原因不明の熱病に苦しんでいた伊東の地頭・八郎左衛門尉祐光(伊東朝高)公を何とか回復させたいと、一族に日蓮聖人は懇願され、祈祷したところ、病気は回復しました。
祈祷自体はそれほど長時間ではなく、その日のうちに川奈のお岩屋にお戻りになったようです。
八郎左衛門尉祐光(伊東朝高)公は悩んだと思います。
川奈の岩屋に身を隠している日蓮聖人は命の恩人。
同時に幕府からは大罪人として扱え、との指示がある。
自分はこの伊東の地の地頭・・・。
本来なら自分の邸(今の佛光寺)に手篤く招くべきところですが、そうもゆかず・・・
伊東家の鬼門除けとして先祖が建てた毘沙門堂に、日蓮聖人を住まわせることにしました。
ひと月以上も暮らした岩窟から、やっと出られることになったのです。
献身的に給仕してくれた弥三郎夫婦に感謝しながら・・・
毘沙門堂があった場所に建てられた大きなお寺が佛現寺です。
朱色に塗られた仁王門は大迫力!
山号は「海光山」です。
伊東の海中から引き上げられた釈迦如来立像にちなみ、日蓮聖人ご自身が名付けられた山号のようです。
実は僕の亡き伯父がこのすぐ近くの日蓮宗寺院に眠っています。
目と鼻の先に、佛現寺に至る階段があります。
大きな題目法塔!
550遠忌ってことは、もう200年近く前の法塔ですね!
講中発見!
惣講中~!
これは珍しい!
鰻供養碑です。その手前は・・・鶉(うずら)供養碑かな?
鰻供養碑には蒲焼業界の方々が供養しています。
いつもながら、命を頂いて我々は生かされている、という日本人の精神性。
今でも脈々と引き継がれていることを気付かされます。
伊東は過去、津波の被害が大きい地域だったようで、津波犠牲者の供養塔がありました。
東日本大震災での津波の記憶があるだけに、とても生々しい供養塔でした。
ここが日蓮聖人が2年にわたってお住まいになった毘沙門堂跡です。
とても清浄な空気を感じました。
「四恩抄」や「教機時国抄」をここで著述されたそうですよ。
伊豆配流中、この謫居に幽閉されていたわけではないようで、調べると、少し離れた場所にも、請われて祈祷に行ったりされていたようです。
少しずつ、立場を回復していったわけですね。
そして弘長3(1263)年、幕府は伊豆流罪そのものが理不尽であったということを認め、日蓮聖人を赦免にしました。
現在、毘沙門天がお祀りされているのがこの「紫雲殿」です。
ただ、ここにお祀りされている毘沙門天は新しく、昔の毘沙門天像は
奥の法塔に奉安されているようですよ。
その左右に日昭上人、日朗上人の名が刻まれた石塔が建っています。
供養塔なのかな?
釈迦本仏殿です。
周囲にフェンスがあり、近づくことができませんでした。
森の中の朱色のお堂はエキゾチックです。
紫雲殿の相輪です。
2匹の龍が絡みついています。
本堂です。
でかい!圧倒的な存在感!!
これも圧倒的!多宝塔ですね!
何が納められているのでしょうか?
境内にちょっと興味深い歴代お上人の御廟を見つけました。
「妙昭寺歴代之墓」
・・・ん?妙昭寺?ここ佛現寺だよね???
妙昭寺の歴代お上人の名前が刻まれていました。
開山が日昭上人になっています。
ナゾは深まるばかり・・・
思い切ってご住職に聞いてみました。
とても物腰の柔らかいご住職が、佛現寺の成り立ちから丁寧に教えて下さいました。
元々、日蓮聖人がお住まいになった毘沙門堂跡には「惣堂」というお堂があって、周辺のお寺が輪番で維持していたそうです。
そのうち1ケ寺が妙昭寺という、日昭上人が開いたお寺でした。
今の佛現寺の仁王門の下あたりにあったそうです。
お檀家さんを持たない、輪番の中心的役割のお寺であったと思われます。
明治になり輪番制は廃止されたそうで、お檀家さんがいない妙昭寺はしばらく放置されてしまいました。
妙昭寺の建物は朽ち、これを見かねた佛現寺のご住職とお父様(先代のご住職)が、妙昭寺があった場所にお稲荷様(元々あったのでしょう)の建物を、また境内に歴代お上人の墓所を整備したそうですよ。
頭が下がります。
妙昭寺があったのはこの場所ですね!
輪番制が廃止された明治以降、惣堂を引き継ぐお寺として佛現寺ができたそうです。
長く惣堂を護持して下さったから、今でも我々は霊跡本山をお参りできるわけです。
妙昭寺をはじめ輪番を続けて下さった日蓮宗寺院に心から感謝します。
僕の伯父のお墓があるお寺も、この輪番に参加していました。
いい旅でした。伯父が導いてくれたように思います。
いや~、伊東、なかなかアツい場所でしたね!
気温も暑かったですが信仰も篤い!!
お寺に結構、檀家さんが出入りしていたのが印象的でした。
おばちゃんがご住職と井戸端会議してたり、おじいちゃんが箒で掃除してたり、団扇太鼓片手に読経してるおばちゃんグループにも会ったな~!!
お寺の敷居がめちゃくちゃ低く、お檀家さんの生活の一部になっているような印象を受けました。
また来年、伯父の命日に来ますね!