モノと心の独り言

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「アート」というモノは、ない!

2012-05-26 07:35:30 | ブログ「モノと心の独り言」のご案内

クリエーターは、世界や社会や個人の表現者というよりも、感性の先導者。
感覚は動物のもあるし、速度は遅いが静物にもある物理・化学反応の延長上にある。しかし、感性は、共感することか生まれる社会的コト。
レコーダーによる手がかりの記録・伝達が一般化すると、感性の媒体が、モノだけでなく、コトの流通が進んだ。図画立体作品から、コトのコピー:写真・録音・映像に、そしてデジタル記録・加工・伝搬により、複製というモノから、干渉し合い変化を続けるコト自体に関わる段階に入っている。それが、閉鎖系で繰り返されるゲームを、実生活が支える逆転現象まで一般化する。今、ソーシャルというと、ソーシャルゲームのことで、社会のコトではなくなってきたようだ。世界観とは、仮想されたシチュエーションぐらいのこと。
ここでのリアリティー、つまり何が実感されているのか?

呼応・お互いに対応し合うことではないか?
アートとは、近代の市民社会(プチ・ブル=今は、ハイソ→セレブ・・・)が私有しようとした、職人の感性が技により表現された断片を表現した一時代でのコトバなのだ。それを、現実生活から切り離して流通させようとしたときにファイン・アート=純粋芸術という、世界や神との関係が希薄な、表現となった。
商品化・動産化は、その極のリアリティ。

いま、作品を所有する意欲よりも、作品や作家を手がかりに、お互いのコミュニケーション=認め合いが重要視される時代。
作家も作品も、表現者・表現物ではなく、呼応する感性の先導者や手がかりづくりの設定者になった。
だから「アート」は存在しない、ただ関係の手がかりやコーディネートだけがあるという、感性の複製・自己生成時代に入っているのだ。

だから、感性を深め、再編するのではなく、まるごとコピペする追随者が、「アート」しているわけはない。

そう、’アートするコ’ト、あえてアートというコトバを省いて、社会的な感性に生きる人が、暮らすということなのだ。
(なんちゃって)


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
やっぱり、デュシャンの「泉」が (Unknown)
2012-05-27 23:29:55
やっぱり、デュシャンの「泉」が転換点ではなかたのか?

ファイン・アートというモノを葬ったのは。
返信する
そもそも、アート(ファイン・アート)は、いつ意識されたのか? (Unknown)
2012-05-27 23:26:55
世界との関わりを記した、アルタミラの壁画は?
畏敬する象徴としてのトーテムや形象、太陽・十字架・印・・・
神を人の姿にした神像・菩薩・天使
創造された世界の表象としての彫刻・神殿・教会、仲介する司祭・僧侶・神主
そして、近世までが信仰の表象、王族・貴族までは、神や王権を表象・高める手がかりを表現する技の結果であり、建築も壁画も肖像画も装飾もすべて神と王の世界を支える手がかりだった。商人が興隆して、王侯貴族の装飾を背景である社会から切り離して、交換可能なモノにし、貨幣であがないだしたのが、ファイン・アートの始まりではなかったのか? 題材も又、聖書や王族ではなく、庶民や自然、身の回りのモノや人・コトを写しだしたのではないか?神の国の表現ではなく、対象の写しとなり、その感性の発展が、印象派から、後期印象派、そして立体派・・・など見方・表現の仕方を純粋に追求しだしたころに、ファイン・アートが、アートと分離する。工業化と装飾化による豊かな世界が、国民国家同士の世界戦争になり、近代科学工業に支えられた世界への絶望のダダ、そしてフロイトの深層心理、エネルギーの相対性理論のなかで、シュールレアリスムという手法へと感覚の追求へとファイン・アートは微分化したのではなかったのか? 
そして、その様々な感覚の段階は、それぞれの感性に応えた小説・書画・彫刻として、私有されるもの、市場で交換されるモノ、そして希少価値としての投機資産へと多様な役割を持つことになった。
アートという人の技の結果のモノが、直接的な機能を持たないがゆえに、ファイン・アートという名前、芸術や文化というお墨付きをつけてきたのではないか?

しかし、作る人と享受する人を仲介するモノが複製可能な写真・映像となり、ネットワークで簡単に流通・増殖できる時代になってみると、その価値は希少性と無限の複製・派生物へと分散する。そこには、媒介自体の価値ではなく、作りと手享受する人の呼応状態こそが価値となり、モノとして所有・交換できるものではなくなってくる。これまでは、モノとしての唯一性とともに、物流・保管・展示のコストもかかっていた。しかし、デジタル化され複製自由となり、ネットワークで流通するとなると、コピー管理ばかりでなく、著作権管理・利用料管理の体制が維持できるかどうかは、未定なのだ。
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