに充満している現代。
衝動から欲望を膨らませても、
衝撃から身を縮こまられても、
自然・身体を繋ぐ、神経線維の伝達も、或る閾値を超えて伝えるデジタル回路。
外部化された社会的記憶と呼応しての、生き様は、
自我・自律ではなく、他我・他律。
ここを、デジタル・ネーチャーと名付けると
自分を自然の中に預けて自然大に拡大しながら、人間を超えようとする千利休に出会う。
『千利休 無言の芸術』 より
「偶然も無意識も、それは自然がなすことである。
それに添って歩くことは、自然に身体を預けることだ。
他力思想とは、そうやって自分を自然の中に預けて自然大に拡大しながら、人間を超えようとすることではないかと思う。」赤瀬川純平 著
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