-表象の森- 「津島家の人びと」
津島家とは太宰治(本名-津島修治)の実家である。あの斜陽館は太宰の父・津島源右衛門が明治40(1907)年に当時の贅を尽くして建てた邸宅だ。
「津島家の人びと」(ちくま学芸文庫)は、1868年の明治維新を遡ること100年ほど、金貸しから身を興し、凶作で苦しむ農民の田畑を買い占めて代々財を成し、果ては銀行まで設立する新興の商人地主であった津島家の系譜を丹念に辿り、その全盛を極めた源右衛門とその後継である文治(長男)親子の栄華と凋落の有為転変を詳細に活写してくれて、太宰の出自とその放蕩や文学形成の傍証として読むのもおもしろいだろう。
-今月の購入本-
高橋悠治「高橋悠治コレクション1970年代」平凡社ライブラリー
ジョエル・レヴィ「世界の終焉へのいくつものシナリオ」中央公論新社
ヤーコブ・ブルクハルト「イタリア・ルネサンスの文化-1-」中央公論新社
M.フーコー「フーコー・コレクション-2-文学・侵犯」ちくま学芸文庫
野崎歓「カミュ「よそもの」きみのともだち」みすず書房
-図書館からの借本-
新田一郎「太平記の時代-日本の歴史11」講談社
小林康夫「青の美術史」ポーラ文化研究所
市川浩「私さがしと世界さがし-身体芸術論序説」岩波書店
笹山隆「ドラマの受容-シェイクスピア劇の心象風景」岩波書店
S.グリーンブラット「シェイクスピアの驚異の成功物語」白水社
保苅実「ラディカル・オーラル・ヒストリー-オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践」御茶の水書房
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<秋-70>
露かかる蘆分小舟深き夜の月をや払ふ海人の衣手 肖柏
春夢草、下、雑上、漁夫棹月。
邦雄曰く、一句一句が互いに光りつつ響き合う巧みな構成、秋も半ばのやや黄ばんだ蘆の繁みを分ける漁り船、蘆分小舟(アシワケオブネ)も簡潔な言葉だが、その蘆からこぼれる夜露を払おうとして降りそそぐ「月をや払ふ」第四句は、見事な秀句表現。二句切れに仕立ててあるので、連歌の長句的完結も感じられるぬ。連歌師なればこその技巧であろう。題も充分に生かされた、と。
ものおもはでかかる露やは袖に置くながめてけりな秋の夕暮 藤原良経
新古今集、秋上、家に百首歌合し侍りけるに。
邦雄曰く、六百番歌合の秋夕、右は慈円の「さてもさはいかにかすべき身の憂さを思ひはつれば秋の夕暮」で、俊成判は持。秀作同士の良き持であろう。秋の歎きの深さを強調しただけのことだが、天賦の才気、瑞々しい詩魂から迸る言葉は、そのまま丈高い調べを成し、稀なる秋夕歌。慈円の歌は二十一代集に潜入されなかった、と。
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