文永6(1269)年、日蓮聖人が47才の時に、政情不安な国家安泰を祈願するために富士登山をし、5合目付近で法華経を読誦、書経した法華経を土に埋めました。
富士山から下山した日蓮聖人は、麓の小立村で説法をし、その際に、既に教化を受けていた28人の村人が、日蓮聖人にお曼荼羅を書いて頂きました。
お曼荼羅の重みで、岩が象さんの鼻のように垂れ下がってしまった、という伝説があります。
このお曼荼羅、28枚の紙を貼り合わせた大きな大きな紙に書いた、日蓮聖人の生涯で最大のものだそうです。
28枚だから・・・タテ7枚×ヨコ4枚かな?その逆かもしれませんね~
現在は沼津にある法華宗の光長寺さんに格護されているそうです。
一度お目にかかりたいものです。
実はその大曼荼羅、この地の柳の木の筆で書かれたそうなんです。
湖畔の船津から大嵐方面に抜ける県道714号線沿い
商店街の一角に木立があります。
「柳久根」(やなぐね)というご霊跡です。
柳の大木があります。
日蓮聖人はこの柳の枝を筆にして、大曼荼羅を書き上げたと言われているそうです。
柳の木って、陰陽でいうと陽の気を持つらしく、鬼門除けによく使われる樹木らしいんですね。
霊力のある柳の枝を選ぶところが、常人とは違いますね~!
ちなみに墨はこの硯石を使ったようです。
柳久根の至近にある法華宗の妙法寺さんの境内にあります。
こう見てゆくと、河口湖周辺はご霊跡だらけですね~!!