
-表象の森- 鬼の児放浪/金子光晴
すでに62年を生きてしまったわが身に、ある種の自嘲と懐かしさを響かせてくれる詩。
岩波現代文庫「金子光晴詩集」清岡卓行編-詩集「鬼の児の唄」より
「鬼の児放浪」
――鬼の児卵を割って五十年
一
鬼の児がかへってきた。ふるさとに。
耳の大きな迷信どもは、
おそるおそる見まもる。この隕石を、
燃えふすぼった黒い良心を。
かつて、鬼の児は、石ころと人間共をのせた重たい大地をせおひ、
霧と、はてなきぬかるみかを、ゆき悩んだ。
あるひは首を忘れた鴎のとぶ海の洟(ハナ)しるを。
ふなむしの逃げる小路を。
暗渠を、むし歯くさいぢごく宿を。
二
こよひ、胎内を出て、月は、
荊棘のなかをさまよふ。
若い月日を、あたら
としよりじみてすごし、
鬼の児の素性を羞ぢて
蝋燭のやうに
おのれを吹き消すことを学んだ。
天からくだる美しい人の蹠(アシウラ)をおもうては、
はなびらをふんで
ふたたびかへることをねがはず、
鬼の児は、時に、山師共と銭を数へ、
たばことものぐさに日をくらした。
鬼の児は、憩ない蝶のやうに旅にいで、
草の穂の頭をしてもどつてきた。
鬼の児はいま、ひんまがつた
じぶんの骨を抱きしめて泣く。
一本の角は折れ、
一本の角は笛のやうに
天心を指して嘯(ウソブ)く。
「鬼の児は俺ぢやない
おまへたちだぞ」
(昭和18・9・3)
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<秋-50>
秋風にかきなす琴の声にさへはかなく人の恋しかるらむ 壬生忠岑
古今集、恋二、題知らず。
邦雄曰く、元来、雅楽では秋の調子を平調とし、憂愁の声であった。「かきなす」は「掻き鳴らす」と同義、「はかなく」はこの場合「心細く」を意味する。恋は恋でも、やや広義の人恋しさを含むものではあるまいか。第四句が冗句に似つつ、一首に危うくあわれな陰翳をもたらしていて忘れ難い、と。
夢にだに人を見よとやうたた寝の袖吹きかへす秋の夕風
二条院讃岐
千五百番歌合、恋二。
邦雄曰く、ゆるやかに豊かな調べと言葉を盡しての抒情、新古今歌人とはまた異なった、その一時代前の歌人の本領であろう。讃岐・丹波・小侍従などこれに属する。うつつにはついに訪れてくれぬつれない人を「夢にだに」見よと吹く秋風のこまやかな情、と。
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