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-表象の森- ラカンからフロイトへ遡る
・近代の頂点で「神は死んだ」と語った人がいた。
代わって人間の理性が、神の不在の場所を覆うはずだった。
しかし、理性は必ずしもその任に堪えないことが判明しはじめた。
その一方で、神そのものではなく、神の場所が「無意識」として存続していることが発見された。
神を亡くし、その代わりにフロイトによって発見された「無意識」を認めて、
不完全な自らの思考と言語で生に耐えること、
これがラカン言うところの「フロイト以来の理性」となった。
・夢から醒めた人が、現実のなかで逢着するのは、
以前の「出会いそこない」に覆い被さる、もう一つの「出会いそこない」である。
夢というものは、過去の「現実」の「出会いそこない」を埋め合わせるべく、
現在の「現実」を単なる「象徴」として使ってしまうよう、
夢見る人に要求してくることをその役目としているのである。
この要求に従うとき、
現在の「現実」は、夢と同じく「象徴」としての資格しか有さないものになってしまう。
しかも繰り返しそのようにされてゆく。
そして、夢のなかに記憶として存在している「出会いそこない」だけが、
真の「現実」として残され、いつまでも私たちの心をせき立て続けることになる。
・「言語活動」は「現実」を全能的に支配することをその本質とする。
「夢」が「現実」を無視した展開を見せるのは、
まさに夢がこの言語活動の本質を最も徹底的に実践するからである。
夢が私たちに運んでくる真の「現実」は、
「言語活動との出会い」によって、「現実」が失われてしまったという「事件」、
とくに「ありのままの生の現実」が消去されてしまったという、起源に刻まれた「事件」である。
・「言うことができない」という不可能と、「出会いそこない」というその痕跡が残されており、
それが身体の「傷」と同じ仕方で、私たちが生きているかぎり私たちを苦しめる。
・フロイトは、ヘーゲルに途中まで添いながら、そこから決定的に別れ、
自己意識と主体が「出会いそこない」という関係にあるという必然を、切羽詰った人間理性の法則として提出している。
・ラカンがソシュールの構造言語学を引き寄せつつ答えようとしたのは、
人間と現実の間の関係は、言語という記号と外的現実の間の関係の問題ではなく、
独立した言語そのものと人間の思考の間の問題であること、
言語の中に囲い込まれてしまった、あるいは自らを言語で囲い込んでしまった人間の現実喪失を、
もっとも純粋に形式化することのできる可能性をもった装置、だったからである。
・無意識は一つの言語活動として構造化されている。
・「言語」でもって「現実」に対処してゆく人間の生の、
そもそもの出発点に「死」が含まれるようになること。
――― 引用抜粋:新宮一成・立木康介編「フロイト=ラカン」講談社より
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<恋-48>
かつ見つつ影離れゆく水の面に書く数ならぬ身をいかにせむ 斎宮女御徽子
拾遺集、恋四。
邦雄曰く、詞書は「天暦の御時、承香殿の前を渡らせ給ひて、異御方に渡らせ給ひければ」とある。村上帝への怨みを婉曲にみずからに向けて歎く。本歌は古今・恋一の「行く水に数書くよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり」。二句切れの「影離れゆく」が、切れつつ水に続く趣も、歌の心を映して微妙だ。承香殿は作者の住む処、数ならぬ身あはれ、と。
侘びつつもおなじ都はなぐさめき旅寝ぞ恋のかぎりなりける 隆縁
詞花集、恋上。
生没年未詳、醍醐帝の子・源高明(延喜14(914)年-天元6(983)年)の孫にあたる。勅撰集に2首。
邦雄曰く、詞書には「左衛門督家成が津の国の山荘にて、旅宿恋といふことを詠める」とあり、藤原顕季の孫家成が左督に転じたのは久安6(1150)年、その頃の作であろう。たとへつれない人でも、都の中ならまだわずかに報いられることもあったが、遠い旅の空で恋い焦れる夜々は悲しみの限り。下句の縷々と痛切な調べは涙を誘う、と。
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