山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

夜半に鳴く雁の涙はおかねども‥‥

2006-10-05 11:59:34 | 文化・芸術
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-四方のたより- 朝刊配達を「行」としてみるか

 早朝、というよりは深夜の2時25分、いつものように携帯のアラームが鳴った。
今日はいつになく身体が重くけだるい。そういえばこの二、三日はとくに寝不足だ。
身を起こそうとするがすっと力が入らない感じ。右に左に捩るようにして上体を起こしていく。
アラームの音が強くなった。慌てて腕を伸ばして止める。
すぐには立ち上がる気力もないから、煙草を手に取ってしばし一服。
イカン、もう35分、着替えなくては。
ベランダの物干しにかけてあるシャツとズボンとベストとジャンパーと、そしてズックの5点セットを取り込む。
自転車に乗って家を出たのはすでに2時50分になっていた。


 このところ私は毎朝、新聞配達をしている。
7月から始めたのですでに3ヶ月を経たことになるが、最初の1ヶ月はとてもじゃないが続けられそうもないなと思った。若い頃ならともかく衰えた体力にはきつすぎる。脚も腰も悲鳴を上げていた。慢性的な寝不足状態は今もなお解消しないままだが、当初は生活リズムの激変にもっとも犠牲になったのが睡眠だったから、とにかくきつかった。


 ご承知だろうが新聞の休刊日は年間で10回ある。休刊といってもむろん朝刊だけのことだが、私の配達も朝刊のみだから、このさい夕刊は関わりない。
他紙の配達所では、ローテーションを組んで別に月1回の休みを取れるというのに、なぜか此処ではそんな体制は採られていない。此の店では休刊日以外「休めない、休むな」である。
東京などでは、ローテーションによる週休制もずいぶん普及しているようだから、此の販売店の古い体質は筋金入りといってもいいくらいだ。他にも前世紀の遺物かと思えるような被雇用者泣かせの事例はいくつもある。以前に「押紙――」で書いたように、新聞配達員というアルバイト雇用は相当に被搾取的立場に置かれているという実態が、21世紀の今日にも旧態依然としてあるのだ。
此処を一つの労働現場と見るかぎり、もちろんそうであることにちがいないのだが、改善されるべき問題はあまりにも多い。
それらは自分自身がこのように関与しているかぎり、到底放置しておける問題ではないのも然り。
さりながら、短兵急には何事も解決されないのもまた事実だし、ましてや私は一介の新入りアルバイトにすぎない身だ。慌てず急がず、今はもっと別な視点に身を置くべきかもしれない。


 やっと3ヶ月だが、されど3ヶ月、1年でいえば1/4、ひとつの季節を経たわけだ。
此処にいたって、無意識のうちにも些か心境の変化が起こっていることに気づいた。
季節を跨いだということは、このまま一年を経て、年を跨げるかもしれない。
辛い毎日だが、ほとんど毎日の日課としてあるなら、ある意味でこのことは自分自身にとって「行」のようなものともいえそうだ。
すでに90日の行を大過なく経てきたのなら、1年365日の行へとつなげてみるのも、自身にとっては相応に意味のあることとなるにちがいない。
旧い友人に「農を行として生きる」と、富山県の奥山に実践の日々を重ねて、そんな著書をものした人間もいる。
まあ、奴のような徹底した実践には及びもつかないが、所詮は気儘な有為転変を繰り返してきたこの身には、一つのアクセントとしての働きはあるかもしれない、とそんな思いが脳裏をよぎる今日この頃である。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-65>
 いつしかとほのめかさばや初尾花袂に露のかかる思ひを  惟宗光吉

惟宗光吉集、恋、二条前大納言家日吉社奉納の百首に。
邦雄曰く、忍恋と尾花の組合せも夥しいが、穂に出るか出ぬの薄から、初々しさをも感じさせるところがこの一首の特色、人知れず、恋しさのあまり涙している趣を下句に、耐えかねて、それとなく知らせたい思いを上句に倒置した。待恋の修辞は、あらわには出ていないが、この、ひたすらに控えめな恋心は、女性転身詠「待恋」の一種とみてよかろうか、と。


 夜半に鳴く雁の涙はおかねども月にうつろふ真野の萩原  後鳥羽院

後鳥羽院御集、詠五百首和歌、秋百首。
邦雄曰く、五百首和歌は年代不詳だが、「墨染の袖」を歌中に含む作が数首あり、遠島以後のものと目される。「おかねども」と打消しながら、むしろ空行く雁の涙の露さんさんと光りつつ降る光景を幻想させるあたり、作者20代の新古今集勅撰時を思わせる。花が「月にうつろふ」のも、当時の斬新な秀句表現の名残であり、さらには実朝の歌を想起する、と。


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