弘安5(1282)年の初秋、日蓮聖人は住み慣れた身延山を下り、病んだ身を癒すために常陸に向かいました。
身延を発って5日目に河口湖の御師の宿・本庄家(屋号は梅谷)に宿泊しました。本庄家(富士河口湖町河口) - 日蓮聖人のご霊跡めぐり
当時の梅谷の主人・采女さんは教化を受けていましたが、この機会にと、弟を日蓮聖人に会わせました。
采女さんの弟は、梅谷から見て河口湖の対岸・大嵐にある真言宗寺院の住職をしていた方です。
日蓮聖人と采女さんの弟は法論をし、結果、法華経に帰依をしました。
日蓮聖人から「日領」の名を授かり、大嵐のお寺も日蓮宗寺院になりました。
「蓮華寺」です。
身延山直末って刻まれてますね。
河口湖とはいえ、観光地の賑わいは一切なく、結構な山林の中にあるお寺です。
もともとこのあたりには道者道という、修験者の歩く道があったそうですよ。
水が豊富なようで、手水舎の水はかけ流し!!
ホント、じゃぶじゃぶ出ています。
山門です。
蓮華寺は天保の大火でほとんどの建物が焼失してしまい、この山門は宗祖700遠忌に再建されたそうです。
山号は「持名山」です。
この庫裏は梅谷の建物を移築したもののようですよ!
三猿の彫刻!!
日蓮宗のお寺には時々見られます。
「人の欠点は見ない、言わない、聞かないのが良い」的な故事を、お猿をモチーフにして表現したものだと思います。
日蓮聖人がピンチの時に何度も、お猿が助けてくれたという事も関係あるのかな?
そうそう、御師の梅谷の宿で、こんな護符を頂きました。
富士講の行者の護符として、また行衣のバックプリントとして馴染みのある絵柄のようです。
二匹のお猿が描かれていますが、お猿は古来から「山の神」「神の化身」として礼拝されていたそうですよ。
逗子のお猿畠・法性寺の権現様の話にも通じますね!
おそらくこの蔵は、大火にも耐えた「宝蔵」だと思います。
扉に井桁に橘の宗紋が刻まれています。
本堂です。
江戸時代の再建らしいのですが、渋みのある、とてもいい建築です。
腕の良い大工さんが建てたのでしょう。
木の風合いがいい具合に出ています。
こんな山奥に・・・と思うほど美しい本堂です。
しばらく魅入っちゃいました。
寺紋は丸に梅鉢の紋です。
本庄家の屋号・梅谷と関係ありそうです。
日朝堂です。
現在の身延山を整備した日朝上人をお祀りしていると思われます。
身延山の直末だからかな?
第六天魔王の法塔がありました。
第六天魔王は行者を仏教から遠ざける魔王なんだけど、日蓮宗では、強い信仰を持つ行者については、逆に守ってくれる存在とされているみたいです。
日蓮聖人に教化を受け、法華経に帰依した日領上人。
このお寺を他宗から改宗するのは大変な事だったと思います。
それを成し得たのは、納得できる強い信仰があったからでしょう。
古くは修験者の道があった場所でもあり、第六天魔王のご加護もあるのでしょうね!
土石流危険の看板も驚きましたが、ここが相模川の上流っていうのにもビックリ!
僕の住む西湘と、川を通じてつながっているんですね!
また訪れたいお寺が、ひとつ増えました。