日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

叡昌山本法寺(京都市上京区本法寺前町)

2018-03-26 18:51:15 | 旅行
日親上人のお寺「本法寺」を訪問しました!

周辺には表千家や裏千家の宗家があり、茶道資料館や茶道用品店などが軒を連ねます。


仁王門を見つけました!ここが正式な入り口だと思います。


山号は「叡昌山」です。


阿行と


吽行。
本法寺を護っています。


摩利支天がお祀りされているんですね!


この碑は、動悸や息切れの薬「六神丸」を作ってる薬屋さんが、奉納しているようです。


摩利支天堂です。
摩利支天といえばイノシシですよね!
摩利支天は小さくて、しかもイノシシで移動するから姿が見えず、傷つきにくいということから、戦国武将にも信仰された神様です。
僕の身近な小田原城の天守にもお祀りされています。


おお~!裏千家の!


本堂です。
江戸時代に大火で燃えてしまい、再建されたものですが、それでも200年以上!


多宝塔です。
法華経にも多宝如来の塔、出てきますよね!この塔にも多宝如来と釈迦如来が安置されているそうです。


扁額は本阿弥光悦によるものです。
本阿弥光悦は、池上本門寺や中山法華経寺など多くの宗門寺院の扁額を手がけていますよね!
実は本法寺は本阿弥家の菩提寺なのだそうです。


本阿弥光悦の曾祖父である本阿弥清信本光が、「鍋かむり日親」の通称で知られる日親上人を開祖に招いて創建しました。


本阿弥家は代々、刀剣業で室町幕府に仕えていましたが、本阿弥清信本光が足利義教の怒りに触れて、投獄されてしまいました。


一方、日親上人は日蓮聖人と同じように「世の乱れは法華経を信じないから」と繰り返し幕府に諫暁をした結果、やはり投獄されてしまいました。

日親上人へ加えられた拷問についての記述は、多くのお寺で目にしたことがありますが、あまりに凄惨なのでここでは触れないことにします。


そんな二人は獄中で出会ったそうです。そして本阿弥清信本光は日親上人に深く帰依し、赦免後に本法寺を創建しました。


本阿弥家の菩提寺らしく、寺内の庭園はとても素晴らしいです。
本阿弥光悦は父の光二とともに伽藍や庭園の整備に尽力したそうです。


貴人をお迎えする門なのでしょうか、特別に誂えてあります。


柵で囲まれているのが、日親上人の説法石です。
日親上人は一条堀川の戻り橋(市バスの停留所に「一条戻橋」って今もありました!)で辻説法をさかんに行ったそうです。
その際、日親上人が傘を立てるのに使った石みたいですよ!
しかし旧字の「法」は字の中に「鹿」がいるんですね。知りませんでした!


日親上人は、頑なにお祖師様の教えを守ろうとするあまり、他宗を激しく攻撃し、多くの迫害を受けてきました。
また宗門内でも、千葉氏と対立したのが発端で、中山門流を破門されているそうです。


一方でその姿は、信徒達にとってひとつのカリスマとなり、亡くなった後も篤い「日親信仰」は続いているようです。


純粋すぎる法華行者が開創したお寺が、法華信仰を軸とした大芸術家により発展する・・・。

ひとつの理想型を、このお寺に見たような気がしました。末永く、維持されてゆく事を祈念します。