日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

慧日山東福寺(京都市東山区本町)

2018-03-19 18:25:04 | 旅行
32才で立教開宗をするまで、日蓮聖人は「是聖坊蓮長」という名の天台僧でした。
仏法の全てを知りたいという使命感から、鎌倉遊学だけでなく、仏教の中心地であった近畿地方の名だたるお寺を巡って、徹底的に勉強したといいます。

蓮長は京都の東福寺にも遊学していたそうです。
東福寺は臨済宗東福寺派の大本山です。


巨刹らしく、お寺の名前の駅があります。
JR奈良線と京阪電車が停まります。


東福寺への道中には
関東ではなかなか見ない「飛び出し坊や」!
いろんな飛び出し坊やがいて、見ていて飽きません。


東福寺境内に至る門はいくつもあるようです。
中門から境内に入りました!


入ってすぐに経蔵を見つけました。
仏教寺院であると同時に、教育機関でもあることがわかります。


これ、すごくないですか?
屋根のある橋「臥雲橋」です。


臥雲橋からはもう一つの屋根付きの橋「通天橋」が見えます。
この風景はなかなか、趣があります。


巨大な山門です。
勅使門から通じている門であり、普段は門としての役割はなさそうです。


そしてその山門と法堂(仏殿)の間に、ひっそりと石碑が建っています。


「日蓮柱之碑」と刻まれています。
東福寺のホームページによると、東福寺は当時の摂政・九條道家が、円爾弁円(えんにべんえん)というお坊さんを開山に迎え、1236年から1255年までの19年を費やして創建したそうです。

お祖師様の年齢でいうと14才~33才の間、建築していたことになります。ちょうど近畿のお寺を遊学していた時と合致します。


一方、円爾弁円は三井園城寺で学問を究めた、元天台僧でした。
禅戒を受けたあと宋に渡って勉強し、帰国後に東福寺を開いたそうです。

計算してみるとお祖師様よりも21才も年上になりますが、東福寺遊学時にお祖師様に良くしてくれたのかもしれません。
東福寺を造るときにお祖師様は柱を一本、寄進されたようです。
学僧だった蓮長にとって、巨堂の柱一本はあまりに負担が大きかったでしょうが、それがお祖師様の気持ちだったのだと思います。


現在もこの法堂(仏殿)に日蓮柱があるそうです。


お・・・?


あるある!日蓮柱だ!
当日はゆるい風が吹いており、偶然にも外から日蓮柱を拝むことができました!


この法堂(仏殿)を含む東福寺の多くの建物は、明治14年の火事で焼失してしまったそうですが、その後17年をかけて再建されたそうです。
その際、日蓮宗の信徒が法堂(仏殿)の柱を一本、寄進したそうです。
「日蓮柱之碑」はその記念にどなたかが建てたのだと思われます。


若き日蓮聖人を育ててくれた東福寺。
そしてそのお礼として一材を寄進したお祖師様。
さらに東福寺がピンチの時に再び一材を寄進した700年後の信徒達・・・。
とても良いものを見た気分です。京都に来て良かったと、改めて思いました。

最後に、宗派の垣根を越えて、日蓮柱を堂々と明示して下さっている東福寺に、心から感謝します。