弘安5(1282)年5月、身延での8年間の生活を経て、身延山を下り、病気療養のため常陸へ向かいました。
結果的にこれが日蓮聖人最後の旅になってしまいましたが、それでもその行程の各地で逸話を残され、法華経に帰依する者を増やし続けました。
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身延山を下りてから5日目、日蓮聖人は御坂峠を越えて河口湖に到着しました。
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その晩、湖畔にある「梅谷」という御師(おし)坊に泊まられたようです。
代々当主は本庄家で、御師坊としての屋号が梅谷なんだそうです。
現在も梅谷の建物があります。現在の建物は240年以上前のものだそうですよ。
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この提灯に書いてあるように、梅谷は富士山の「御師」の家でした。
御師ってなに・・・?
特定の社寺に所属して、その社寺に参詣者を案内し、参拝や宿泊などの世話をする者(梅谷御師の家の掲示物より)だそうです。
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富士山周辺の御師は特殊です。
何しろ富士山自体が信仰の対象なので、参拝登山の世話をする大役です。
更に御師は祈祷も行う神職としての役割もあったそうです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/9c/10d06ce00c96b48d2242adc9b7207220.jpg)
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当時から伝わる祓詞(はらえことば)が掲示されていました。
神事の前に唱えるそうですよ。
確か、富士山が世界遺産に登録されたのは、信仰の対象としての文化遺産だったと思います。
梅谷が所属した河口浅間大社や富士吉田に現存する御師の家は、世界遺産の構成資産だそうです。
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河口浅間神社を中心として、最盛期には通り沿いに140もの御師の家があったそうです。
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日蓮聖人が宿泊された当時の主人は本庄采女(うねめ)という方でした。
采女さんは神職でしたが日蓮聖人の教えを受け、教化されました。
采女さんの弟が河口湖西岸で真言宗寺院の住職をしていましたが、采女さんは弟を日蓮聖人に会わせ、問答の末、法華経に帰伏、つまり日蓮宗に改宗させたのです。
ご入滅するほんの1ヶ月前、常識的にはもう余命幾ばくもない頃ですよね。すげえ!
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そのお寺は、現在も富士河口湖町大嵐にある持名山蓮華寺です。
蓮華寺については後日レポします!
今回、本庄家住宅を訪問して富士山信仰(富士講)の一端に触れることができました。
勉強になったな~!
日蓮聖人自身も富士登山されたことがあるそうで、富士吉田や河口湖界隈にはご霊跡が結構あるという噂です。少しずつ巡ってゆきましょう!